14-4 04:00 p.m 義妹の部屋 再び




「お腹すいた」

 毛布を被ったままルチナリスはぽつりと呟いた。

 少し眠っていたらしい。しかしまだ悪夢からは覚めていない。
 姿見に映る姿は相変わらずむさ苦しく、それだけで心を沈ませる。
 そこへ空腹が拍車をかける。テーブルの上には何もない。
 こっそりと廊下も見てみたが、引き籠りの定番食、「お盆の上に一食分」が置かれていることもなかった。食事を持ってくると言ったガーゴイルは未《いま》だに来ていないらしい。
 時計を見ると4時。窓の外の明るさから見るに午後の4時だろう。
 朝食どころか昼食まで食べ損ねたことになる。

 食堂に行けば何か残っているかもしれない。
 この時間なら夕食分のおかずも完成しているかもしれない。しかし着ていく服がない。
 食事のたびに愛を取り戻す《大胸筋で服を破る》のは、結果がわかっているだけに無駄な行動。新たに自分でチクチク縫ってもいいが……何度も言いたくはないが裁縫は苦手だ。この腕では何年後に完成するかわかったものではない。
 頼みの綱はあのガーゴイルだけ。なのに。 

「お腹空いた」

 ルチナリスは再び呟く。しかし何も起こらない。
 畜生! マッチ売りの少女だってマッチ1本で鳥の丸焼きを出していたじゃないの! と叫びたいが、それを言うなら自分は呪文を唱えただけ。やはりそれ相応の奇跡を起こすにはアイテムが必要なのだろう。
 と、言うことで。

 無駄だとは思うがマッチを擦ってみる。

 しかし何も起こらない(2回目)。



 どうしよう。このまま忘れ去られていたら。
 脳裏を最悪な結末が走馬燈《そうまとう》の如《ごと》く次々と流れていく。いや走馬燈って何よ、あたしまだ死んでないわよ。とツッコミを入れたいがその気力も残ってはいない。どうせこのままでは、遅かれ早かれ走馬燈が流れる事態になってしまうのだ。
 そう。餓死。
 い、いや、数回抜いたくらいで餓死はしないはず。プチ断食なんて健康法もあるくらいだし、かえって調子が良くなるかもしれない。運よく痩《や》せれば服もいくつかは復活するかもしれない。
 ルチナリスは暗い考えを必死に訂正する。

 痩せれば。服が着られれば。
 そうすれば……ずっと下向いて顔を隠していれば、食堂に行って帰って来るくらいはできるはず。

 あぁ、でも食べているところを見られたら「あ、元気そうっすね! それなら働けるっすね!」なんて言われるかもしれない。
 建前上は城主の義妹《いもうと》ではあるけれど、あたしが義兄《あに》に「拾われた孤児」であることは城内の誰もが知っていること。だからメイド服を着て毎日床を磨いていても、誰も「まぁ城主の妹さんがそんな下働きのようなことをしなくても!」なんて言わないし、それ以前にこの城は使用人の数が少なすぎるし、そこへもってガーゴイルの量も減ったし。
 いるのよ、働き手が。


 でも、だからと言って掃除なんかしていたら、絶対、義兄《あに》に伝わる。
 風邪なのに大丈夫なのか、とわざわざ見に来てしまう。
 あ、見つかってもいいのか。執事とガーゴイルよりも早く義兄にこの惨劇を知ってもらえば、嫌味を落とされたり、よからぬ噂が広まることよりも早く、良い方法を思いついてくれるに違いない。

 問題は、「もしあたし《ルチナリス》だと気付いてもらえなかったら」ということだ。
 それどころかメイド服を着ている変態だと思われたら。お兄ちゃんではあるけれどその前に魔王様なあの人のこと。戦闘力は城内一。
 変態の不法侵入者が現れた! とばかりに火炎弾を撃ち込まれたら、ごくごく一般人のあたしなんか一撃で死ぬ。


 ううん、10年の義兄妹《きょうだい》の絆はそんなに浅いものじゃないわ!
 不細工な人形に魂封じ込められた時もわかってくれたじゃない。きっと今回だってわかってくれる!!




 いや。それならこのまま堂々と出て行ったってわかってくれるんじゃ……。
 あれ?
 ふりだしに戻る。
 チーン。


 ……。
 …………。
 ………………いや!
 いやいやいやいやいや! チーンで終わってちゃ駄目でしょあたし!
 考えろ。策はある!





 窓から差し込む陽射しの角度が緩《ゆる》く、薄くなってきた。
 透明な明るさだけの光にオレンジ色が混じるようになり、さらに紺が混じり始める。
 それなのに、まだガーゴイル《飯》は来ない。


 そうだ!
 ルチナリスは、はた、と気付いた。
 何度も言うがここは悪魔の城。非常識が常識になる場所。やり方が違えば叶うかもしれない。無駄だと思いながらやったところで奇跡が起きるはずがない!

 奇跡とは!
 起きるものではなく!


 起こすものなのだ!!!!


