クリスマスの奇跡(悪夢)


 

まおりぼクリスマス2018。

クリスマス2016『サンタさん、あれ下さい』と、

本編Episode14『みらくる☆ちぇんじ!』を踏襲しています。

 

※女体化(というほどのものではない)があります。

 




「何だこれは」

 クリスマスを明日に控えた朝、グラウスは鏡に映った自分の顔を見て動きを止めた。
 鏡面の向こう側から同じように見返してくる女は左手にカミソリを持ち、右手を顎に当てている。そこから判断するに相手は左利きのようだ。ではなくて。
 グラウスは左手を顎に当てたまま、自身の右手を見、それから再度、女を見返した。


 驚かないのは自分が冷めているからではない。つい先日……と言うには微妙に月日が経《た》っている数週間前、似た症状を発症したばかりだからだ。
 あの時は城主を初めとするこの城の住人の3割が同じように性別が入れ替わった。魔界全土で言えば9割は変わったのではないかと思う。
 何故《なぜ》この城での発症率が少なかったのかと言えば、それはこの城が魔界を遠く離れた人間界に建っているから、というわけではなくて、元々性別のないガーゴイルが全体の7割を占めていたから、というだけなのだが。

 まぁ、説明はこの辺にしておいて。
 何故《なぜ》また発症したのだろう。時差でもあったのだろうか。グラウスはとりたてて必要としなくなったカミソリを洗面台に戻す。
 戻して、そこに見覚えのないものが置いてあることに気が付いた。


 それは緑地に茶色の鹿が並んだ紙袋。時期的に言ってこれは鹿ではなくてトナカイなのだろうが、大勢には影響しないからどちらでもいい。それよりも問題は何故《なぜ》このようなものがこんなところにおいてあるのだろう、と言うことだ。
 此処《ここ》は私室として与えられた部屋の一角。使うのは自分だけ。間違っても他の誰かが忘れて行った、ということはあり得ない。

 だとすると?

 能天気な発想をすれば、これはクリスマスプレゼントだろう。
 サンタとかいう老人は鍵のかかった家ですら侵入する類稀《たぐいまれ》なる能力の持ち主だと聞く。彼の存在自体怪しむべき点は多いし、第一、大人になってン十年の自分に今更サンタが来るとは思えない。だが、現実としてこれ《紙袋》があるわけで。


「そう! サンタの仕事じゃ!」

 いきなり声が聞こえた。
 と言うより、鏡に映る女の背後に突如《とつじょ》老人の顔が現れた。

「うわああぁぁぁぁぁぁぁああっ!」

 執事たるもの絶叫なんて見苦しい、なんて言っている場合ではない。
 誰もいないはずの自分の部屋に、自分の背後に、いきなり心霊写真の如《ごと》くジジイが現れたら普通は驚く。
 しかも。

「この間の家宅侵入者!」

 この老人には見覚えがある。
 数年前、城の廊下で倒れていた、「持病のシャク」とかいう病気持ちの老人じゃないか。
 相棒の布袋(「ほてい」ではない。「ぬのぶくろ」)はいないようだが性懲《しょうこ》りもなくまた入り込んだのか? また手伝わせた挙句《あげく》にエロ本を置いて帰るつもりか!?
 チラッ、とエロ本の表紙にあった黒髪のお姉さんが脳裏を横切りかけ、グラウスは慌てて首を振って打ち消した。あれは想像してはいけない。

「何じゃ。せっかくおぬし好みのおなごを用意したのに使いもせんで」
「顔が似ていればいい、なんて邪道でしょう!」

 使うって何だ。
 いや、これでも健全な成年男子。わからないわけでもないどころか多分正解を知っている。
 だが顔が似ていればいいわけではないのだ。しかも生身ですらない。
 メルルーサとスケトウダラどころかカニとカニカマくらい、いや、海産物の名が付いた一家の次女と海岸に打ち寄せられた海藻くらい別物じゃないか。
 だが。最初からサンタの助力などあてにし……。

「さすがにアレは酷かろう、と儂《わし》もピュアなハートが痛んだのでな。今年はちょっと頑張ってみたのじゃ! 何年も忘れずにいるなんて儂《わし》って真面目じゃのう♡」

 聞いちゃいねぇ!
 それにピュアだの真面目だのと自分で言うな。真面目を語るなら翌年には来るのが筋だろうに、こっちにしてみれば今更波風を立てに来るくらいならスッパリ忘れてくれていたほうがずっといい。


「だから! 今年はスペシャルサービス! おぬしをおなごにすることにしたのじゃ!」
「何で!?」

 話に脈絡がなさすぎだ。
 何故《なぜ》そうなる!? ガーゴイルが皆して「ピンヒールで踏んでくれそうなお姉様が欲しいです☆彡」なんて手紙でも書いて送ったのか?

「うんうん。ピンヒールは良いのぅ。儂《わし》もあと10年若ければ」

 ピンヒールで踏まれていたとでも言うのか!?
 冗談ではない。何故《なぜ》他人の性癖のために男をやめなければならないのだ。
 こうなったらガーゴイルたち全員を”革靴で”まんべんなく踏んでやる。いや、1日中革靴を履いた後の足で踏んでやる!

