1-2 勇者が町にやってきた




 ノイシュタイン城下町は山の麓にある小さな町だ。
 山の反対側は海が迫っているという、山も海もある美味《おい》しい土地柄……と言えば聞こえはいいが、開けていない土地というのは案外発展できないもので、此処《ここ》も寂れた田舎町といった風情を醸《かも》し出している。

 いや。一応は汽車の路線もある。隣町へ、ではあるが乗合馬車もある。
 しかし寂れている。
 本数が少ないせいかもしれない。増えれば活気づくのかもしれない。けれど観光地でもない田舎町にわざわざ来る者などいないから、増えようがない。



「ふう」

 ルチナリスは町の入口で立ち止まると息を吐いた。
 頭上に掲《かか》げられたアーチ状の看板には「ようこそノイシュタインへ」という剥《は》げかかった文字が躍《おど》っている。町側から見ると「いってらっしゃい、よい旅を」と書いてあるアレだ。いかにも手書きのその文字が、ものすごく田舎っぽい。

 この町に来るのも何日ぶりだろう。
 城下町とは言え、此処《ここ》は城とは全く空気が違う。城では嗅《か》ぐこともない魚の臭いは、ああ本当に来たんだなぁ、という小旅行感すら感じさせる。
 なんせ山の中腹にある城。仕事が早く終われば残りの時間は自由にしてもいいとは言え、ちょっとやそっとの暇で外に遊びに行ける環境ではない。行きは下り、帰りは上り、というのも出不精になる要因かもしれない。
 現に今回だってマーシャさん《厨房のオバチャン》のおつかいで来ただけだ。


 空を仰ぐと白い雲が細い筋になって流れて行くのが見えた。まるで風の精霊が舞っているように軽やかに。片や、かすかに聞こえる波の音はセイレーンの歌声に似たメロディーを奏でている。
 こんな町だから、本当に精霊を見たと言う人もひとりふたりではなかったりする。それが真実かどうかはわからないけれど、そう言いたくなる雰囲気に満ちている。
 そう。
 ごく普通にある海辺の田舎町にしか見えないけれど、この町はただの田舎町ではない。今の領主の茫洋とした性格を表しているかのように一見穏やかな……言い方を変えればつかみどころのない町だ。

 ふわり、ふわり、と夢と現《うつつ》がないまぜになったような温かさはどこまでも曖昧で。でも、もしその精霊云々《うんぬん》が本当なら、人間も人間ではないものも結構うまい具合に暮らしているのではないだろうか。
 精霊というのは見た目はかわいらしいけれど、結構な気分屋で、気に入らなければ攻撃してくることもあるという。力の強さもピンキリで、虫に刺された程度の被害から、火災、津波などという天変地異に近いものまで。
 そんな連中があちらこちらで「見える」と言うことは、見えない町よりもその数は多いだろう。母数を考えれば、こうして問題もなく平和に暮らすことができるのは「上手くやっている」ことの証だ。

 他の町からすると精霊が昼日中に出てきたりするのはかなり異常なんだとか。
 でも|此処《ここ》ではそれをいちいち問題にする者はいない。
 領主の居城が悪魔の城なんて呼ばれているくらいだから、その手の話題には慣れているに違いない。




 そんなこんなで「おつかい」も終《お》え。折角《せっかく》来たんだもの、店先を見て歩く程度はサボりにはならないわよね、とちょっとだけ寄り道をしてみたりして。
 八百屋の若奥さんが売っている林檎のシナモン焼きに心惹かれたり、洋装店に飾られたワンピースやエナメルの鞄にそれを着た自分を想像したり。そんなかなり迂回した帰り道の道中、小間物屋の店先に蒼《あお》というには明るめの色をしたリボンが風になびいているのが見えた。
 その色に義兄《あに》の瞳の色を思い出す。あの深い蒼は、光が入るとこんな色になる。





