~10月~





 まだところどころに夏の名残があるけれど、町は冬の装いに変わりつつある。
 ショーウィンドウに飾られるのもコートやブーツなどの冬物。ドリンクもココアやホットレモネードといった温かい飲み物が幅をきかせ始める中で、もっとも冬を感じさせるのは制服だろう。10月はまだ合服と冬服のどちらを着用してもいいことになっているけれど、既《すで》に学生の半分くらいは冬服を着ている。シャツの白い袖がグレーの上着で覆《おお》われるだけで、頬《ほお》を撫でる風が-5℃《マイナス5度》くらい下がった気になるから不思議だ。


 今日の放課は図書館に行くことにした。
 旅立ちの日から3ヵ月。精神的にも肉体的にも忙しかったとは言え、さすがに引き延ばしすぎだろう。フローロが進んだであろう研究職の門戸を叩くには、もう勉強を始めないと遅い。
 それに中間試験も間近に迫《せま》っている。フランに言われたからではないけれど、これ以上邪魔されるわけにはいかない。

 行くと言ったらノクトが付いて来ると言い出したことだけが不安材料だけれども、妙なことを口走らないように監視していた僕と同様、彼も自分の知らないところでレトに売られるのではないかと危惧《きぐ》しているのかもしれない。

 僕たちは互いに互いを利用する者同士。
 何時《いつ》でも切りつけられるように心にナイフを隠し持ったまま、その辺の”親友”なんかよりもずっと一緒にいる。




「……チャルマだ」

 廊下を歩いていると、チャルマがひとりの学生と話しているのが見えた。
 珍しくヴィヴィがいない。だから余計に委縮《いしゅく》してしまっているのか、チャルマは話かけられる毎《ごと》にじりじりと間合いを空け、その距離を埋めるように学生が前に詰め。そのせいで迫《せま》られているようにも見える。
 ただ喋っているだけなのか、本当に迫《せま》られているのか。
 後がないわけでもないのだから逃げようと思えば逃げられるわけだし、だとすれば、気を利《き》かせて割り込んだところで空気が読めないお邪魔虫でしかない。
 そんなことを考えて足を止めた僕とは逆に、ノクトはつかつかと彼らに歩み寄る。そして。

「待ったかチャルマ! 遅れてごめんな」

 と口走った。

 当然のことながらチャルマと約束などしていない。少なくとも僕はしていないし、図書館に付いて来ると言ったからにはノクトもしていないだろう。
 突然声をかけられたチャルマは一瞬ポカンとした顔をしたものの、声をかけて来たのがノクトだと視認すると安堵の表情を浮かべた。その間にノクトはチャルマを庇《かば》うように間に入ると、相手の学生に笑みを見せる。

「悪いな。今日は俺らが先約だから」
「あ、ああ」

 こういう時、背が高いって得だ。上から見下ろしているだけで凄みを利かせているように見える。
 相手の学生は曖昧《あいまい》な笑みを顔に貼り付けたまま、「それじゃ、また」と言い残して身を翻《ひるがえ》した。


「約束してたの?」

 遠ざかる背を眺めながら何気《なにげ》なしに呟くと、ノクトは悪意のある顔でニヤリと笑った。

「今、した」

 ……それはどう考えても”後”約だ。
 しかし、

「ありがとうノクト! 助かったよー!」

 当のチャルマがそう言うのなら嘘《うそ》も方便なのだろう。
 それにしても今の流れ、ヒロインを悪漢から助ける主人公みたいだった。引き籠《こも》ってゲームを作る嫌味ったらしい30歳だと思っていたから意外だけれども……もしその”ゲーム”が恋愛だの攻略だのを主目的にするものだとしたら、その手の引き出しを大量に持っていても不思議ではない。
 ない、が、”ノクト”らしくもない。


「ヴィヴィはどうした」

 ノクトはそう言いながら周囲を見回す。
 が、見回せる範囲にいたらノクトの出番などなかっただろう。現にヴィヴィの姿は何処《どこ》にもない。

「スノルノと買い物に行ったよ。一緒に来る? って聞かれたんだけど、スノルノは僕がいないほうがいいみたいな顔してたから遠慮して、それで」
「ひとりでいるところをこれ幸いと他の奴《やつ》に捕まったわけか」


 そう言うけれど、ヴィヴィはチャルマの保護者でもボディガードでもない。不在を責めることはできない。先ほどの学生も単に話がしたかっただけかもしれない。
 腕っぷしに訴えるような奴《やつ》には見えなかったし、あっさり引いたし……と考えると、チャルマがヴィヴィ以外の友人を得る貴重な機会を潰してしまったように感じなくもない。
 でも。

「ノクト、今日はチャルマと帰って」
「何で」
「まだその辺にいるかもしれないし」

 卒業まであと8ヵ月。
 海水浴以降、チャルマを狙っている学生は先ほどの彼以外にもいる。帰り道に襲われるなんて被害妄想が過ぎると笑われそうだが、ヴィヴィの不在を狙って迫《せま》る姑息《こそく》さが引っ掛かった。
 ノクトとて喧嘩が強いようには見えないけれど、それでもひとりでいるよりは誰かとつるんでいたほうが、さして親しくもない学生から声をかけられる率は減る。

