町を覆《おお》っていた寒さはこの数週間ですっかり温《ぬる》み、暦の上ばかりではなく春を感じるようになってきた。
骸骨のようだった街路樹や図書館の壁にへばりついていた蔦《つた》には艶々《つやつや》とした小さな葉がいくつも現れ、町の至るところで見かける花壇には季節を先取りした花が、少しだけ寒そうに揺れている。
ヴィードの時とは違い、チャルマの転院はまるで話題にならなかった。
あえて触れ回らなかったせいもあるけれど、もともと入院が長かったから皆の記憶の中からはとうに忘れられていたのかもしれない。
ひとの記憶なんてそんなものだ。10年もの間家族同然に暮らして来た仲間なのに、数ヵ月の不在で存在そのものを消されてしまう。現に僕だって彼を忘れて1日が過ぎたことなんて何度もあった。
僕もヴィヴィも、きっと何時《いつ》か、チャルマのことを忘れる日が来る。
ノクトのことも、何時《いつ》か。
そのヴィヴィにはあれから会っていない。
僕がずっと図書館に籠《こも》っているせいもあるけれど、連日何処《どこ》かへ出かけている。
病院に行く理由もなくなった今、何処《どこ》に行っているのか。
クリスマスの事件が僕たちの記憶から薄れて来た昨今、距離を置いていた取り巻き連中から以前のように誘われているのかもしれない。ヴィヴィ自身もチャルマやヴィードを失った痛みを忘れたいのかもしれない。
あの日ずっと病院のベンチで項垂《うなだ》れていた彼を知っている身としては責めることなどできない。
そしてノクトも。
以前のように行き先も告げずにいなくなることはなくなったけれど、その代わり、部屋に籠《こも》って黙々とタブレット端末を弄《いじ》っている。
「この世界を知る」のはもういいのか。
それを理由にして見舞いをサボっていた間にチャルマを失ったから、罪悪感に苛《さいな》まれて出歩けなくなってしまったのか。
それともこの世界で生きていくための第2段階に入ったのか。
自称「籠《こも》ってゲームを作っていた30歳」なのだから、とにかくそういうものを作る技術はあるわけだし、僕が研究職に進むつもりで図書館通いするのと同様、ゲーム業界への就職を見据えて今から対策を講じているのかもしれない。
僕としても”人工知能と戦うSF”を熱心に読まれるよりは心穏やかでいられる。
願わくば……そのゲームがレトの神経を逆撫でするものでなければいいのだが。
フローロも、そしてイグニももう性徴《せいちょう》は現れているだろう。
僕がファータ・モンドに行く頃には、もうふたりとも面影《おもかげ》なんて欠片《かけら》もなくなっている。
フローロのセルエタはイグニが持っていってしまったから、僕はフローロと再会する手段を海以外に持たない。
貸し出しコードのおかげで彼が得たであろう知識はかなり吸収しているけれど、それだけで足りるだろうか。全くの無知状態で行くよりは正解を引き当てる率は上がるはずだけれども、どれだけ知識を詰め込んでも足りたと思うことはない。
でもフローロに再会できればイグニの言葉の真偽を確認できる。いやそれ以前に彼が元気でいてくれれば、それだけで真偽はわかったようなもの。
|痣《あざ》の意味も、チャルマが転院した先も、そしてフローロを狙っていると言う”誰か”のことも、ファータ・モンドに行けば全て解決する。
「今日も熱心ね。フローロ」
図書館に着くと、珍しくクレアに声をかけられた。
未《いま》だに僕のことをフローロだと思い込んでいる。と言うか、最初があまりにも嘘《うそ》臭い演技にしか見えなかったから、わざと間違えているのではないかと未《いま》だに思う。
暫《しばら》く観察してみたことがあるが、彼女が他の学生をフローロと呼ぶことはなかった。名前を呼ぶほど親しくない間柄だからか、名前を呼ぶほどの会話が成り立っていないだけか。
もし僕が”レトの学徒”にならなければ一般学生のグレーのベストのままだから、彼女も誤認識を認めたかもしれない。
けれど生憎《あいにく》とフローロの後を追うように学徒になってしまった。本当に顔で見分けられないのだとしたら、僕がフローロではないと覚え直させるのは難しい。
フローロの「何かあったらクレアを訪ねて」とは貸し出しコードを使わせることで良かったのだろうか、とは今でも思う。
わざわざコードを使わずともリストを残してくれれば済むこと。あの回りくどい演出には他に目的があったのではないか? と。
クレアを尋ねた数ヵ月前、彼女は有無を言わさず僕のセルエタにフローロのコードを入れた。
図書館にも監視カメラがある。クレアが”卒業生の貸し出しコードを別の学生に教えて使わせている”ことはレトに筒抜けになっているだろう。クレアがフローロに加担しているか、フローロの目的がレトに反旗を翻《ひるがえ》すことか否《いな》かに関わらず。
レトに敵対していると思われては今度はクレア自身が危険だから、わざとフローロと間違えているふりをしてコードを渡して来たとも考えられるけれど、本当に故障したと見なされれば下手をすれば廃棄処分。
そんな危険を冒《おか》す意図が読めない。
それにクレアはアンドロイド。レトの傀儡《かいらい》だ。
傀儡《かいらい》がレトに反することをするだろうか。
この一連は、フローロがレトを出し抜き、クレアを味方につけて動いているように”レトが見せかけている”のではないか?