「理解できません。それなら私の願いを叶えるのが筋というものでは!? それなのに、何時《いつ》私が女になりたいなどと言いました!? 希望するものすら与えないで、あなたにサンタを名乗る資格など、」
「……報われない同性愛は辛《つら》かろう?」

 言い募《つの》るグラウスを前に、サンタはさもわかっている、と言いたげに肩を叩いた。

 全然わかっていない。
 その理由なら、あの人を女性にしたっていいだろう。いや、そうするべきだ。彼のほうが似合うし、何より攻は自分。それに性差の役割として昔から受の位置になりやすい女性の身では攻の立場を貫くのは難しいのだ。だからこそ譲れない。


「何を言う。世の中には襲い受けという性癖があるじゃろうが。良いのう、襲い受け」
「ご自分の趣味を押し付けてこられても困ります!」

 何が襲い受けだこの変態エロ爺め、と思いつつも、このお姉様仕様ならあり得なくはない。とも思う。
 むしろ押し倒される姿を想像できない。

 もしかしてこれは襲い受けのほうがいいのではないか?
 待っていても発展しない。
 誘ってみても気付かない。
 あの人はこの性癖押し付けジジイよりずっと純粋だから、性欲と縁がなさすぎてわからないのだろうと最近では思うようにしているが、このままでは100年経っても「お友達」の域を超えることはない。

 だったら!
 むしろ!

 こっちから襲えばいいじゃないか!

 攻の立場が譲れないと数分前に思ったばかりなのに掌《てのひら》クルンクルンに返しすぎだが、背に腹は代えられない。
 それにこの体にしたのはそこのジジイだ。全責任はジジイにある!


 だがしかし!

「あー、儂《わし》のせいにするんならやめちゃうもんねー」

 サンタはくるりと背を向けた。
 途端に鏡の中のクールビューティーが見慣れたいつもの自分に戻る。

「お待ちなさい!」

 グラウスは慌ててサンタを押し止《とど》めた。

「勝手に性別を変えておいて、何も起きないうちに元に戻したのでは意味がないと思いませんか?」

 さらに耳元で囁《ささや》きかける。

「……見たいでしょう? この肉体で絶世の美青年を押し倒し、モノにするところ……血沸き肉躍るめくるめく官能の世界……」
「(ごくり)」
「と、言うことで」
「と、言うことで!」

 それでも、とにかくサンタを乗せて盛り上がりかけたその時!

「お爺ちゃん、それは言わない約束よ!」

 サンタとグラウスの間に割って入るように――正確に言えば、7割ほどサンタを押し潰すようにして――白い袋が現れた。




「そんな話に乗っては駄目。だってサンタは世界中の子供たちの夢と希望の象徴! エロ話に血走った目を向けるのはただの爺さんよ! って、お爺ちゃんは何処《どこ》?」
「……あなたの下に」




 襲い受けがどうとか言い出したのはその夢と希望の象徴なんですが。
 そんなツッコミが入る余地はない。袋はパックリと口を開け……気絶している爺さんを呑み込むと、そのまま窓を突き破って消えてしまった。

「え? ちょっ!」

 ちょっと待て!
 唐突すぎる! 普通はサンタを宥《なだ》めたり説得したりするだろう!? なに有無を言わさず退場しているのだ!
 その前に! 窓を壊すな!

 サンタを食うな!!!!




 
 こういうシチュエーションのお約束として、一応窓から外を見てみたが、袋もサンタもいない。
 そう言えば毎回トナカイがいないが、ここでトナカイだけ出て来られても困るので詳しく探すのはやめておく。

 それより。
 帰る前に元の自分に戻してくれたのは助かった。これで女のままだったら来年までそのなりでいなければいけなかったかもしれない。
 襲い受けの野望が潰《つい》えたのは残念だが……。


「そうだ。あの紙袋」

 思い出して見てみれば、トナカイ柄の袋は残っていた。
 柄が柄だけに少々開けるのを躊躇《ちゅうちょ》するが、まさか10cm四方程度の袋からトナカイは出てこないだろう。
 と言うことで、潔《いさぎよ》く開けることにしたのだが。




「……グラウスさん? ですよね?」

 翌日。
 執務室に現れた執事をひと目見た青藍は怯《おび》えたように身を引いた。

「他の誰に見えますか?」
「いや、ええと……と言うか、何でまた」

 平然と微笑むクールビューティーを青藍はただ唖然と見上げる。
 何故《なぜ》朝起きたらいきなり執事が女になっているのだろう。やはり2度目ともなると驚かないが、疑問は残る。

「サンタから性転換の薬を頂きました。1時間ほどで効果は切れるそうですからご安心を」
「ああ……そう……」

 安心していいのだろうか。
 そんな得体の知れない薬をサンタから、って、サンタが大人にプレゼントを持って来ることなどないし、本当は何処《どこ》から入手したのだろう。
 そして問題はこの男、自分《青藍》が女だったらよかったのに、と口に出して憚《はばか》らない。ルチナリスも聞いたことがあるらしい。そんな男だからこそそんな薬を入手したとなると、自分《青藍》に使ってきそうで怖い。


「あなたに使ったりはしませんよ」

 執事はそう言うけれど、その台詞《セリフ》の何処《どこ》を信じればいいのだ。
 ひとつ嘘をつけば、ふたつもみっつも同じこと。その薬は本当にサンタからなのか? 本当に自分《青藍》には使わないのか? 聞きたいが絶対に墓穴を掘る。


「青藍様、襲い受けというものは御存じですか?」
「襲?」
「気にしないでください。1時間あれば済みますから」

 クールビューティーはそう言いながら青藍の手からペンを取り上げる。


 1時間あれば済むって何!?
 襲い受けって何!?
 いつも何を考えているのかよくわからない執事だが、今度こそ身の危険を感じる。


「グ、グラウスさん。ちょっと落ち着こう」
「私はずっと落ち着いておりますよ?」
「うん、そうなんだけど、でも、もうちょっと落ち着こう。ね?」



 世は12月25日。
 クリスマスの奇跡はまだ終わりそうにない。