14-7 11:30 a.m 配膳室~廊下




「今日もいい天気よ!」

 そう言いながら青年は窓を開け放った。
 開け放ち、呆れたような顔で自分を見上げている手のひらサイズの精霊に視線を落とす。

「……なぁに? まだ踏ん切りがつかないの?」
「踏ん切りとかそう言うものではなくてね。やっぱり私は此処《ここ》にいるべきだと思うのよ」

 見下ろされている精霊は、男体を女性ものらしき意匠《デザイン》の服に包んでいる。
 顔立ちも中性的だとは言え男の顔なのだが、何処《どこ》となく民族衣装っぽい服のおかげで違和感はあまりない。スコットランドのキルトのように「これは我々の国では男性の服なのだ」と言われればそれで納得できてしまうような。

 だが青年は不服らしい。

「せっかくあたしが用意した服が着れないって言うわけ?」

 と溜息を交えて愚痴っている。


「だって大きいのだもの」
「ア~~ド~~レ~~イ~~?」


 もはや言うまでもないが、青年はスノウ=ベル。手のひらサイズのほうはアドレイが変化した姿だ。
 城の住民が一斉に変化した昨日、スノウ=ベルは早々に男性ものの服を姉《アドレイ》に届けたのだが、未《いま》だに着てもらえない。
 それを着るサイズになるには、怪しげな「大きくなる薬」を飲まないといけない、とあっては、アドレイが二の足を踏むのも仕方がないとは言えるのだが。

「いい? こんなチャンスは2度とないのよ? 外を見て歩くには人間の大きさが必要だし、でもいつもの姿じゃ外に出たのがバレちゃうでしょ? それにこの変化は何時《いつ》戻ってしまうかわからないの。そのうち、なんて先延ばしにしていたらチャンスそのものを失うことになってしまうのよ?」
「……チャンスも何も、」

 自分は外に出る気はない。
 そう言いかけてアドレイは口を噤《つぐ》んだ。それは、せっかくの妹の好意を無下《むげ》にすることになる。

「それに、悪魔の城は今日は開店休業。青藍様もグラウス様も今日は暇だから、あたしひとりでもどうにかなるわ!」
「開店休業って何かあったの?」
「ホールが使えなくなっただけよ」

 先ほどのガーゴイルたちの惨事《氷漬け事件》のせいで、ホールは足の踏み場もない。なので悪魔の城としての営業は休むことにした、というのは表向きの言い訳で、本音はこれ以上青藍に下心しかない男どもの相手をさせたくないだけだろう。
 そんな個人的感情が8割くらい入った理由で休業にするなんてね、とスノウ=ベルは言うけれど、そこはアドレイも同意見だ。だが勇者と戦わなけばそれに付随する諸々《もろもろ》の時間が余るのも確かなこと。いつものように戦闘中だから繋《つな》げない、ということも今日ばかりはなさそうだ。

「だから行ってきて!」
「……ああ……うん……」

 アドレイは妹を見上げる。
 とにかく城の外に出れば、彼女も満足するだろう。1時間ほど城の外をぶらついて戻ってくればいい。あの薬も、妹が先んじて安全を確認してくれているのだから……。

「……そうね」

 願わくば自分が外に出ている間に皆が滅ぶことがなければいいのだが、10年無敗の魔王がいて、且《か》つ、今日は休業なのだ。さすがにそれは杞憂《きゆう》だろう。




 その頃、ルチナリスはおっかなびっくり廊下に足を踏み出したところだった。
 一昨日までは普通に行き来していた場所なのにここまで不安が勝《まさ》るのは、何と言っても自分の容姿のせいでしかない。

 どうしよう、ルチナリスだと気づいてもらえなかったら。
 どうしよう、不法侵入者だと思われたら。
 だったら部屋にガーゴイルが来た時に「実は男になっちゃってましたー!」とカミングアウトしてからのほうがいろいろと楽だったのではないかと今になって思うが、食事ひとつ持って来るのに1日かかった奴《やつ》のこと。次に来るのが何時《いつ》になるか知れたものではない。
 それに。