ノクトの件と同様、フローロが何かをしようとしていることはわかっているけれども詳細が掴《つか》めない。だから僕を泳がせることで探ろうとしているのではないか?
もしくは、アンドロイドは嘘《うそ》がつけないから、フローロからの依頼とレトの指示との板挟みになってあんな微妙な演技になった――クレアはレトに隠しおおせているつもり――とは考えられないだろうか?
クレアは何処《どこ》まで信用できるのか。
考えたところで中途半端に本題に関わっていない僕には判断がつかない。だから今はまだ、そんな裏事情には気付かないふりをするしかない。
何かあった時に”事情はわかっていた”と”何も知らなかった”の差は大きい。
憧れの先輩の後を追って海を再生させる道に進むべく勉強をしている。僕の中にあるのはそれだけで、フローロが動いている別の何かは知らない。表向きはそのスタンスに徹する。
所謂《いわゆる》、逃げ道の確保だ。
それに実際、フローロがレトに反旗を翻《ひるがえ》そうとしていることすら推測の域を出ない。
元はと言えばチャルマというフィルターを通して伝わったイグニの戯言《ざれごと》をそう解釈しているだけのこと。違うに越したことはない。
「もうほとんど読んでしまったのではなくて?」
「ううん、まだだよ。読んだだけで頭に入っていないものも多いし」
フローロがどの分野に進んだのかもわからない僕にとっては、この膨大な本の海の中から彼《フローロ》が読んだとされる本がわかるのは時短の面でも有難《ありがた》い。
海洋学と言っても多岐にわたる。
今までの僕は、道を進みたいと思いながらも分岐を示す看板が読めない状態だった。でも看板の読み方はフローロが教えてくれた。それだけでいい。人工知能と戦うSFなんて世界線は、僕はいらない。
すっかり僕の席と化した日当たりのいい窓際の一席に腰を下ろし、僕は本を開く。と、間に挟まっていたらしい紙切れがハラリ、と床に落ちた。
何だろう。フローロが挟んだまま忘れたメモ書きだろうか。
僕は何気なく拾い上げ……慌ててポケットにねじ込んだ。
何だこれは。
文字はフローロの筆跡に似ている。
でも。
『――いい子でいろよ、”レトの学徒”』
病院からの帰り、クルーツォが言い残した意味深な言葉が耳の奥で蘇《よみがえ》る。
わざわざ”レトの学徒”と称したのは”レトに対しての「いい子」でいろ”と言う意味だとしたら。
フランやアポティの時のように、クルーツォに直接レトが入り込んでいる印象はなかったものの、あの日の会話はレトに筒抜けになっている。
はぐらかしたような答えしか返って来なかったのも、レトが「此処《ここ》までは喋ってもいい」という指示に基《もと》づいてのことだとあの時は思っていたけれど、本当はわざと喋らなかったのではないか?
ファータ・モンドのことも、チャルマの病気のことも、もし”レトが隠しておきたい情報”だったとしたら、それを知った僕は当然レトの監視下に置かれることになる。イグニやノクトに触発されたわけではないけれど、口封じされることだって――。
だから、僕を守るためにあえて言わなかったのだとしたら。
僕はクルーツォから受け取った中途半端な情報にあれこれ肉付けして、彼が言いたかったことを僕ひとりで見つけ出さなければならない。表向きはレトの忠実な子供《ピーポ》のふりをして。
だが、僕が”クルーツォが僕を守るように動いている”と思うのも、全てレトの掌《てのひら》の上でのことかもしれない。
クルーツォはアンドロイド。レトの管理下で、レトの手足となって動く機械だ。親身になっている顔をして、レトの思うほうに僕の思考を誘導しているだけ、と言うこともあり得る。
けれど、それでも。
あの最後の言葉は、クルーツォ自身が発した僕への警告ではないかと、そう思えて仕方がない。
あれからクルーツォには会えない。薬局の前も何度か、それこそ用もなく通ったけれど。
アポティにそれとなく聞いても「来ていない」としか言わない。
僕への警告がレトに知られて、故障を疑われていなければいいのだが。初期型と言うことはかなり古いわけだし、量産型に比べて修理やメンテナンスもコストがかかる。
いくら量産型にはできない仕事をしていると言っても「修理するより新調したほうが安上がりだ。古くて故障の多い機械など処分してしまおう」なんて結論に至らないとは限らない。
「――ちょっと付き合わない?」
ふいにそんな声がして、本に影が落ちた。
顔を上げると、何時《いつ》の間に来たのか、ヴィヴィが立っている。