「あら、るぅちゃん、久しぶりねぇ。領主様はお元気?」

 立ち止まったルチナリスに小間物屋の女店主が気づいて声をかけてくるのもいつものこと。
 子供にとっては八百屋や魚屋より雑貨が並ぶ店のほうが魅力的に映るように、ルチナリスも小さい頃からよくこの店先をのぞいていた。小銭を握り締めて初めての買い物をしたのもこの店だ。つまり所謂《いわゆる》「顔なじみ」。
 義兄《あに》に連れられてこの町に来たルチナリスにとって、この女店主は数少ない顔見知りと言える。

「最近、領主様を見ないから心配してたんだよ。ノイシュタイン城の悪魔に苛《いじ》められてるんじゃないかってね」
「そんなことないですよぉ」

 笑いつつも執事に散々小言を言われまくっている義兄《あに》を思い出した。
 ある意味、苛《いじ》められている。


 女店主は頬に手を当てて城のある山の中腹を見上げると、

「そうは言ってもね、あのお城気味が悪くて……あぁ、るぅちゃんの前で言うことじゃないんだけど。先祖代々の城だかなんだか知らないけどもうちょっと明るくならないのかねぇ」

 と呟いている。
 鬱蒼《うっそう》とした木々に半《なか》ば埋もれている城は、昼日中だと言うのに胡散《うさん》臭くて、そう思いたくなる気持ちもわからなくはない。と言うより同感だ。ルチナリスは女店主の言葉に深く頷《うなず》く。
 あの城の外観をどうにかしてくれ、と、何度|義兄《あに》に言ったことだろう。その度に「後でねー」とか「考えとくー」とかと適当にはぐらかされてきた。
 例の玄関ホール同様、手が付けられないのかもしれないが、領民が気味悪がっています、と訴え出ればもう少し考えるに違いない。第一、城主の義兄《あに》が御自《おんみずか》ら掃除することなどないじゃないか。予算が足りないのか? だったらあたしも手伝うのに水くさい。
 何もテーマパークを目指しているわけではないのだ。人間だって整形しろとまでは言わないけれど、他人から不快に思われない程度の小奇麗さを保つのはマナーでしょ? それと同じよ。



 そんな思いを胸に城を見上げていたルチナリスの視界の端で、光が反射した。
 目をやると鎧を着た集団が通りを歩いている。光ったのは剣士の鎧か、額《ひたい》あてに付いた宝石だろう。いでたちからいって、この町によく訪れる冒険者の一行に違いない。特に名前を明示しながら歩いているわけでもないので、町の人たちはこのような集団はひとくくりに「勇者様」と呼んでいる。
 大袈裟な呼び名だが本人たちがまんざらではないようなので、そう呼ぶことが定着している。

 悪魔に精霊に勇者様。
 ファンタジーの世界を地《じ》でいっている町ってあまりない。現に隣町のゼスや数駅離れたオルファーナには、ほとんど勇者様は現れないらしい。


「また来たわね、勇者様。今日は多いわね」

 女店主は眩しそうに、通りを歩いて行く一行を見やった。
 彼らはこの町で食糧や薬草を買い、宿に泊まり、武器防具を調達する、所謂《いわゆる》お客様。1日で数万~数10万Gのお金を落としていってくれる。此処《ノイシュタイン》は彼らのおかげで潤っている、と言っても過言ではない。


 さあ、ここで「あれ?」と思った聡明な方はいるだろうか。
 勇者は来る。お金も落として行ってくれる。だが、何故《なぜ》か徒歩でやって来る。
 そう! 彼らは汽車も乗合馬車も使わないのだ。
 鎧のせいで椅子に座れないのか、その前に出入口でつかえるのか。そもそも武器を携帯しているから乗車拒否されるのか。剣と魔法のイメージに汽車や馬車は合わないと敬遠されるのか。
 とにかく彼らは徒歩で来る。


