2-2 悪魔たちの宴




「駄目っすね」

 義兄《あに》が遠ざかるのを見計らっていたかのように、あたし《ルチナリス》の背後にガーゴイルたちが数匹現れた。
 城主の秘密がばれないようにあたしを監視していた彼らも、今となってはただの話友達。正体を知られた今となっては監視する必要もないと思うのだが、彼らは常にあたしの周りをうろついている。
 やることがなければ石像に戻らないといけないので、無理にでも仕事を持とうとしているかのようだ。


「全く進展がないっす」
「むしろ吹っ切れ過ぎ」

 空中にあぐらをかいたり腕組みしたりと様々な格好のまま、彼らは義兄《あに》の消えた廊下の先を見る。

「進展って?」

 とりあえず空中にいるなら邪魔にはならない。あたしは止めていた掃除の手を再び動かす。

 はい、慣れました。お兄様。
 頭上に化け物がいても、背後に化け物がいても、こんなに心穏やかに掃除できる日が来るなんて思ってもみませんでした。
 自分の順応力が怖すぎる。


 そうでなくても人の少ない城だ。その数少ない人も城内を股にかけて暴れまわっているわけではないから、ほとんど汚れることがない。
 義兄《あに》は1日の大半を執務室で書類を相手にしているし、執事もその傍らにいることが多い。
 魔王の仕事は玄関ホールのみ。
 ガーゴイルに至っては空中にいる。
 どう考えても毎日熱心に掃除などしなくてもいい。

 それはあたしにだって重々わかっていることだ。義兄《あに》も「そんなに毎日掃除しなくても」と言ってくれる。
 年頃の娘としては雑巾を掴む時間があったら、その時間で買い物をしたいし、かわいい髪型とやらの研究もしたいし、爪だって磨きたい。

 ……が、うちには舅《しゅうと》と言うか心は姑《しゅうとめ》と言うか、とにかくそういう奴《やつ》がいるのだ。
 いや決して舅《姑》ではない。そんな関係はない。
 しかし!
 窓の桟《さん》に人さし指をツツツーっと滑らせて、付いたホコリをフッ、と吹き飛ばすあの態度!!
 「最近の若い子は四角い部屋でも丸く掃くのね」みたいなあの態度!!
 あれは姑以外の何者でもない!!!!

 あああ、どうどう、落ち着けあたし。
 と、まぁ。あのご主人様以外にはやたらと厳しい執事に何か言われるくらいなら、床くらい毎日磨くわ! と言うわけで。
 黙々と手を動かし続けるあたしに、ガーゴイルたちはわざとらしく溜息をついた。

「るぅチャンと坊《ぼん》の関係っすよ」

 ――ガシャン!

 その台詞《セリフ》に、あたしは絞りかけた雑巾ごとバケツをひっくり返した。

 何ィィィィィイイイ!?

 しかしガーゴイルたちは水浸しの床を見て「あ~あ」、と声を上げるばかり。

「相変わらず不器用っすね」
「そう言えばまたお皿割ったんだって?」
「グラウス様が呆れてたっすよ」

 執事の嫌味が伝染《うつ》ったのだろうか。
 空中に漂いながら好き勝手に喋り続ける化け物の足を掴《つか》んで引き摺《ず》り下ろして、その体を雑巾代わりにして床を拭いてやりたい!

 誰のせいでこうなったと思っているのよ! 暇なら少しは手伝いなさいよ!! そ、そりゃあお皿割ったのは悪いと思うけど……いや、それは今問題にすべきことじゃない。第一、その話題を持ち出さなければ、こうやって床が水浸しになることもなかったのよ!?
 と、心の中で叫ぶ。
 叫ぶけれど、さすがに面と向かってそれを言えるほど肝は座ってはいない。雑巾代わりするなんてもってのほか。
 義兄《あに》も執事も不在の今、人間を食べるかもしれない悪魔相手に言えませんそんなこと。



「坊《ぼん》は未だにるぅチャンのことを義妹《いもうと》にしか見てないっす!」
「俺らは種族の差、身分の差に苦悩する坊《ぼん》が見たいっす!!」

 彼らは下から睨んでいるあたしには目もくれず、拳《こぶし》を握り締めてそんなことを叫んでいる。


 勝手に妄想して盛り上がっていませんか?
 最近妙に周りをうろついているとは思っていたけれど、そういう意図があったってこと? そういう……。

 と。
 好き勝手に叫んでいたガーゴイルはいきなり振り返った。目が爛々と輝いている。

「だってるぅチャンは坊《ぼん》のこと好きでしょ? お兄ちゃんじゃなく!」
「なっ!?」

 いきなり何を言い出すのだこいつらはぁぁああ!


