ターコイズ・ブルー


 

此処はかつてドラゴンが浄化を担っていた世界。

 

しかしそのドラゴンが絶滅寸前となった今、

人々は街を外界から隔離せざるを得なくなった。

 

煙突掃除の少年「アオ」は

自称ドラゴンの「どんぐり」とそんな街で暮らしている。

 

ずっと今のままが続くと思っていたその時、

街に嵐がやって来て――。

 

 

オカザキレオ様「君とドラゴン企画」参加作品です。

 




 この街には空がない。
 昔の昔のそのまた昔。僕のひいひいひいひいおじいちゃんが生きていた頃にはあったらしい。
 機械とか文明とか、暮らしはどんどん豊かに、楽になったけれど、そのかわりに僕らは空を失った。
 この街の天空を覆うのは金属の半円。そこに「天気」が映し出される。「天気」はお正月に1年分が発表されて、カレンダーにも記載されている。
 今日の「天気」は快晴。
 ムラのないターコイズブルーがのっぺりと塗りたくられている。


 昔、この世界にはドラゴンがいた。
 空を悠々と飛び回っていた。
 昔から――僕のひいひいひいひいおじいちゃんの頃から――文明の発達による大気汚染は問題視されていたのだけれど、ドラゴンが毒素を吸い込んでは浄化してくれていた。
 でもそうしてドラゴンに頼っていた罰が当たったのだろう。いつしか人間が生み出す毒はドラゴンのキャパシティを超えてしまった。
 ドラゴンは倒れていく。毒は増え続ける。
 
 だから僕たちはガチャポンのカプセルのような中に街を作り、その中で暮らさざるを得なくなった。
 この踏みしめている土の下には、空の半円の残り半分が埋まっている。
 半円の外は死の世界。
 人は、住めない。




「今日も嘘くせェ色の空だねェ」

 僕が煙突の掃除をしていると、リュックの蓋《ふた》を開けて、どんぐりが顔を出した。
 お昼に食べなさいね、ってママが持たせてくれた茹《ゆ》でラドの実を齧《かじ》っている。頬がリスのようにパンパンに膨らんでいる。

「投影装置がイカレてんじゃねェのカ? 空ってェのはもっと……」
「そんなことより僕の分は?」
「あ? なぁンも聞こえねェなァ」

 どんぐりはリュックの中から薄紫のラドの殻を取り出しては外に捨てている。住環境を快適に整えるのは文化的な生活の第1歩だよナ、なんて言いながら。

「こいつァ殻が硬《かて》ェのが欠点だナ。ケツに刺さって仕方ねェ」
 
 次から次へと出て来る殻の量からいって、ママが持たせてくれた大半が既にどんぐりの腹に収まってしまっているのは間違いない。





 どんぐりは身長10cmくらいの(自称)ドラゴンだ。
 でもドラゴンには見えない。多分、ドラゴンだと言い張っているのは本人《本竜》だけではないかと思う。




 胴体は鱗《うろこ》の代わりに継ぎ目のないツルンとした外殻――それこそドングリのような――に覆われ、そこから短い手足が生えている。
 顔は申し訳程度に爬虫類顔ではあるけれど、目は点のように小さく、頭に装着している僕とお揃いのバイザーがさらなるドングリ感を醸し出す。
 背中にはハロウィンのコスプレみたいに小さな羽根。飛ぶというよりも落ちる速度を緩める程しか役に立たないであろうということは、羽根を持たない僕にでもわかる。

 要するに、外見はドングリの妖怪。
 うん。妖精なんてかわいいもんじゃない。妖怪。
 「どんぐり」って名付けたのは僕のひいひいひいひいおじいちゃんだけど、ネーミングセンスは間違っていない。と言うか、そんな昔からこの体形だったのならドラゴンだっていうのも本人《本竜》の思い込みではないのだろうか。

「失礼だナ。この体型はアレよアレ。進化」
「進化ぁ?」

 本人《本竜》曰《いわ》く、この体形は街に住むために適した形なんだそうだ。
 確かに本で見たドラゴンは大きかった。街の中では窮屈だろう。
 昔、ドラゴンがどんどん死んでいった時期に、人々は街の中で保護することを決めた。その時保護した1匹がどんぐりで……今となっては唯一の生き残り、でもある。

 外に何匹のドラゴンが残っているのかはわからない。
 死滅してしまっているかもしれない。
 どちらにしろこんなに小さいどんぐり1匹では外の世界を浄化するなんて無理な話だし、だから、どんぐりはこの先もずっと僕のリュックをねぐらにして暮らしていくのだろう。