 穏やかな町には不釣り合いすぎる鎧が、日の光を浴びて鈍く光る。
 その傷み具合からかなりの修羅場をくぐって来た猛者であることは、戦闘経験皆無なルチナリスでもわかった。「城のまわりでスライムを倒し続けてン10年」で経験値を稼いだのではない。ドラゴンやひとつ目の巨人のような、一生に一度出会えるかどうかと言う怪物を相手にしたこともあるに違いない。肩を並べて談笑している弓使いと僧侶もそれなりに強そうだ。
 生憎《あいにく》とステータスを見る能力などという厨二《ちゅうに》まっしぐらな能力の持ち合わせがないので、「強そう」としか言えないが。

 それにしても、近くに有名なダンジョンでもあるのだろうか。そうでなくて、こんな片田舎に何の用があると言うのか。
 そんな疑問を浮かべるルチナリスの隣で女店主は、

「早く悪魔を退治してほしいものよねぇ。そうすれば領主様も安心して暮らせるのに」

 と、ポツリと呟いた。

「悪魔退治?」

 ルチナリスは彼女の言葉をオウムのように聞き返す。

 初耳だ。この町には悪魔が出るのだろうか。
 でもその割には、町の人々に暗い影はまるでない。




 悪魔というのは人間を狩って食べてしまう存在を指す。昔から伝えられ、描かれて来たとおりの醜い異形の化け物たちだ。
 何処《どこ》から来てどこへ帰っていくのかもしれない彼らは、突如現れては村ひとつ滅ぼして去っていく。この世界にはそんな恐怖が其処彼処《そこかしこ》に潜んでいる。

 あたしがノイシュタインに来る前に住んでいた村も、悪魔の人間狩りによって滅んだ。
 あの日、空から下りてきた無数の化物の姿は、10年経《た》った今も忘れることができない。奴《やつ》らによってあたしは住んでいた家と、養父と、日常を失ったのだ。
 今でこそお城で楽しいメイド生活をしているように見えるけれど、それは義兄《あに》があたしを拾ってくれたからで。もし義兄《あに》に出会わなければあたしは今頃飢えて死んでいた。

 そんな不幸の原因でしかない悪魔がこの町にも出ると言う。だから勇者様が退治しに来てくれるのだと。
 女店主は、今、そう言った。


 知らなかった。
 |義兄《あに》はこのことを知っていたのだろうか。
 いや、知っていたらあたしを町に出しはしないだろう。あたしが人間狩りで何もかも失ったことも知っているのだから。

「悪魔が……出るの?」

 ルチナリスの問いに、女店主は不思議そうな顔をした。

「なに言ってんだい、お城の悪魔のことだよ。そりゃあ領主様は悪魔に襲われることはないって言われてるけどさ。ほら、るぅちゃんや執事さんは働いてるだけの普通の人なんだし」

 何だそのチート設定は。
 いやその前に。
 「お城」の「悪魔」? そりゃああの城は悪魔の城なんて呼ばれてはいるけれど。悪魔同然の鬼畜仕様な人もいるけれど。義兄《あに》曰《いわ》くお化けも出るらしいけれど。
 と言うか、情報過多で頭が追いつかない。

「え、えっと、青藍様は襲われない、の?」
「本当に何も知らないのかい!?」

 女店主は目を丸くする。何だか自分ひとりが非常識だと言われているようで居心地が悪い。


 この世界の何処《どこ》にいても悪魔は出る。此処《ここ》だけは特別、なんて言えるのは結界に守られた聖都ロンダヴェルグくらいのものだ。
 ましてやノイシュタインは――ノイシュタイン城は「悪魔の城」。これで出なかったら詐欺だと言うか、きっと訪れる勇者たちもその噂を耳にしたから来たに決まっているのだけれども、でも「残念ね。噂は噂でしかないわ」と思っていたのも事実で。

 なのに。

 女店主が言うには、ノイシュタイン城はその怪しげな俗称どおり本当に悪魔が出るらしい。
 そんな城に住んでいて大丈夫か? と普通は疑うところだけれど、城主の家系は悪魔に襲われることがない特殊な血だそうで、住んでいても平気なのだそうだ。
 とっても嘘臭い。
 けれど、まぁ、そこは置いといて。