 タンドリーチキンだけで飲み物がついて来なかったから、口が乾いて仕方がない。





「あれぇ? もしかしてるぅチャン?」

 数歩数進んだところで背後から声をかけられた。部屋に来ていたガーゴイルと同じ個体かどうかはわからないが、ヒラヒラフリルのエプロン姿で箒《ほうき》を握っている。
 このエプロンは先ほども見た……違う。ついさっきはひよこ柄だった。だとすると違う個体なのか? それとも衣装チェンジしただけか!?
 会う度《たび》に破壊力が増していく人外に受けるダメージも半端ない。風邪と称して部屋に引き籠《こも》っていたルチナリスの仕事を代わってくれているのだろうから、強くは言えないのだけれど。

「あ、うん」
「すごいわぁ、どっからどう見ても男の子じゃないのぉ」

 こいつらのおネェ言葉にも慣れた。
 それより、やっぱりあたし《ルチナリス》に見えるんだ。嬉しいような、がっかりしたような。
 もっと不審者扱いされて一悶着あると思ってたのに、こんなにナチュラルに認識されるなんて拍子抜け。毛布を|被《かぶ》ってひとり悶々《もんもん》としていたのが馬鹿みたいだわ。
 ルチナリスの胸中をそんな愚痴《ぐち》やら何やらが、プカリ、プカリと浮かんでは消えていく。

 うん。消えたのよ。
 解決したわけじゃないけれど、腹の底に溜まり込んでいた鉛の塊が溶け出していったような爽快感を感じる。見慣れたオンボロな城内までもが光り輝いて見える。
 案ずるより生むが易しって本当にそれ。


「それって坊《ぼん》の服でしょ? こうやって見るとそっくりよねぇ」

 ガーゴイルは箒《ほうき》を動かす手を止めて、しみじみと呟いた。
 頬に手を当てる仕草が何処《どこ》となく城下町のオバチャン'sを彷彿《ほうふつ》とさせる。こんな人外に似ているなんて言ったら息の根を止められるから、彼女たちには絶対に言えないけれど。

 でも。

「そ、そう?」

 男のあたしが義兄《あに》に似ている?
 あの城下の奥様方にファンクラブまで作られている義兄《あに》に?
 爪を切るだけでも背中に薔薇を背負《せお》っていそうなあの義兄《あに》に?
 女装して前途有望な純朴《じゅんぼく》青年をあらぬ道に叩き落としたあの義兄《あに》に!?
 ブサメンならともかく、種族を越えてモテまくる(相手は微妙だが)あの義兄《あに》に似ていると言われるとちょっと頬が緩《ゆる》むかも。
 何それ、あたしちょっとイケてるってことー?♡♡


「髪の毛縛ってるとことかー」
「そこかいっっ!!」

 右ストレート炸裂!
 ちょっとでも期待したあたしが馬鹿だった。

「酷いわ! 女の顔をぶつなんてっっ!」
「あんたを女だと思ったことなど1度もないわ!」

 よよよ、と泣き崩れるフリフリエプロンの前で仁王立ちしていると、遠目から見れば女の子に暴力を振るっている危ない男にしか見えないかもしれないが、こればっかりは譲れない。
 あたしはヒロインなのよ? 見た目は男だけど。
 普通の物語なら「どうしてこんな姿に!」なんて悲劇から「大丈夫、きみは俺が元の姿に戻してやるよ。絶対に」みたいなラブロマンスに発展するのが普通でしょ? どうして延々とコメディ路線が続くのよ。

 ……いや、相手が義兄《あに》ならラブロマンス路線に持って行けたはずだ。
 全ては目の前のこいつらが原因。こいつを倒さなければ未来永劫、あたしは真のヒロインにはなれない!