 僕はそれでもいいと思っている。
 だって世界を汚したのは人間だ。ドラゴンが――どんぐりが命を賭《と》して浄化する義務なんて何処《どこ》にもない。


「オメェのゲームとおンなじさァ。ええと、”ぺかちう”とか言ったっケ? アレと一緒でいつかは神々しいドラゴンになるわけヨ!」
「”ぺかちう”はネズミだからドラゴンには進化しないよ」
「あー! そンなこと言っちゃッて、言っちゃッて! そン時に崇《あが》め奉《たてまつ》ったって遅いンだからナー!!」

 自由に空も飛べない体形で、それでもどんぐりはドラゴンだと言い張るけれど。
 ひいひいひいひいおじいちゃんの頃から数えて100余年、今更神々しい進化なんて期待するほうが間違っている。


 僕はブラシを煙突に突っ込む。
 ボフッ、と大きな音がして、真っ黒い煤《すす》が噴き出した。

「まぁッたく。人間ってェのは汚すのが好きだネェ」

 どんぐりは大きく口を開けた。
 あたり一面に撒き散らされた煤が、掃除機に吸い込まれるように口の中に吸い込まれていく。

 この煙突掃除が僕とどんぐりの仕事。
 ドラゴン(自称)などんぐりにはこの程度の煤を呑み込むことくらい朝飯前なんだろうけれど、でも、本当はやってほしくない。
 この煤がどんぐりの腹の中で毒になって、そうしたらいつかは他のドラゴンみたいに死んでしまうのではないかって……そんな気がしてしょうがない。

「へッ、こちとらそんなヤワな体してねェんだヨ。何てッたッて進化してンだからナ」

 たまにはソレらしいことをしねェとドラゴンだってことを忘れちまうのサ、と、口から黒い煙をタバコみたいにプカリと吐き出してどんぐりは笑う。
 ドーナツの形に浮かんだ煙は、ふわふわとターコイズブルーの空に消えていった。



「それよりサ、じきに嵐が来るゼ」

 どんぐりは鼻の穴をヒクヒクさせて空を見上げた。
 
「嵐?」
「そ。でっかいのがサ」

 どんぐりに倣《なら》って同じように見上げたけれど、ターコイズブルーの空に変化の兆《きざ》しはない。
 だって天気は何ヵ月も前から決まっている。
 雨や雪ならともかく、街を壊す恐れのある嵐なんて設定されるわけがない。

「とにかく仕事は終わりダ。早く帰らねェと吹っ飛ばされるゼェ」
「ええ!? あと1本で終わるのに」

 僕は空を支えるかのように一際《ひときわ》高くそびえ立っている煙突を見上げた。
 今日の仕事をサボっても明日に繰り越されるだけ。もし明日、熱を出しでもしたらあの煙突は明日も掃除ができなくて……最悪、他のやつに仕事を取られてしまう。

「……ラドの実が買えなくなっちゃってもいいの?」

 どうせサボりたいだけだろう。悪魔の誘いに乗るわけにはいかない。
 僕は煙突の穴からブラシを引き上げると、丸い悪魔を睨みつける。

「ケッ、ワーカーホリックめ」

 どんぐりは頬を膨らませると羽根をぱたつかせて飛……いや、ゆるぅりと眼下の街に落ちていった。おおかたエラおばさんのバル《居酒屋》に忍び込んで、昼間っからサシ酒でも飲むつもりなのだろう。

「ドラゴンの酒漬けにでもなちゃえばいいんだ。 どんぐりなんかいなくたって僕はひとりでやっていけるんだし!」

 最後のほうはヤケクソ気味に叫んで、僕はすっかり軽くなったリュックを背負い直した。




 けたたましく叩《たた》かれるドアの音に目を覚ましたのは明け方。
 枕元の時計は4時を指しているけれど、窓の外はまだ暗い。
 もうひと眠り、とベッドにもぐりかけた耳に飛び込んで来たのはパパの声。早口で、大声で、まるで怒鳴り散らしているかのよう。こんな朝っぱらから喧嘩《けんか》だなんて近所迷惑な……。

「嵐が来てるッてェのにグースカ寝てられるなンて、大物だなァ、おい」

 その声に顔を上げる。
 枕元にどんぐりがいた。ビスケットをバリバリと噛み砕いている。

「ああ! ベッドで食べるなって言ってるだろ!?」
「固《かて》ェこと言いなさンな。空見せてやッから」

 どんぐりは前足についたビスケットの粉を腹でパンパン、と払い落とす。
 粉は足下に――要するに僕のベッドの上に――散らばった。

「空?」
「まァ来いッて。あ、ッと、防毒マスク付けンのは忘れンなヨ」

 どんぐりはそう言うと窓を開けた。
 ゴウ、と大きな音を立てて風が吹き込む。棚の上の写真立てを叩き落とす。
 粉々に散らばった破片の中で、僕とどんぐりが歪《いびつ》な笑みを浮かべていた。