 そう言えばこの間も、あたしが襲われるんじゃないかとか言っていたっけ。
 他人の色恋なんてそんなに楽しいものだろうか。このどう見ても恋には縁がなさそうな人外にとってみても。
 でもお生憎《あいにく》様。あのお兄ちゃんがあたしに欲情する日なんか、世界が崩壊しても来ません。
 そうはっきり断言できてしまうところが悲しい。
 好みのタイプとか全然聞かないし、なによりあの人はそういうのに縁遠い感じがする。その辺は深窓のご令息なのかもしれない。変にスレてないと言うか。
 そうよ。お兄ちゃんは違うんだから!


「……出たよ、あたしの王子様はそんな世俗にまみれてないのよ現象」

 ガーゴイルの1匹がぼそりと呟いた。
 なんだその現象は。と言うか、今あたしの思考読まなかった?

「ちょっと、」
「ああいうボケたのが相手だと苦労するよなぁ」
「今あたしの考えてること、」
「一生気がつきそうにないよな」

 駄目だ。こいつら他人の話聞かない人種(?)だ。
 よくこんなのと10年も意思疎通してきたものだ。すごいわ、過去のあたし……って、そうじゃない。
 今は過去に目を向けるべき時じゃないわ。今やることは、掃除。




 しかしルチナリスが追及するのを諦めたとしても、彼らの中でこの話が終わったわけではなかった。

「ってことで坊《ぼん》のこと好きでしょ?」
「顔だけはいいもんなー」

 ベチャベチャになった雑巾を拾い上げようと床に手を付いたその隙に、後ろからガーゴイルがのしかかってくる。

「うぎゃああああああ!」
「あれー? るぅチャンこれ好きでしょ?」
「好きなわけあるかぁぁああ!!」

 どうも義兄が抱きついてくる例の挨拶を真似てみたらしい。
 しかし相手が違う。
 その顔で半径1メートル以内に近づくんじゃない! 食われるかと思うじゃない!!

「ま、それは置いといて。坊《ぼん》のこと好きでしょ?」

 人の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇえ!!
 好き勝手に言いたい放題の化け物を前にしていると、怒りと限りない虚無感が襲いかかってくる。
 いや、我慢。相手は人間じゃないんだもの。本能のままに生きている連中なんだもの。
 ここはあたしが歩み寄らないといつまで経っても終わらない。

「別に好きってわけじゃ、」
「そんなはずない! あの幼児から中高年まで老若男女問わず落とせる坊《ぼん》に、るぅチャンみたいな芋娘がなびかないわけないっす!」
「るぅチャンは目が腐ってるっす!」
「自分に素直にならなきゃ、幸せは逃げて行くっすよー!」

 1言うと10返って来る、ってきっとこんな感じなんだろう。
 いや、1じゃないな。0.8くらい。



 しかしまぁ、どうしてもあたしに好きと言わせたいんですか? あなたがた。
 限りない虚無感の後には感動すら湧いて……と言うかその前に聞き捨てならないことを言った。
 が、話を切り上げるためには我慢だ。我慢!
 ルチナリスは黙って雑巾を絞る。


 そりゃあ、さっきの正装は格好よかったわよ?
 でもあれはただ単に物珍しかっただけで。ほら、馬子にも衣装って言うじゃない? それよ、それ。ああいうちゃんとした服装は3割増しで格好良く見えるものなの。
 でもだからって、好きとかそういうのとは……。


 だが、頬が朱に染まるのを彼らの目が見逃すはずなどない。


「じゃあ話は簡単っす。坊《ぼん》をその気にさせれば」
「ええ!?」

 なにを言い出すのだガーゴイル!

「あ、あたしはそう言うの、」

 義兄のことは好きだが、彼らの言うように「兄」ではなくひとりの男として好きかと言われるとちょっと考える。
 今現在は兄以上恋人未満。まぁそれは相手が頑なに自分のことを義妹としてしか扱わない、と言うことも原因ではあるが。
 その義妹ポジションは案外心地いい。