 どうすれば倒せる?
 ルチナリスは仁王立ちのままガーゴイルを見下ろす。
 奴《やつ》はこう見えても魔王配下。並大抵の勇者は魔王に辿り着く前にこいつらに倒される。それだけの腕を持っている。

 今までの独自調査によると、奴《やつ》らは魔法は使わない。質より量の人海戦術が基本だ。
 そして今。
 奴《やつ》は1匹。
 対するあたしには男の体と腕力がある。右ストレートも決められる。

 ……勝てる!



 つい数時間前に心の友呼ばわりした相手にもかかわらず、ルチナリスはそっと戦闘態勢に入る。

 そして。


 ――アッパー!


「変ねぇ、こんなに女の子なのにィ♡」

 スカッ!


 ――回し蹴り!


「ほら、見てこのこの脚線美♡」

 スカッ!


 ――踵《かかと》落とし!


「あら♡ 埃《ほこり》が」

 スカッ!


 攻撃は悉《ことごと》くかわされた。



 ……どうせこんなことだろうと思ったよ。
 挫折《orz》のポーズ、今回2回目。紅《あか》い絨毯《じゅうたん》に点々と染みが落ちる。
 くそう、これは涙じゃないわ。汗よ。心の汗なのよ! 
 そんな強がりを心の中で叫んでも、誰も賛同などしてくれない。魔王に挑戦する権利すら与えられずに敗退する勇者の気持ちが、今頃になってわかった気がする。

 非力だ。
 ヒラヒラとフリルエプロンの妖怪の如《ごと》く廊下を舞い踊る人外の化け物に、自分の攻撃はかすりもしなかった。
 思えば、唯一入った最初の右ストレートも全く効いているようには見えなかった。確実に入ったし、我ながら重いパンチだとも思ったのだが……普段から義兄《魔王》に足蹴《あしげ》にされている彼らからすれば蚊が止まった程度のダメージなのだろう。悔《くや》しい。


「あら? るぅチャンどしたの? そんなところで椅子の真似?」

 ルチナリスの失意など全く気にしていない様子で、奴《やつ》はこともあろうにorzのポーズ《四つん這い前屈姿勢》のルチナリスの背に腰を下ろした。
 そしていそいそとポケットから手鏡を取り出すと自分を映して見惚《みと》れている。その手鏡も裏面に石や硝子《ガラス》で薔薇を飾った妙にゴスロリ乙女系。

 畜生! あたしでもこんなファンシーな代物持ってないのに、どうしてこいつらが持ってるのよ!
 と言うか!

「座るなぁぁぁぁぁぁぁああああっ!」

 ルチナリスは背に乗ったガーゴイルを振り落とした。
 何をしてくれるんじゃいこの人外が! とヒロインらしからぬ暴言を吐きそうになったところで、その口が止まる。

「あれ?」
「どうしたのぉん?」

 振り落とされてもなお手鏡を握り締めていたガーゴイルが、妙にくねったポーズのまま目を瞬《またた》かせる。
 床に振り落としても致命傷すら与えられないなんて! と落ち込みたくもなるけれど、今はそれより気になることが。


「あー、いや、そこの廊下に今、」
「誰もいないわよぉん?」

 指さした先に目を向けたガーゴイルはそう言う。
 確かに誰もいない。

 いない、けれども。

「……うん。”今”は、そうなんだけど」

 よく見えなかったけれど……今さっき、ガーゴイルの後ろを見覚えのない人が通り過ぎて行ったような。




 なんせあっという間に横切ってしまったのだ。その間、数秒もかからない。
 そして目の前にはどうにも視線を釘づけにしまう人外の女装姿。視覚の暴力だと訴えたくなるようなフリフリエプロンを身に纏《まと》い、羽根で視界をさらに塞《ふさ》いでいる。ルチナリスの視界もほぼソレに覆《おお》われていたと言っていい。