「見せたいものがあるんだ」
僕はヴィヴィに引っ張られるようにして外に連れ出された。学校の外に出て、フォリロス広場を横目に坂道を上る。
この先にあるのは星詠《ほしよ》みの灯台とチャルマが倒れた遺跡。さすがにノクトを探した時とは違って時間に余裕があるから駆け上がりはしないけれど、図書館籠《ごも》りの弊害《へいがい》か、歩くだけでも息が切れる。
それでも何とか終点に辿《たど》り着き。
「ほら見て」
息を切らして座り込んだ僕を尻目に、ヴィヴィは柵の向こうを指さした。
町並みを越え、塀を越え。指さす先は砂嵐が舞う町の外。空と同じサンドベージュに塗り潰されているのは砂が舞い上がっているからだろうか。ファータ・モンドの塔も見えない。
「砂しかない」
「砂しかないけど、その向こう。たまーに風が止むからそれまで見てて」
「……そんな無茶な」
頑張って目を凝らしたところで何もない。
町は透明な屋根で覆《おお》われているからあの砂が此処《ここ》まで飛んでくることなどないのに、見ていると目がシバシバと痛くなって来る。
あれだ。砂の写真みたいな模様を焦点を合わせないようにして見ていると、中から文字だの絵だのが浮かび上がってくるアレ。正確にはステレオグラムと言うらしい、視力回復に効果があるなんて謳《うた》われていたアレに似ている。
そう思いながら見ること十数分。
やはり見えない。絵や文字が浮かび上がってきたりもしない。
図書館にいたのなら今頃は本の1冊は読み終えている。そう思うと此処《ここ》に来るまでと、こうして無駄な努力を続けている時間がもったいない。
しかし「何も見えない」と言ったところで「見えるまで見て」と返ってくるのはわかりきっているから……僕は小さく溜息を吐《つ》き、再度、サンドベージュの世界に目を凝らした。
「あれ?」
サンドベージュの中に一瞬、違う色が見えた。
同じところばかり見過ぎたから残像でも焼き付いてしまったのだろうか。
もっとはっきりした色合いなら「見えた」と言えるのに、あれでは見えたのか錯覚なのかもわからない。下手に口走って「何が見えたの」と問われたら終わりだ。
だが。
「見えたでしょ? 生命《いのち》の花!」
助かった。先に回答が飛んで来た。
生命《いのち》の花。
以前、クルーツォの車に乗せてもらった時に見せられた花だ。
そう言えば、
『来月になったらファータ・モンドのほうを気を付けて見てみるといい。花霞で色が変わっている場所がある』
と言っていたっけ。
「あれが……」
あると信じてもう1度見れば、今度は確かにピンクがかったものが見える。
砂嵐が止んでくれれば、もっとはっきり見えるのだろう。
あの花が咲いていると言うことは、クルーツォはきっとあの花を採取しに行っている。このところずっと会うことができなかったのはそのせいだ。
彼は全ての薬があの花から作られると言っていた。
花の時期なんて余程のことがない限り1年に1回だし、その限られた期間に1年分の材料を掻《か》き集めなければいけないのだとしたら、戻ってくる時間も惜しいに決まっている。
それに生身の人間には過酷すぎる灼熱《しゃくねつ》地獄だけれども、アンドロイドなら――それも初期型なら――全て採取し終わるまで彼《か》の地に居続けることも可能なのかもしれない。
「あそこに……いるのかな」
「だろうね」
誰がとは言わなかったけれど、誰のことを指しているかはヴィヴィにも伝わったようだ。
僕はもう1度、砂嵐の先に目を向ける。
彼処《あそこ》にクルーツォがいる。
「大丈夫かな」
心配そうにヴィヴィは呟く。
彼にとってのクルーツォは”顔見知り程度の知り合い”でしかないはずだが、他人を案ずる気持ちは付き合いの長さに比例するものでもない。
花の採取自体は(量が量だけに手間と時間はかかるだろうけれど)それほど難易度の高い仕事ではないだろう。問題は砂嵐だ。いくら高性能な機械でも劣悪な環境で動かし続ければ故障しないとは言えないし、年式も古い。
他に採取仲間でもいるのなら調子が悪くなったところでどうにか連れ帰ってもらえるけれど、でも、もしひとりで採取に行っていたら。
動けなくなっても誰もそれを知らなくて。作られるはずの薬が何時《いつ》まで経《た》っても納品されないあたりまできてやっと事故に気がついてもらえて。けれどその頃にはもう機械の奥にまで砂が入り込んで再起不能に――。
「……大丈夫だよ。クルーツォなら」
勝手に幾《いく》らでも湧いて来る最悪な想像を振り払って、僕は逆の言葉を口にする。