 いくつもの路地と屋根を伝って、僕たちは街で1番高い煙突に辿り着いた。

「見ろヨ」

 リュックの蓋を薄く開けてどんぐりが上を指さした。
 いつもは青や赤が映し出されている半円に、大きな亀裂が走っている。
 風はそこから入って来るのだろう。大人たちが群がっている。亀裂を塞《ふさ》ごうとしている。

「あれが空ダ」

 どんぐりは呟いた。
 亀裂の向こうにくすんだターコイズブルーが広がっている。風が黒く渦巻いている。

「やだねェ。本物まであの色かイ。俺様が知ってル空ってェのハ、」

 言いかけて、どんぐりの口が止まった。
 割れた半円の向こうを凝視している。まだら模様のターコイズブルーを。

「あれ、は……?」

 霧の中を羽根の生えた影が見え隠れしながら飛んでいる。口から光を発するたびに、霧がビスケットを齧《かじ》った痕《あと》のように欠けていく。

「ドラゴン! 生きてたンだ!」

 どんぐりは嬉《うれ》しそうに叫ぶとリュックから飛び出した。

「待って!」

 僕は慌てて茶色の塊を両手で掴む。

「外の空気は毒なんだよ!」
「毒なンざ! こちとら街の毒を吸い込み続けてン《・》十年ヨ」
「知ってるけど、でも!」

 浄化され尽くした街から零《こぼ》れ出る程度の汚れと、外界で渦巻く毒は違う。空を舞っていたドラゴンとどんぐりでは大きさも違う。
 それなのに出て行ったりしたら……毒漬けドラゴン一丁上がり! なんてシャレにもならない。

「てやんでェ! 俺様を舐めンなヨ? これでも進化したンだからナ」
「ゲームじゃないんだから! ドラゴンは”ぺかちう”みたいに進化しな、」
「最終形態ッ!」
「は?」
「見てわかンねェのかよ。進化したンだヨ! 見ろ! 風の抵抗を受けない流線形のボディ! 毒の侵入を防ぐ継ぎ目のない一体型の鱗! 古来より弱点とされた目は極限まで小さく! そしてッ!」

 どんぐりは頭のバイザーを目の位置まで下ろした。

「このバイザーはアオのひいひいひいひい爺さんが開発した、毒もビームも女の子のイヤン♡な視線も防ぐ正義のヒーローの必需品! 防御+99の優れものサ!」


 鼻高々《たかだか》などんぐりには悪いけれど、何処がどう変わったのか全く見当がつかない。
 でもどれだけ進化したとしてもどんぐり1匹では無理だ。もう1匹いても、きっと。
 だって僕のひいひいひいひいおじいちゃんの頃から積もり積もった毒なんだもの。
 たくさんいたドラゴンだって死んでしまうくらいの毒なんだもの。
 それに。
 それに……。



「オメェはもうひとりでやっていけるンだろ?」

 なだめる声におそるおそる両手を開けると、どんぐりが僕を見上げていた。
 昨日屋根の上で叫んだ声は届いていたらしい。でも今それを言わなくても。

「ドラゴンらしく生きてェンだヨ」

 どんぐりはヨイショ、と立ち上がると半円を振り仰ぐ。

「あのターコイズブルーはいけねェな。アレは本当の空の色じゃねェ。空ッてェのはもっと……青《アオ》。そうだ、青いんだ」


 ふわりとどんぐりは浮かび上がった。
 懸命に羽ばたきながら空に上っていく。
 亀裂から吹き込む風に怯《ひる》むこともなく、高く。遠く。


「いつかアオにも本物の空を見せてやるからよ……ゥ……」


 そして。
 最後の声は、風に溶けて消えていった。




 煙突にブラシを突っ込むと、黒い煤《すす》が噴き出す。
 僕は背負った掃除機でそれを吸い込む。
 仕事が一段落ついたら、座り心地の良さげな屋根で一休み。茹でラドの実を割って口に運ぶ。


『本物の空を見せてやるからよゥ』  


 亀裂から入り込んだ毒素を浄化するのに数年かかったけれど、今は以前の数値にまで戻った。
 半円の劣化していた箇所の修理も全て終わった。パパが「2度と亀裂なんて入らないように塞いでおいたからな」と言っていたとおり、街は厳重に密閉され直された。

 外界がどうなっているのかはわからない
 どんぐりの消息を知る術《すべ》も、ない。



「……どんぐり」

 パキ、と割ったラドの実の殻が、指を紅く傷つける。

「僕は――」




 滲《にじ》む空の色はターコイズブルー。
 ”自由”を表す、青。


 

 

 滲《にじ》む空の色はターコイズブルー。

 ”自由”を表す、青。

 

 


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