 だが、もし本当にいたのなら野放しにするわけにはいかない。
 此処《ここ》は一般人が入ることのできない居住区域。以前勇者が踏み込んだという異世界へ通じる穴も何処《どこ》に開いているかわかったものではないし、その前に義兄《あに》や執事の正体がバレる決定的な何かを見られるおそれもある。彼らは日常生活で魔法を使うことはないけれど、例えば魔界からの書類とか、魔王に関するナントカとか、そう言うものを。

「ちょっとどいて」

 ルチナリスはフリフリエプロンを押し退《の》けると廊下の曲がり角から先を覗《のぞ》く。
 扉の開閉音は聞こえなかった。今見た人影が目の錯覚でないのなら、まだ廊下に……。

 ……いた。

 窓の外を眺めながらのんびりと歩いている男の人が。
 緑を基調にした服に髪の金色がよく映える。腰まであるその髪は絹糸のように細く、真っ直《す》ぐで、それだけでもルチナリスのコンプレックスを刺激する。
 男のくせに長髪なんて、とは義兄《あに》もそうだから言えない。それにあんな綺麗な髪なら男だからと言うだけで短くするのは勿体《もったい》ない。
 しゃらしゃらと鳴るのは左手首のブレスレットだろうか。後ろ姿だけ見ると女性に見えなくもないが、窓に目を向ける横顔は男性だろう。
 中性的な柔らかい顔立ち。
 顔に内面が出るのだとすれば「かなりいい人」だと思われる。
 だから。

「あの」

 ここは落ち着いて。間違っても中身は弱い、なんて悟《さと》られては駄目。もし相手が悪人ならつけあがらせてしまう。
 穏やかなお兄さんに見えるけれど見た目が性格を決めるわけじゃない。あのゾロゾロした腰布の内側に武器を隠し持っているかもしれないし、もしかしたら魔法を使ってくるかもしれない。

 だいたい凶悪事件の犯人はこういう顔をしているものなのよ。
 事件の後で犯人の知り合いって人に印象を聞くと、9割の確率で「こんなことをするとは思っていませんでした」「優しい人でした」って回答が返って来るでしょ? 顔で悪意のほどがわかるなら、勇者の師匠なんて完全に犯罪者。でも実際には金髪美女《ソロネ》と茶髪美少女《メグ》のほうがエグいことをしたじゃない。それを考えればわかるわよね、ルチナリス!

「ノっ、ノイシュタイン城にご用でしょうか?」
「……え? あ、いえ。妹に外に出てこいと追い出されてしまって」

 突然呼び止められた青年は、不躾《ぶしつけ》な質問に困ったように口元を緩《ゆる》める。

 すごくいい人っぽい!
 いや! 駄目よルチナリス! 世のシスコンの兄が押《お》し並《な》べて善人とは限らないわ!
 そう思いたいけれど、そこは自他共に認めるお兄ちゃんっ子の性《さが》。「妹を持つ兄」と言うだけでいい人に思えてくるのはどうしようもない。
 いや!
 いやいやいやいや!
 だったら勇者様はどうなのよ。あの妹以外は女だとも思っていない、それどころか利用できるものなら利用しようとする態度! しかも怪しい妄想癖有り!
 アレも「妹を持つ兄」だけど絶対にいい人なんかじゃ、


『……僕もやめたほうがいいと思う』


 海での言葉が耳の奥でよみがえった。

 ……そう言えば、お姉様《ソロネ》の勧誘に反対してくれた、よ、ね。
 青藍様の正体も薄々察しているみたいなのに、ずっと黙っていたわよ、ね。
 あたしが魔界に行くって言った時もついてきたし、アイリスと柘榴《ざくろ》が危なくなった時も助けに入ってくれたし。
 いや! 
 何を考えているのよ。勇者を名乗っているのなら当然の行いよ!
 そうでなくとも妄想が激しいんだから、きっと「僕は勇者だぁ☆彡」なんて自分で暗示にかかっていただけなのよ。それでたまたま善行をしたに過ぎないのよ!
 ルチナリスは脳が揺れそうなくらい勢いよく首を振って否定する。