昔の人は言霊《ことだま》と呼んで言葉に力があると信じていた。
口に出すのなら前向きに。悪い想像を口にして、彼《クルーツォ》の身に厄災が降りかからないように。
彼《クルーツォ》は僕らが生まれるよりずっと前から花を採取していたはずだ。彼《か》の地の危険も熟知しているし、”慣れた頃が1番危ない”という時期もとうに過ぎている。
それに強い。思えば薬師《くすし》のくせにあれだけ戦えたのは、身体能力と状況把握力がとんでもなく高いからに違いない。
だからきっと砂嵐の中に居続けても耐えられる。それだけの力がある。
「でもよく気がついたね」
僕は同じように外の世界に目を向け続けているヴィヴィの横顔を窺《うかが》う。
クルーツォが生命《いのち》の花の話をしている間ヴィヴィは一言も発しなかったけれど、だからといって聞いていなかったわけではなかった。
僕以上にそのことを覚えていて、僕が図書館に籠《こも》っている間もずっとこうして外を見ていたに違いない。
「うん。あの人とは薬局で会えるかもしれないって言ってたでしょ? そうしたら花の採取に行ってるって聞いて」
「クルーツォに?」
予想していなかった返答に、チクリと痛みが胸を刺す。
僕にとってのクルーツォもヴィヴィと同様、”名前を知っているアンドロイド”でしかない。向こうもそうとしか思っていない。なのにどうしてか、僕の知らないところでクルーツォとヴィヴィが会っていたと思うとモヤモヤする。
僕は何度行っても会えなかったのに、と。
「薬局の人。それから毎日此処《ここ》に来て」
返事をしながらもヴィヴィの目はずっと外の世界から離れない。
その返事に胸の奥が小さく痛む。
アポティも、僕には「来ていない」としか言わなかったのに。
違う。ヴィヴィは単にクルーツォの身を案じているだけだ。ヴィード、チャルマと立て続けに失ったから心配が過剰になっているだけだ。
そう思いたいのに、クルーツォに会うために薬局に日参しただの、ヴィヴィだけはクルーツォの行方を教えてもらっただのと聞くと、どす暗い感情が濃霧のように心の中に溜《た》まっていく。
どうしてだろう。
今までヴィヴィが相手を頻繁《ひんぱん》に変えても何も思わなかったのに。なのに何故《なぜ》クルーツォの時はそんなことを思ってしまうのだろう。
「生命《いのち》の花って何なんだろうねぇ」
僕の中で渦巻く暗い感情に気付く様子もなく、ヴィヴィは遠くを見たまま呟く。
「何って、花でしょ」
花は花だ。現物も見せてもらった。花弁《はなびら》だけではあるけれど、あれは確かに自然界に咲いた花で、それらしく作った偽物などではない。
「図鑑にも載ってないんだ。薬草なら載っていそうなものなのにさ」
本に載っていないと聞いて、フローロのリストの中に花関係の本が含まれていたことを思い出した。
あれはただ単に息抜きで読んだだけだと思っていたけれど、生命《いのち》の花について調べようとした痕跡だったのだろうか。あの中には載っているのだろうか。
それとも。
「………………ファータ・モンドに行けばわかるんじゃない?」
彼《か》の地の周辺で群生しているということは、あの花はファータ・モンドの管轄なのかもしれない。
だからこの町では知る術《すべ》がないだけかもしれない。
「そういうものかな。花だよ? こんな花があります~って程度なら載ってたっていいと思わない? 現にこの町で見かけない花だって幾つも載ってるのに生命《いのち》の花だけない、なんて不自然が過ぎるよ」
「何が言いたいの?」
「だからさ。もしかしてイグニの言う”フローロに何かあるかもしれない”って、」
「馬っっ鹿馬鹿しい! ヴィヴィまで厨二病が伝染《うつ》ったの!?」
喋っている声を強い口調で遮《さえぎ》り、僕はヴィヴィを睨《にら》みつけた。
じゃあ何か? フローロは生命《いのち》の花の存在を知ってしまったから狙われているとでも言いたいのか?
が、しかし。
「厨二、厨二、って馬鹿にするけどさ。もし本当だったら僕らも危険だってことだよ?」
ヴィヴィは口を閉じない。
それどころか、
「危険が迫っていることを知っていて何も対策しないのは本物の馬鹿だよマーレ」
言葉途中で遮《さえぎ》った僕をなじってきた。
「そんなに危険なものをクルーツォが教えるわけがないじゃない。アンドロイドは人間を守るものだよ」
「命が狙われるほどの極秘事項だってことを知らないかもしれない。彼にとっては毎日の仕事で扱う薬草ってだけなんだもの」
「だけど」
僕の考えが間違っているのか?