 だがその噂から考えると悪魔が勝手に避《よ》けてくれる、というだけだ。しかも城主《義兄》だけ。
 普通に考えれば、住み込みで働いているあたしたちにその効果は及ばない。特殊な血とやらを持っているわけでないのだから当然だ。
 つまり、義兄《あに》以外は何時《いつ》悪魔に襲われるかわからないというわけで……。


「今まで凱旋《がいせん》して戻って来た勇者様っていないのよねぇ。あのかわいい領主様が毎日涙で枕を濡らしてるなんて、あたしゃ耐えられないよ」

 女店主はエプロンの端で涙を拭う。
 いや! 問題はそこじゃないだろう!? いくらなんでも大の大人(しかも男)が悪魔が怖いって泣いたりはしないし、義兄《あに》はあの|顔《ビジュアル》と妙に子供っぽい性格のおかげで町の奥様方に人気なのは知っているけれど! でも問題は! そこじゃない!
 悪魔!?
 悪魔って!?
 もしかして玄関ホールに出るっていう「お化け」のこと!?
 でも玄関ホールって廊下の扉を開けたらすぐよね? 何? あたし毎日悪魔の目と鼻の先で掃除してたってこと? だから「玄関ホールに行っちゃいけないよ」って……違う! そうじゃないでしょ!? 厳重にバリケードで覆うとかあるでしょ!? なに子供の自主性に任せてるのよ!!!!
 絶句するルチナリスの「問いたいことはいろいろあるけれど頭が追いつかない視線」に気付いた女店主は、何を納得してくれたのか、エプロンを握ったままうんうん、と何度も頷《うなず》く。

「そうよねぇ。るぅちゃんや執事さんが悪魔に殺されちゃったらと思うと、」

 勝手に殺すなぁぁぁぁぁぁぁああああ!!
 これでもこの10年、悪魔の「あ」の字も見ることなく過ごしてきたんだから!
 きっと「悪魔が出るところと人が暮らしているところは強い結界で遮られている」とか、そんな裏設定があるのよ。きっとそうよ!
 だって今まで無事だったのよ? 悪魔とひとつ屋根の下なんてシチュエーション、あの危機感の欠片《かけら》もない義兄《あに》だって、いくらなんでも気にしないはずがな……………………い、わよ。うん。



 しかしいくら裏設定があったとしても、だ。
 悪魔が出るならそう言ってくれればいいのに何も言わないってどういうこと!? 心づもりがあるのとないのとじゃ万が一にも悪魔とばったり遭遇しちゃった時の対処も雲泥の差よ!?
 ついうっかりあたしが食べられちゃっても構わないって言うの? お兄ちゃん!
 腹の中で言葉にできない罵詈雑言《ばりぞうごん》が暴れ回る。
 そりゃあ「実はうちにも出るんだよ」なんて子供には言えないってことはわかるけど! でもね、黙っていていいことと悪いことがあるのよ! 3日前のパンを焼きたてと偽《いつわ》って売るのと同じくらい、いや、メスだと思っていたヒヨコが雄鶏《オンドリ》に育ってしまって毎朝煩《うるさ》くて堪《たま》りませんレベルと言うか、要するに、黙っていたら後で大問題になるケースなのよ!!


「だから勇者様が悪魔を倒してくれるまで、るぅちゃんも気をつけるんだよ」

 女店主は同情するように飴をくれる。
 嗚呼《ああ》、飴ひとつで慰められるあたしの命。って、その程度!? 危機意識低くない!? 当事者じゃないから!? 勇者様が倒すって何時《いつ》よ! 何時《いつ》の話よ!
 そう八つ当たりしたい気持ちをルチナリスはぐっと我慢する。


 この町の人にとっては当たり前なのだ。
 町を見下ろすように建っているあの城が悪魔の城であることも、勇者がその悪魔を退治するために集まってくることも。
 そして10年あの城に住んでいるルチナリスたちが無事でいるのも、意味不明ながら「今まで大丈夫だったんだから大丈夫よ」というレベルにまで落ちている。

 そう。|何故《なぜ》勇者がこんなにも集まって来るのか。
 それは、そこに悪魔がいる城があるからに他ならない。

 近くにある有名なダンジョン。それは悪魔の城! ~完~
 ……って、だからそれで終わったら駄目!