 ええい、脱線するんじゃないわよあたし!
 今考えなくてはいけないのは、目の前のお兄さん《侵入者》。このお兄さん《侵入者》をどうするかだわ。


 目の前の青年は相変わらず困ったような笑みでルチナリスの次の句を待っている。
 声をかけられても逃げ出さないのは、侵入するつもりではなかった証拠かもしれない。本当についうっかり入り込んでしまっただけなのかもしれない。
 ほら、勇者様だって玄関近くからテラスまで飛ばされたでしょ?
 あんな風に途中に異世界を挟めば、本人の意思に関係なく居住区域に入り込んでしまう。

 だとするとやはり観光客なのだろうか。
 ずっと引き籠《こも》っていないで出かけてこい、と家を追い出されて、でも行き先が思いつかなくて、仕方なしに近場の観光名所に来てみました。とか。
 そしてふらふら彷徨《さまよ》っているうちに居住区域にまで入り込んでしまいました。とか。


 じろじろ見るのも失礼だとは思いつつ、ルチナリスは目の前の青年を観察する。
 オルファーナまで行けばいるかもしれないが、ノイシュタインやゼス《隣町》の中では義兄《あに》くらいしか思い当たらない長髪男性。
 襟のない白のシャツにグレーに近い灰緑のパンツ&幾何学模様が薄く入った布を腰に巻き、腕には金の細い腕輪が数本、という服装もこのあたりでは見かけない。
 少数民族の人だろうか。
 旅芸人一座の団員かもしれない。踊り子の後ろで弦楽器を弾いていそうなイメージが。

 うん。そうよ。
 今日か昨日か、つい最近ノイシュタインに来たのかも。興行まで時間があるから散歩でもしてらっしゃい、なんて言われたのよ。
 そうでもないと1日中テントの奥で楽器の調律をしていそうだもの、この人。

 で、勇者のように異世界の入口を踏んでしまった、と。
 槍を持った妖精だの3つ首の化け犬だのに追いかけ回される前に戻って来られたのは、彼にとっても自分たちにとっても幸運だとしか言いようがない。客に怪我でもされた日には損害賠償にどれだけ請求されることか。
 全く。
 そんな通路がガバガバ開いていたら、セキュリティもへったくれもないじゃ……


「るぅチャーン! 何かあったのぉぉぉぉん?」
「ぎゃああああああああ!!」

 背後から聞こえてきた浮かれた声が、ルチナリスを現実に引き摺《ず》り戻した。
 声を掻き消すように叫び、振り返り、そして猛ダッシュ!

「ち、ちょっと待ってて!」

 待てと言われて待つ義理など金髪青年のほうにはないのだけれども。
 廊下の曲がり角に現れかけた角《つの》をその身で隠しながら、ルチナリスはその角《つの》ごと角を回り込んだ。


 案の定、そこにいたのはフリフリエプロンの妖怪。
 ガーゴイルからしてみれば「誰かいた」と追いかけて行ってしまったルチナリスを心配してのことだろうが、でも見た目が悪すぎる。
 せめて人間の形をしていてくれればトカゲに似ていようがガマガエルに似ていようが構わないのだが、ここまで黒くて角《つの》と羽根が生えた人間などいるものか。「やァ、とっても仮装が上手だね!」で誤魔化《ごまか》せる領域など軽く突破してしまっている。



「いったぁい。ん、もう! 女の子に乱暴なことしちゃ、メッ! だぞ☆彡」

 力任せに追いやられたガーゴイルはそんなことを言いながら指で銃の形を作り、ルチナリスに向かって撃つ真似をした。「メッ☆彡」の部分が撃つ真似だ。ウインクまで付いている。
 何処《どこ》で仕込んで来たかは知らないが……ガーゴイルに萌え要素はいらない。


「メッ! は、いいから! とにかく出てこないで!!」

 さっきのお兄さんに見られたらどうするんだよこん畜生!
 そうでなくても悪魔の城なのに!