いや、どう考えたって考えが非常識に飛躍しているのはヴィヴィだ。
生命《いのち》の花の情報は何らかの事情でこの町では知ることができないだけ。”ファータ・モンドに行かなければわからない”ものはあの花に限ったことではない。
チャルマが信じているから、ヴィヴィもイグニの戯言《ざれごと》を忠告として信じたいのだろう。けれど、たかが薬草の存在を知ったくらいで命を狙われるはずがない。
それに何度も言うけれど、クルーツォはそんな危険な目に遭《あ》うかもしれない花を教えたりはしない。クリスマスの時も病院の帰りも、彼は僕たちを守るために動いたことを、よもや忘れたわけではあるまいに。
険《けわ》しい顔をしていたヴィヴィは、ほぅ、とひとつ息を吐《は》くと、困ったように眉尻を下げた。負けず嫌いな子供にどう言おうか、と考えるような顔だ。
そして。
「……そうだね。クルーツォがそんなことするはずがないか。うん、きっと新種なのかもしれない。品種改良の末にやっとできた花とかで、まだ登録されてなくて。だから本には載ってなかったのかも」
と、自分自身を納得させるように何度も|頷《うなず》いた。
その態度がこれまた僕の怒りを鎮《しず》めるために空々《そらぞら》しい嘘《うそ》を口にしたようにしか見えないのだけれども、妥協を模索してきた相手に「態度が気に入らない」と怒るのは堂々巡りで建設的ではない。他学生の規範となるべき”レトの学徒”とは言えない。
それにヴィヴィが提示した2番目の理由のほうがずっと現実的だ。
町の外は灼熱の陽射しと水分不足、そしてあの砂嵐のせいで、とても植物が育つ環境とは言えない。そんな中で花までつけるのはファータ・モンドでの品種改良の賜物《たまもの》に違いない。
彼《か》の地では専門分野が学べるし、その分野が海関連だけのはずもない。
海の再生のように失った過去に目を向けるのも大事だけれども、人々の暮らしを良くするための諸々《もろもろ》も大事なこと。何時《いつ》か現れるかもしれない未知のウイルスの脅威を見越して”万病に効く”薬草を作るのもそのひとつだろう。
そして改良途中で図鑑にも載せられない花だとしても、効果があるとわかっているのならただ散らせたりはしない。この世界では植物が育つ環境は限られていて、採《と》れる量にも限りがあるのだから。
「何にでも効くってよく考えたら凄いよね。ほら、ファンタジーであるじゃない? 回復魔法。それの強力バージョンみたいな。そういうことだよね」
「そう言うことになるね」
もしかすると、そんな万能な効能があるからこそ本に載せないのかもしれない。
存在を公《おおやけ》にすれば、それで一儲《ひともう》けしようと考える者は必ずいる。高く売れるからと乱獲する者も出て来る。
ラ・エリツィーノには子供しかいないし、薬草を手に入れたところで換金できる場所もない。
そもそも大金を持ったところで使うあてもないから、命を賭《と》してまで薬草を取りに行く労力と天秤にかければどちらに傾くかは明白だ。
けれども、ファータ・モンドを始めとする他の町でも同じとは言えない。だからあえて公《おおやけ》にはしていないのかもしれない。
第一、生命《いのち》の花の存在も、その花が万能薬になることも、僕らは教えてもらったから知っているけれど、他の学生は知らない。きっと人類のほとんどがあの花の存在を知らないまま死んでいくのだろう。
「ってことはさ、あの花をたくさん育てれば海を再生させることって可能なのかな」
「はい?」
突然の意外な提案に、僕は目を瞬《まばた》かせた。
「フローロの夢なんだよね? 海の再生。だからマーレも勉強してるんでしょ?」
ヴィヴィも知っていたのか。海を再生させるのがフローロの夢だと。
いや、その前に生命《いのち》の花で海を再生?
「え、と? そんなことできるの?」
「僕に聞かないでよ。でも厨二ファンタジーで、戦いで吹っ飛ばしちゃった山を回復魔法で元通りにする話は読んだことがある」
「ちょっと待って。……山……に回復魔法が効くの!?」
「いやだからファンタジーにツッコミ入れられても。でももし生命《いのち》の花がそんな使い方できるとしたら、海を再生させるのも全くの無理ゲー《クリア困難なゲーム》ってわけでもないって思わない?」
無理ゲーだと思っていたのか、ではなくて。
山を回復魔法で元通りなんてご都合主義まっしぐらなことが可能だったのは、あらかじめ成功するように作られた創作だからだ。
100歩譲ってもしそのご都合主義ができたとしても、山と海では格段に範囲が違う。海は世界全体の7割を占めていたと聞いている。
山ひとつ再生するのにどれだけ要るんだよという話だし、それが海にとなったら、地表を全て生命《いのち》の花で覆《おお》い尽くしても足りるとは思えない。
「現実的じゃないな」
しかし口では否定しながらも、もしかしたら、という6文字が頭の中から離れない。
もしかしたら。
やはりフローロは生命《いのち》の花について調べていたのではないだろうか。彼が生命《いのち》の花のことを何処《どこ》で知ったかと、いるかどうかも怪しい敵の存在はこの際置いておくとして、もしあの花の効能を知ったらヴィヴィと同じ考えを持たないとは言い切れないのではないか?