 考えたこともなかった。
 あの城が悪魔の城と呼ばれているのも、ただ単に外観のせいだと思っていた。
 あの城には悪魔はいない。見たこともない。それなのに、その悪魔を退治するために大勢の勇者がやってきて、そしてルチナリスの知らないところでボロボロにされて帰っていく。
 それはつまり。
 悪魔か、それに相応《そうおう》する「勇者を倒す何か」が存在しているということで。

 勇者が何人もこの町を訪れているのはルチナリスも知っている。滅多に町に来ない自分《ルチナリス》でも頻繁に目にしているのだから、町に来ていないもっと多くの日にも彼らは押し寄せているはずだ。
 でもまさか城に来ているとは思わなかった。
 この10年、1度も気付かなかった。
 思えばそうしてあたしが悪魔の「あ」の字も知らないでホイホイ浮かれて町に下りて来るのを見ている町の人々が、城に住んでいるけれど大丈夫そうだ、と思うのも当然かもしれない。
 
 でも悪魔。
 あの不思議な声のことだろうか? まさか本当に執事だということはないだろう。 でも。
 ルチナリスの胸の奥で何かがちりちりと音を立てる。

「大丈夫かい? 気分悪そうだけど」
「だ、大丈夫、です」

 大丈夫なわけがない。
 世の中の全員が納得していたとしても、あたしは違和感しか感じない。
 |義兄《あに》だけ悪魔に襲われない、だなんて、そんな都合のいい話もあるはずがない。



『お化けが! お化けが出たの!』


 突如ルチナリスの脳裏に声が響いた。
 あの声はあたしの声だ。小さい頃のあたしだ。
 そうだ。あれは何時《いつ》のことだったろう。あたしはそう言って|義兄《あに》に――。



「――そこのご婦人がた」

 そんな時だ。ルチナリスたちの背後から声がかかったのは。
 振り返ると先ほどの勇者一行が爽やかな笑みを浮かべて立っている。何処《どこ》ぞのヒーローみたく歯がキラリと光る。

「なんか悪魔に食べられるとか聞こえたんだが……そっちのお嬢さんの恰好、もしかしてあの城のメイドさんかな?」
「え、ええ。まぁ」
「俺たち、これからあの城に行くところなんだが、案内してくれると助かる」

 偉そうな物言いは勇者だからだろうか。
 案内と言ったって此処《ここ》から城までは1本道だし、何を案内しろって言うのよ。
 ルチナリスは|胡乱《うろん》な目を勇者に向ける。初対面で偉そうな奴《やつ》はろくな奴《やつ》じゃない、とは村にいた頃あたしを育ててくれた神父様の言《げん》だ。

「道案内と、できれば裏から入る方法なども教えてもらえると有難《ありがた》い。聞けば悪魔から逃げることができるのは城主のみで使用人のきみたちは何時《いつ》悪魔に食われるかもしれない命だと言うじゃないか! きみもまだ死にたくはないだろう?」
「ちょうどいいじゃない! これも何かの縁《えん》って言うでしょ? ちゃちゃっと倒してもらっちゃいな!」

 いや、縁って何よ。
 此処《ここ》であたしと会わなくたって、勇者様がたは悪魔退治に行くわけだし。関係なくない?
 「|何時《いつ》たべられるかもしれない」などと宣言されたからだろうか、胡散《うさん》臭さ倍増に見えるのは。第一、この10年、悪魔なんていることも知らずに生きて来た手前、死ぬと言われても自分に降りかかってくる災難には聞こえないのも確かで。
 何? あたしの家ってそんなに危ないわけ?
 と、我が家をdisられた《侮辱された》気にすらなって来るわけで。