「なに言ってるっす! のんびり待ってたらるぅチャンよぼよぼっすよ!!」

 そうなっても義兄の外見は変わっていないのだろうか。
 お婆さん相手に兄妹プレイ。……義兄ならやりかねない。

「花の命は短いっす!」

 あたしの命なんですが。

「大丈夫! 坊《ぼん》は火がついたら早いっす(多分)《かっこたぶん》!!」



 今日のガーゴイルさんたち、なんでこんなに燃えてるんだろう。
 ルチナリスは首を傾げた。
 義兄と執事が不在だからだろうか。

 だが、それはそれ。話が長くなる前に床だけは拭いておかなくっちゃ。
 執事に嫌味を言われるのは回避したい。


「坊《ぼん》は炎の魔法を使うでしょ? 魔法ってのは本人の性格に結構影響するもんなんすよ」
「炎は情熱の象徴っす! 恋は燃え上がるものっす!!」

 ルチナリスが黙々と雑巾をかけている間もガーゴイルたちの熱弁は続く。

「今までお兄ちゃんだと思ってたのに、まさかの告白! 泥沼の愛憎劇!!」
「実は血がつながってなかった! ……って、あ、あ、お兄ちゃ、ぁん!!」

 ……ついていけません。なんとかして下さい。
 絞り過ぎたのか雑巾がふたつに裂けた。でも暴走している奴らは気づかない。

「坊《ぼん》とるぅチャンは義理の兄妹ってシチュエーションはもうばっちりなんすから、あとは燃え上がる恋のきっかけを作るだけっす!!」

 最近勇者様も来ないし、娯楽がなくて暇なのかもしれない。
 ルチナリスは目を輝かせてあらぬ世界に行きかかっているガーゴイルたちを、ただ見上げるしかなかった。




「でも、ほらそれならグラウス様でも、」

 いい加減弄《いじ》られるのも嫌なので、ルチナリスは無理矢理話題を振ってみる。
 あまり考えたくはないが、義兄と執事の仲はガーゴイルたちの煩悩の標的らしい。
 マナー教本が服を着て歩いているような執事が泥沼の愛憎劇に陥るようには思えないけど、あたしで遊ばれるくらいなら代わりに標的になってもらおう。いつもの嫌味のお返しよ。
 そのお返しが全く本人に届かないのが残念だけれども!


 鼻息も荒く「どうだ」とばかりに見上げると、しかし、そこにあったのは予想外に冷めた顔。
 あれ? あのふたりの噂話をでっち上げている時ってもっと楽しそうじゃなかった?
 なによ、その顔。


「あ、グラウス様はもういいっす」

 ……はい?

「あの人はもう十分堪能したっす」

 なにその意味深発言!?
 堪能ってなに? まさかと思うけど泥沼の愛憎劇なんか繰り広げ済みってこと?
 あの執事と? あの義兄で?

 うわ――!!

 そりゃあ、あの忠誠心が変なベクトル向いたらもの凄いことになりそうだけ……駄目よ駄目ルチナリス!! 今、背景に薔薇が飛んでいそうな光景がちらっと見えたわ!

「だから今度は正統派のるぅチャンで!」

 ごめんなさい、その前に意味深発言の中身を教えて下さい。夜眠れなくなりそうです。

「ってことでるぅチャン、まず|坊《ぼん》が帰ってきたらぁ」

 だが意味深については答える気はさらさらないようだ。
 彼らの頭の中は既に計画の実行に向けて動いている。


 お願いします、教えて下さい。
 あのふたりが帰ってきたら、あたしまともに顔が見られないかもしれない。
 しかしガーゴイルに心の声は届かない。

 ねぇ! 
 さっき、あたしの心読んでいたでしょ!?
 だったら最後までちゃんと読みなさいよ!


「おかえりなさいのチュウを、」
「嫌です!!」
「なんでぇぇ!」
「だってガーゴイルさんたち見てるんでしょ!? そんなの絶対嫌!」


 冗談ではない。何故彼らを楽しませるためにそんなことをしなければいけないのだ。意味深発言も教えてくれないくせに! 
 教えてくれたら教えてくれたで眠れない事態に陥りそうだが、それでも知らないで悶々としているよりはいい。きっと。


「絶っっっっ対に嫌!!」

 ルチナリスが怒りもあらわに宣言すると、ガーゴイルたちはいかにもがっかりした様子で肩を落とした。

「……こんなことならグラウス様とくっつけとけばよかったっす」

 ちょっと待て!
 やっぱりそれか? そっち方面なのか!?
 執事はどうでもいいがお兄ちゃんまで変な道に突き落とすな!!


「や、やればいいんでしょ!! でも見るのはなし!!」

 ルチナリスの妥協案にガーゴイルたちは不満そうに鼻を鳴らす。
 見るなとは言ったもののこいつらは絶対どこかで見ているだろう。姿を消すことだってできるのだから。
 それを思うと頭が痛い。





 まんまと彼らの暇つぶしのおもちゃにされてしまった。
 悔しいが仕方がない。お兄ちゃんを毒牙から守るためにも、ここは義妹のあたしが一肌脱がなければ!

 歓喜する彼らとは裏腹に、ルチナリスの心にはどろどろと暗雲が広がっていく。
 部下のしつけが全然なっていない。あとで義兄に文句を言おう。