もしフローロがそんな厨二的発想に至っていなかったとしても。
ファータ・モンドに行って僕がそう提案することはできる。他人の功績を奪い取るようで気が引けるけれど、多分海関係の専門分野には行かないヴィヴィには提案する機会すらない……
高揚しかかった心は一瞬にして闇に塗り潰された。
……汚い。
ヴィヴィには無理だと言った口で、僕は自分の功績として同じことを語ろうとしている。フローロに、そして其処《そこ》にいるであろう先人たちに一目置かれたいと思っている。
それに。
僕はヴィヴィに気付かれないように上着のポケットを押さえる。
あの手紙に書かれてたことが真実なら、僕にすらその機会はないかもしれない。
「……花のことはクルーツォが帰ってきたら聞けばいい」
「そ、そうだね!」
クルーツォの名を出すとヴィヴィが顔を輝かせた……ように見えた。
生命《いのち》の花について尋ねるという大義名分を持って、彼《ヴィヴィ》はクルーツォに会いに行く。必ず。
クルーツォは不愛想に見えて結構親切なところがあるから(それがアンドロイドの特性だとしても)、ヴィヴィがしつこく絡んだところで邪険に撥《は》ね退《の》けはしない。
それどころかクリスマスの時に僕を守ってくれたように、そして病院から送ってくれたように、面識がある相手には結構簡単に近付いて来る。
彼《クルーツォ》と知り合ったのは僕のほうが先だけれど、このままだとそう遅くないうちにヴィヴィに奪い取られ――……
……あれ?
「――実はね、僕、クルーツォの調合室《ラボ》に行ったことがあるんだ。そうだね、また今度行ってみる」
ふと感じた違和感の尻尾。それを知ろうと手を伸ばしかけた僕に、投げられたヴィヴィの言葉はあまりに思いがけなくて。
世界が止まった。
クルーツォは僕が1番親しかった。クリスマスの時も”僕を”守ってくれたし、病院でも”僕に”気がついて送ってくれた。その間ヴィヴィは一言も話していなかった。
なのに、「調合室《ラボ》に行ったことがある」?
僕は彼《クルーツォ》が何処《どこ》に住んでいるかも未《いま》だに知らないのに?
「調合室《ラボ》……?」
「うん、凄いんだよ。今度マーレも連れて行ってあげようか」
クルーツォが誰と親しくしようとも僕が口を挟む権利はない。
ヴィヴィが誰と親しくなっても、それは同じ。
でも。
違う。
僕は首を振った。
この感情はあれだ。「皆で遊びましょう」と差し出された玩具《おもちゃ》のひとつを自分のものにしておきたくて、他の子に渡すのが嫌だと駄々をこねる子供と同じだ。
それだけ。それだけだ。
「帰る」
「マーレ!?」
僕はヴィヴィを置き去りにしたまま踵《きびす》を返した。
振り返りもせず坂道を駆け下りる。
おかしい。
これ以上此処《ここ》にいたら、ヴィヴィに勘付かれる。
僕は”レトの学徒”だ。他の学生の規範でいなくてはいけない。生身の人間相手でも首を傾げることなのに、アンドロイドによからぬ感情を持つなんてもってのほかだ。
この間はノクトに変な感情を持ちそうになって。
今度はクルーツォに向けそうになって。
おかしい。
僕は何処《どこ》かおかしい。
坂道の途中で僕は足を止めた。
ヴィヴィが追いかけて来る様子はない。マルヴォの一件を思えば、あんな人気《ひとけ》のないところにひとり残して来て良いものかと心配にもなるけれど、元々《もともと》この町で事件が起きるほうが稀《まれ》だし、話している間も誰かが来た様子はなかった。
ヴィヴィが毎日星詠《よ》みの灯台に行くことを知っているのなら先回りして身を潜《ひそ》めていることもあり得るけれど、それならなおのこと今日は避ける。そこまで読む相手なら、まだ近くにいるかもしれない僕に見つかりかねない愚《ぐ》を冒《おか》すはずがない。
そう自分勝手に納得させて僕はポケットから紙片を取り出し、セルエタのライトを起動させる。
紙片にはやや右肩上がりの文字が並んでいる。フローロの筆跡に似ている。
『親愛なる後輩のきみへ。
まだきみが何処《どこ》に行くかも決まっていないのなら、其処《そこ》から逃げてほしい。
けれどもしファータ・モンド行きが決まってしまっているのなら、彼《か》の地で僕を探して。
僕たちはきみが生き残れるよう、最善を尽くす』
しっかり向き合って読み込んでみても、拾った時にチラリと見えた内容と同じ。
だが逃げろとはどう言うことだ?
『――将来の道を決めかねているのなら、僕を追って来てくれる?』
旅立ちの日、フローロはそう言った。「逃げろ」どころか「ファータ・モンドに来い」というニュアンスだった。
矛盾している。
こんな意味深な手紙を書いておいて、その内容を忘れるだろうか。全く逆の内容を言い残して行くだろうか。
「……こんな、イグニの戯言《ざれごと》そのものじゃないか」
これは本当にフローロが書いたのか?