 しかし、小間物屋の女店主のほうがノリノリだ。滅多に話をすることもない勇者から話しかけられたから舞い上がっている部分もあるかもしれない。顔はちょっといい……いや! お兄ちゃんに比べれば雲泥の差だけれども!
 心の中でマウントを取りつつ。その間にも女店主は勇者と話を進めて行ってしまう。気が付けばとても断れそうにないところまで進んでいる。


 どうせ後は帰るだけだし、連れて行くくらいいいか。
 ルチナリスは山の中腹からこちらを監視するように建つ城を見上げる。

 あの城には悪魔がいる。勇者を倒す悪魔が。
 今までは運よく生きて来られたかもしれないけれど、明日には、ううん、今日にも食べられてしまうかもしれない。だってあたしは義兄《あに》のような「悪魔が逃げる特殊な血」なんて持っていないんだもの。

 義兄《あに》に危機意識がないのは今まで何もなかったからだ。
 だからあたしも大丈夫だと思ってしまっているのだ。教えてくれなかったのはきっとそれだ。
 でも知ってしまった以上、あたしはあたしで身を守る必要がある。


「今朝も一組《ひとくみ》出かけて行ったんだけど、帰って来ないのよ。いいかいるぅちゃん。今まで無事だったからって明日も無事とは限らないのよ?」
「で、でも途中で道を間違えたのかもしれないじゃない?」

 だからと言って反発もしたい乙女心。
 だって自分の家よ? あたしが悪《あ》し様《ざま》に言うのは良くても他人に言われたかないわよ。

「だって来ていないもの! きっと途中で道に迷って、崖から転落してクマに襲われて、それで」
「来て、いない?」

 またしても勇者が口を挟む。

「それはもしかしたら途中で悪魔に襲われて城に辿《たど》り着けなかったのかもしれない」
「そ、そんなこ……」

 だってあたしは普通に山道を下って来たわ。
 悪魔どころか山犬も山猫も山ウサギも出なかったわ。
 そう言い返したいけれど、ただ単にあたしの運がいいだけとも言える。

 無意識に後頭部にとめた髪留めに手が伸びる。
 黒いリボンの中央に金色の飾りがついたこの髪留めは、遥か昔、義兄《あに》から「お守り」だと言われて貰ったものだ。初めて義兄《あに》から貰ったのが嬉しくて毎日つけているから、もうかなり色|褪《あ》せてしまっているけれど……そう、これは「お守り」。もしかしてこのおかげで運よく悪魔と遭遇せずに済んでいただけかもしれない。


 朝に来たという勇者も、勇ましくこの地に来たものの悪魔にも出会えず、崖から転落して武器を失くして攻略そのものができなくなってしまったから、だから恥ずかしくてこっそり帰った。よりは、道中で悪魔に襲われました。のほうがあり得る話。
 だとしたらあたしが一緒にいたほうが、この勇者一行が城に辿《たど》り着く確率も上がるというもの。
 なんせ運だけはいい(当社比)。悪魔と同居して10年も顔を合わせずにいた実績(それは多分にお守りのせいかもしれないけれど)をここぞとばかりに発揮するのよルチナリス!

 悪魔を倒せば義兄《あに》も喜ぶ。領民思いの優しい義兄《あに》だ。彼らが喜ぶことならきっと喜んでくれる。
 それに、勇者様を手伝ったって知ったら褒めてくれるかもしれない。
 だって勇者様よ? なろうと思ってなれるものじゃないのよ? 悪魔を倒して、世界を救うかもしれない人たちなのよ?


 そう思う反面、ルチナリスの胸中で黒いモヤモヤが渦を巻く。


『今朝も一組《ひとくみ》出かけて行ったんだけど、帰って来ないのよ』


 あの城に悪魔が出ることを知っていて、ひとりだけ無事なのが確定の義兄《あに》。
 

『こんなに汚して!』


 ほころびた袖口。
 破れたシャツ。

 |義兄《あに》は、朝……何処《どこ》に行っていたのだろう。