 「悪魔」が出て来る場所は決まっているの! こんな居住区域に普通に悪魔が出て来たら問題がありすぎるの!
 いくら領主は悪魔に襲われないって嘘くさい設定がまかり通っていたとしても、百聞は一見に如《し》かず。嘘で誤魔化《ごまか》すには限度というものがあるのよ!


 押《お》し止《とど》めていても、ガーゴイルはルチナリスを越えて曲がり角の先を見ようとする。
 一応は城の警備が本職。侵入者がいると言われれば気になるのだろう。
 しかし。
 しかしだ。
 こいつが出て来ては穏便に済むものも済まなくなる。
 此処《ここ》は何としてでも死守しなくては!


 ルチナリスはガーゴイルの両肩を掴むと、息を吸った。

「……出て来たら……あのことをバラすぜ」

 イメージとしてはラスト15分前くらいで華々しく散る、ちょっとニヒルな相棒役。
 声は低く。腹の底から。

「えっ!?」

 その脅し文句に、ガーゴイルは急に落ち着きを失《な》くした。
 視線も何処《どこ》を見ているのやら、明後日のほうを彷徨《さまよ》ったままルチナリスとは合わせようとしない。
 そして。

「あ、む、向こうの掃除に行ってくるわねぇん」

 と言い残すと、逃げるように去って行ってしまった。


 ……余程後ろめたいことがあるらしい。
 バラすはずの「あのこと」に心当たりなどなかったが、後できっちり聞いておいたほうがよさそうだ。




 ルチナリスがガーゴイルを撃退して戻って来ると、青年はさっきと同じ位置で待っていてくれていた。
 よかった。胡散《うさん》臭い男とこれ以上かかわりたくない、って逃げられても仕方のない状況だったのに。
 やっぱり「妹を持つ兄」はいい人だ(但し勇者を除く)。


「あ……っと。すみません。ええと、此処《ここ》は観光客は立ち入り禁止区域なんです」

 でも。いい人のところ申し訳ないけれど。
 とにかく城の外に出さなくては。ガーゴイルを見つけられる前に。義兄《あに》の秘密が知られる前に。

 青年はきょとんとした顔をして、案の定、ルチナリスをまじまじと見る。
 そうだろう。メイド服や執事服みたいな「いかにも仕事中」な恰好ならまだしも、今のルチナリスが着ているのはシンプルなシャツにシンプルなパンツ。「夏場の軽装にご協力ください」なんて貼り紙の貼られたお役所で事務をやっている人にも見えるし、ただの学生にも見える。バーカウンターの向こう側でシェーカーを振っている人にだって見えなくはない。

 つまり。城の関係者だと証明できるものは何もない。
 関係者っぽい台詞《セリフ》を吐いている時点で察して、と言いたいところだけれど、口先だけで関係者を名乗れるのなら、それこそセキュリティも何もあったものではない。

 都合よく義兄《あに》か執事でも通りがかってくれれば、やんわりと追い出してくれただろう。一緒に自分《ルチナリス》も追い出されるかもしれないけれど、後で戻って来ればいい。
 なのに、いつもなら「る~~う~~~~」と浮かれた声でやって来る義兄《あに》はこういう時に限って現れない。腰巾着の執事も来ない。
 他に「関係者(種族:人間)」に見えるのはマーシャさん《厨房のオバチャン》くらいだが、彼女が厨房の外に出て来ることなど天地がひっくり返ってもありえないし、その前に、観光客が何処《どこ》に入り込もうと気にしてくれそうにない。