後輩を揶揄《からか》うにしては悪意がありすぎる。このせいで僕はチャルマを怒鳴りつけてしまったし、ヴィヴィとも気まずい空気になってしまった。
『危険が迫《せま》っていることを知っていて何も対策しないのは本物の馬鹿だよ』
ヴィヴィはそう言った。
そうだろう。でもやはり僕にはイグニの言葉もこの手紙も嘘《うそ》にしか見えない。
僕自身、フローロたちに害をなす敵というのはレトのことではないか、と疑ったこともあったけれど……やはりフローロから真実を聞くのが1番手っ取り早そうだ。
ひとつ思い出したことがある。
イグニのセルエタだ。フローロ曰《いわ》く「ファータ・モンドでことを起こすために必要な共犯」のイグニはきっとフローロの近くにいる。ならば、イグニのセルエタで持ち主を探し出せば、其処《そこ》からフローロまでは一直線。
そして鍵となるセルエタはチャルマ経由で今はノクトが預かっている。
の、はずだったのだが。
「何してるの!?」
イグニのセルエタはノクトの手によってバラバラに分解されていた。
「ああ、おかえり」
「おかえりじゃなくて!」
僕が手を伸ばすより先に、ノクトの手がセルエタを押さえる。
「触るな。部品が細かいんだよ。なくなったら直せなくなるだろ」
「直せるの!? 直すあてはあるの!?」
「そのつもり……ではいるが」
僕は頭を抱えた。
つもり、と言うのが危ない。語尾が微妙なのも危ない。目覚まし時計をバラバラに分解して「もとに戻せるはずだったのに」と言うのと同じじゃないのかそれは!?
能登大地はゲームを作るスキルがあるそうだが、だから安心なんて言えない。ゲームを作るのに必要な知識はプログラミングとかそういうあたりで、現物の機械をバラして組み直すスキルは必要ない。多分ない。
「何でバラしちゃったのさ!」
「仕組みが知りたくて」
「だけど」
「だって自分のをバラすわけにはいかないだろう」
「バラせばいいだろ! それでレトにこっぴどく怒られちゃえばいいんだ!!」
ノクトはイグニのセルエタの重要度がわかっていない。
確かに卒業生はもうセルエタを使わないし、分解して直せなくなったところで問題にはならない。後は廃棄するだけの消耗品の末路にまでレトが口を出すこともない。
けれど! これは”イグニの”セルエタなのに!
僕が海について勉強しているのはファータ・モンドでフローロに再会するためだが、実際のところ、提示された本を読んで知識を溜め込むだけで目的が達成できる確証はない。もし似たような分野が幾《いく》つもあったら、僕は勘だけを頼りにあてずっぽうで道を選ぶしかなくなる。
けれどイグニのセルエタなら、”フローロの協力者である”イグニを見つけ出すことができる。
彼のことだから既《すで》にフローロと別れている可能性だって無きにしも非《あら》ずだが、それにしたって居場所は知っている。フローロへの道が途切れるわけではない。
なのに!
「ちゃんと直すから心配するな。案外簡単な作りだからどうにかなる」
余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》と言わんばかりの顔でノクトは笑っているけれど。
「ホントに!?」
全く信用できない。
その顔は数年前、調子が悪かった電気スタンドを分解して、案の定組み直せなくなった時と同じじゃないか!
しかし、だったらお前が直せと押し付けられても困る。
年齢と能登大地のスキルで少しは技術面も成長していると思いたいけれど……ああ! バラしたせいで初期化したりしていませんように!
「信用しろって」
ノクトは苦笑すると僕の頭に手を伸ばした。
「ちょ、」
わしゃわしゃと無造作に掻き回される。多分頭を撫でている、もしくは宥《なだ》めているつもりなんだろうけれど、激しすぎて嫌がらせにしか感じない。
そんなにしたら髪の毛が痛む! 絡まる!
と言うか諸悪の根源に宥《なだ》められたくない!
「ちょ、やめ」
「俺もなぁ、此処《ここ》にいるって決めたからにはやることやらないとなって思ったんだ」
「やることがこれ!?」
「いや、バラしたのは単なる興味だけど」
「ほらあ!」
ノクトの「やること」が何かは知らない。
ゲーム関連の道に進もうとしているのではないかとは思っているけれど、本人の口からはっきりと聞いたわけでもない。
まぁ、その「やること」を放り出してセルエタを分解している時点で、大したことではないだろうけれど……って、そうではなくて!