 その考えが空腹による吹っ飛んだ考えなのかどうかは、もう考える余地もない。
 なんせ昨日はホールケーキ1個とカップケーキ10個を3度の食事以外に食べていた体。急に断食する羽目になったので脳の活力・糖分が足りていない。


 ルチナリスはベッドから抜け出すと、マッチ棒を天高く掲げた。
 そうよ。ヒーローだって魔法少女だって、必殺技の前には恥ずかしい踊りを踊ったり、技名を叫んだりするじゃない。あれよ。あれが足りなかったのよ!
 と、言うことで!

「出でよーーーー! 飯《メシ》ーーーーーーーーー!!」

 どうせ誰もいないのだから羞恥心など捨てていい。
 ルチナリスは叫びながら片足立ちでクルクルと回り、それから両足で踏ん張ると、頭上でマッチをシュバッ! と点けた。

 その時だ!

「るぅチャーーン!!」
「ぎゃああああああああっ!!」

 効果てきめん!
 扉が音高く開けられ、ガーゴイルが飛び込んで来た。
 待ち望んだ奴《やつ》がこれほど簡単に出て来るとは奇跡の力おそるべし! ……ではあるけれど!

 ノックくらいしろよこの野郎!!!!

 ルチナリスは慌ててベッドに逃げ込む。
 掴んだままのマッチの炎を毛布の下で必死に消す。
 よい子のみんなは決して真似をしちゃいけないぞ☆彡 ではなくて!

 突然すぎる。この姿が見られたらどうするのよ! と言うか、男のなりで、ガニ股で、女物の寝間着を着て、それで頭上でマッチ擦っている姿など、見られたら一生のトラウマだ。
 心臓がバクバク鳴る。体が大きくなった分、心臓に負担がかかるのかもしれない。ああお兄ちゃん、先立つ不孝をお許し下さ……

「あ、起きてたのぉ? 調子はどうかしらぁん?」
「だ、だ、大丈夫……じゃない、まだ喉が痛くて、ゲホゲホ」

 ああ。悲しんでいる暇もない。
 空気を読まないガーゴイルの問いに、ルチナリスはわざとらしい咳を混ぜながら返す。
 我ながら嘘っぽいが、ガーゴイルは気付かない。それだけ風邪を信じ込んでいるのだろう。
 それどころか、

「早く良くなってね。面白いん、だ・か・らん♡」

 などと温かい言葉を……って。面白いってなんだ? 今の儀式を見られたのか!?
 ルチナリスの背中を冷や汗が伝っていく。

「面白い、って?」
「ふふっ☆ それは風邪が治ってからのお・た・の・し・み♡ よぉん」

 人生16年。口が耳まで裂けた化け物から「ふふっ☆」と笑われる日が来るとは。いや、あの笑いはあたしのことではない。多分。
 それよりもその不気味なおネェ言葉は何だ? このおネェ言葉を喋る化け物以上に面白いものがこの世の中にあるとでも言うのか? もしかして、あたしか!?

 ルチナリスは毛布を少し上げて、そこにいるであろうガーゴイルを覗《のぞ》き見る。
 目が大きくて、嘴《くちばし》が尖っていて、蝙蝠《こうもり》みたいな羽根が付いていて……うん、いつものガーゴイルだ。おネェ言葉だからって全身ピンクだったりはしていない。
 これでリボンやフリフリのワンピースに身を包んでいれば、この言葉遣《づか》いもわからなくはないが、それはそれで見たくない。
 自分自身を使って笑いを取りにくるような捨て身な奴《やつ》ではないことも承知しているし、落ち込んでいるならともかく、「風邪で臥《ふ》せっている」あたしに笑いを届ける必要がないこともわかっているはずだ。
 
 それなら、いったいどういう意味だろう。
 面白いもの、面白いもの。
 おネェ言葉のガーゴイルは置いといて、今のあたし以上に面白いものがあるだろうか。
 可憐な乙女がこんなガタイのいい男になるなんて、そりゃあ面白いでしょうよ。でもね、当事者は必死なんだから! ご飯食べにも行けないくらい……。

「そうだ。ご飯は?」
「あぁ、忘れてたわぁん。夜に持ってくるわねぇ」


 忘れていたのか!
 そんな気はしていたけれど忘れていたのか!!

 ルチナリスは鳴き続ける腹の虫を鎮《しず》めつつ、毛布の下で奥歯を噛み締める。
 我慢するのよルチナリス! 今はこいつだけが頼みの綱なんだから!。

「お、お願い、ねぇ」

 演技ではなく、息が絶え絶えになってきた。
 忘れるなよ、絶対忘れるなよ!?
 カリギュラ効果なんか狙ってないから。本当の本気で持って来るのよ!

「おーっほっほっほっほ。任せてぇん」


 そうやって任せたから、今、餓死しそうなんだろーがっ!!
 高笑いしながら扉の向こうに消えたガーゴイルに向かって、ルチナリスは枕を投げつけた。