「みっ、見えないかもしれないですけれどっ! あた、いや俺はここの下働きみたいなものでして、決して怪しいものではないんです!」

 下働きなのは間違っていない。
 下働き風情が何言ってんだ、と別の話になりそうだけれども、そこは人手がないんだ。察してくださいお兄さん。

「か、観光するならもっと他にいいところがありますよ。ノイシュタインは初めてですか? ただの田舎町に見えますけれど名物料理は海老《エビ》料理! 食べましたか? 食べずに帰ったら後悔しますよ? だったらご案内しますよー!!」

 名物が海老《エビ》料理だなんてお姉様《ソロネ》からまた聞きしただけだ。
が、城下町の酒場兼食堂に連れて行けば何か置いてあるだろう。と言うか、この町で海老《エビ》が食べられそうな店はそこしかない。
 ソースの絡んだ殻《から》を剥くのはうんざりするほど面倒だけれども、裏を返せば時間が潰せるということだ。それも初対面の赤の他人同士。口をでっかく開けて、口の周りをソースまみれにして、殻《から》ごとかぶりつく様《さま》を見せるほどには親しくない。殻《から》を取り、ソースを絡《から》め、お上品に食べようと思うだろう。
 そう思えば思うほど時間はかかる。1時間なんて余裕で吹き飛ばせる。
 何処《どこ》かで時間を潰さなければいけないお兄さんにはもってこいだと思わない? 妹さんに土産《みやげ》話もできるし(自画自賛)!


「……海老《エビ》は……」

 お兄さんは口籠《ごも》る。

 しまった。もしかして海老《エビ》嫌いだった?
 たまにいるわよね、あの背ワタの黒いのが嫌だって人。もしくは甲殻類アレルギーとか。
 じゃあ、どうしよう。

 ルチナリスは窓の外を見る。
 歪《ゆが》んだ硝子《ガラス》越しでもわかる青い空。強い日差し。
 ああ、こんな日は外に行くより涼しい城の中で過ごしたいわよね……ってそれじゃ駄目。ええと、ええと。
 そうだ。夏の定番、かき氷!
 ……は、隣町に行かないと食べられないけれど、確か似たようなのが駅前にワゴンで出ていたじゃない!


「そっ、それならアイスクリームとかどうですか!?」

 ああああああ! 何だこのデートにお誘いするみたいな台詞《セリフ》は!
 男同士でアイスクリーム!?
 初対面の挙動不審な同性に言われたら普通は引くわよ! ホモだって思われるわよ! 通報されるわよ!

 しかし。


「……そうですね。それではご一緒していただけますか?」

 心の中でもんどりうつルチナリスに同情したのか、青年は出会った時のままの穏やかな笑みでそう返して来た。

 え?
 デートOKですか?
 もしかして……そっちの趣味の方ですか? だったらどうしよう。あたし、ご期待には添えそうにありません。
 いや違うでしょ! ここは連れ出すのに成功したぜラッキー! って言うところでしょ。自分で言って、自分で引いてどうするのよ。
 それに同性愛主義者だって決まったわけじゃない。きっとあまりにテンパってるあたしを気の毒に思ってくれたのよ。だってこの人はいい人なの! 心の中には妹がいるの! きっとあたしの気持ちを察してくれたんだわ。
 ありがとうお兄さん! 空気読んでくれて!!


「そ、そそそそそそそそうですね。行きましょう」

 ルチナリスは先頭を切って歩き出す。
 心臓がまだバクバク言っている。
 思えばデートみたいなことをしたのって、誕生日の前日に義兄《あに》と喫茶店でパフェ食べたことぐらい。しかも注文も支払いも全て義兄《あに》がやってくれた。
 これって……思ったよりあたしにはハードル高いかも。でも今更退《ひ》けない。





「……るぅチャン、ね」

 背後で青年が呟くのが聞こえた。
 まさかとは思うが、そう呼ぶつもりだろうか。