僕はノクトの手を振り切って飛び退《すさ》ると、指で部屋を真ん中から区切る。
「いい!? この線からこっちは僕の陣地だから入って来ないで! 僕もそっちにはいかない!」
「……今の今までこっちにいたのはお前じゃねぇか」
「気のせい!」
そうだ。此処《ここ》に帰って来るといつもノクトのペースに乗せられてしまうけれど、最近の僕たちは距離が近すぎる。
そもそもノクトがやたらと手を出してくるからいけないのだ。
僕はクルーツォ同様、ノクトのことも何とも思っちゃいない。触れることがなければあんな変な雰囲気にはならない。
「陣地って、小学生かよ」
小学生の意味はわからなかったけれど、特に説明するでもなくノクトは椅子に座り直した。
セルエタを分解するのは止めたらしい。とは言え、今は僕が煩《うるさ》いから止めただけで、後で再開するであろうことは目に見えている。
「そっ、そんなことより、”やること”って!?」
セルエタの分解はただの興味だと言ったけれど、今までのレトへの反発を考えればどうにもよからぬことをしでかしそうで怖い。
なんせ中身は転生者・能登大地だ。転生者と言えば彼の大好きな厨二《ちゅうに》ファンタジーでは勇者の代名詞だし、きっと同じことを期待するはずだ。
思えばノクトは最近、考え込んでいることや単独行動することが増えた。
チャルマが消えたせいだと思っていたけれど、もしかしたら違うかもしれない。チャルマを奪った憎《にっく》きAIの抹殺を……それこそが俺のやることだった! なんてことを思い出したのだとしたら、それは全力で阻止しなければ。
「”や・る・こ・と”ってぇ?」
「あー……えっとな。ちょっと思い出したことがあって」
「過去のこと?」
「そう。それで確かめたいことがあって。もしかしたら俺が此処《ここ》に来た理由もそれじゃないか、って」
以前から思っていたけれど、何故《なぜ》ノクトはいつもはっきりと言わないのだろう。
転生なのか、転移なのか、此処《ここ》に来た理由は何か。前ふたつは飛ばされたショックで忘れてしまったかもしれないけれど、最後のひとつは「思い出した」と言うくらいなのだから説明できるだろうに。
しかしノクトは言わない。
だから推測するしかない。
能登大地が此処《ここ》に来た理由。
それは。
AIを倒す! ではなくて。
「……例えば……疫病のワクチンを手に入れて帰る、とか?」
そうだ。この世界は能登大地の世界の数百年後。
あの世界で滅亡するしか選択肢のなかった人類が、”あの世界の人々が知り得なかった方法を手に入れて”生き残っている世界。
さすがに光合成できる体になれというのは無理が過ぎるけれど、今はそれ以外にあの疫病に対抗できる手段がある。どんな病気にも効果があるあの薬草が。
「そうだよ! 生命《いのち》の花があれば、能登大地の世界の人は死ななくて済むかもしれないんだ!」
ヴィヴィは生命《いのち》の花を使えば海を再生できるかもしれないと言っていた。物量的にも実現可能とは思えなくて一蹴《いっしゅう》したけれど、海でも山でもなくて人なら俄然《がぜん》現実味を帯《お》びて来る。
ノクトがあの花を持って帰れば、前文明を滅ぼしかけた疫病に打ち勝てる。
彼《か》の時代に残してきてしまった妹さんを――全員死んでしまうしかなかった、光合成ができない旧人類の人々を――助けることもできる。
僕の説明をひととおり聞いた後、ノクトは顎《あご》に手をかけたまま考え込んでいた。
が、
「……無理だろう。あの世界に花を持って戻る術《すべ》がない」
と呟いた。
転生なら向こうの肉体は既《すで》に死んでいることが多いから、タイムマシンを作ってノクトの体で戻らないことには無理。
転移なら、彼をこの世界に召喚した力を探し出せれば戻ることは可能だと思われる。けれどそもそも誰が召喚したのかわかっていない。
それはわかっているけれど。
「ねぇ、こう考えない? どうしていきなり突然変異が起きたか、そのあたりは解明されてないんだ。もしかしたら誰かがワクチンをあの世界に持って行ったから人類は滅びずに済んで……光合成はワクチンの副作用だったのかもしれない。だっていくら突然変異だって言っても、いきなり光合成できるようにはならないでしょ? 細胞レベルとやらで」
ギリギリで人類が生き延びたことに生命《いのち》の花が関わっているとしたら。それを持ち帰る役がノクトだったとしたら。
だとしたら、ノクトが動かなければ過去が変わってしまう。突然変異どころか死滅する。
戻る方法は同時進行で考えていけばいい。
「そうだよ。本当に人類が滅んじゃったら、この世界もなくなるんだノクト」
ノクトは目を丸くした。
そうだろう。今まで自分が何故《なぜ》この世界に来たのかすらわからずにいたのに、いきなり世界の命運を託されていると聞かされたら。
「いや、でも」
「もう少ししたらクルーツォも戻ってくるし、そうしたら理由《わけ》を話して調合して貰おう。少しくらいなら花も融通してもらえるよ。年々増えてるって言ってたし」
不思議な話だ。
僕は転生も転移も信じたくなかったのに、何時《いつ》の間にかこの目の前の彼を能登大地と認識している。ノクトではなく、能登大地という”個”だと。