「先約があるって言ったじゃない? それでチャルマがひとりで帰ってたらおかしいよ。フォリロス広場に移動遊園地が来てるそうだから遊んで来たら?」
「遊んで来いってお前」

 僕はセルエタを起動してイベントスケジュールを開く。今月末までの期間限定でハロウィンをテーマにした遊園地ができることになっているのを確認し、割引券をノクトのセルエタに送る。
 昨年、”ノクト”と一緒に行った時に貰ったものだけれども、今年は”ノクト”もいないし、きっと僕は行かない。

「言っておくけど先にチャルマを助けに入ったのはノクトだからね。責任もって寮まで送り届けて」

 それだけ言うと、僕は足早にその場を去った。
 もともと図書館にはひとりで行くつもりだったし、今日こそはクレアにも会わなければいけない。そして僕と”アンドロイドの”クレアが何かをしていれば、ノクトはきっと余計な勘繰《かんぐ》りをするだろう。
 いないほうがいい。


『もしきみが将来の道を決めかねているのなら、僕を追って来て』

 旅立ちの日にフローロから言われた言葉を今の今まで実行せずにいたのはただ単に僕の怠慢だ。
 ノクトのことで手一杯だった、なんて言い訳でしかない。僕が追う気になるとは限らないのに、全てを用意していってくれたフローロに申し訳が立たない。




 久しぶりに足を踏み入れた図書館は試験前だというのに閑散としていた。
 皆、移動遊園地に行っているのかもしれない。確か先着300人限定でプレゼントがあった。先ほどノクトに送った割引券も、昨年、同様の企画で貰ったものだ。

 カウンターの向こうでモニターに向かって作業中の女性がいるが、あれがクレアだろうか。
 図書の閲覧や貸し出しは司書の手を煩《わずら》わせずともひとりでできてしまうので、今まで1度も司書と喋らずに済んでしまっているし、そんな学生のほうが多いだろう。向こうも学生から話しかけられることなどないと思い込んでいるのか、誰が出入りしようが顔も上げない。
 無表情のままキーを叩いている女性は、いかにも司書と言わんばかりの理知的な……言い換えれば少々冷たい感じがする。アンドロイドだから話しかけたところで無下《むげ》な扱いはして来ないと思うけれども、どうにも敷居が高い。
 でもそんなことを言っている場合ではない。

「あの……司書のクレアは、」
「私ですが」

 女性は無表情のまま顔を上げる。笑みも見せないのは司書だからだろうか。

「ええと、フローロから聞いて来たんだけど」

 クレアはじっと僕を見つめる。
 10秒。
 20秒。
 充電が切れてしまったのかと思うほど長く彼女は動かなかったが、やがて。

「――久しぶりねフローロ」

 いきなり笑みを見せた。

 何処《どこ》か壊れたのだろうか。僕に向かって「フローロ」と呼びかけるなんて。


「え、いや、僕は」
「最近は忙しかったのかしら。もうじき中間試験ですものね。でもあなたなら勉強などせずとも学徒になれるのではなくて?」

 僕の否定を遮《さえぎ》るようにクレアは早口にまくし立てる。
 どうしたのだろう。フレンドリーに話しかけてくれるのは助かるのだけれども、声をかけるまではあんなによそよそしかったのに違和感が過ぎる。

「あの、クレア?」
「もしかしてあんまり長く此処《ここ》に来なかったから自分の貸し出しコードを忘れてしまったのかしら。困った子ね。ほら、セルエタを出してごらんなさい」

 そう言いながらも有無を言わさぬ調子で僕のセルエタを取り、もう片手でキーボードに何やら打ち込み始めた。
 「クレアを訪ねて」と言ったのはフローロだし、お膳立てして行ってくれたようにも思っていたけれど、この行動も”お膳立て”の一端《いったん》なのだろうか。それとも本当に何処《どこ》か壊れて、僕をフローロと間違えているだけだろうか。

 判断がつかない。
 旅立ちの日にノクトのセルエタを手にしたまま動けなかった時と言い、先ほどのチャルマの時と言い、僕は行動に至るのが遅い。もしこれがヴィヴィなら「僕はフローロじゃない」とあっさり撥《は》ね退《の》けていただろうのに、同じことが僕にはできない。
 けれど。

「はい。これで何時《いつ》でも続きが読めるわね」

 考えている間に終わってしまった。
 僕は返ってきたセルエタに目を落とし、無言で促《うなが》すクレアに背を押されるようにして、それを貸し出し機にかざす。モニターに現れたのはフローロの名と、彼が借りたのであろう見知らぬタイトルの羅列。
 僕はおそるおそる1番上のタイトルに手を伸ばす。
 モニターに触れると、ピッ、と音がして、書架のほうでガタガタと音がした……と思いきや、その本が滑るように運ばれて来た。

 どうしよう。
 優柔不断に黙っていたせいでフローロの貸し出しコードが手に入ってしまった。

「どうかしたの?」
「……な、何でもない」

 僕は本を掴《つか》むとカウンターを後にする。
 ただ漠然《ばくぜん》と「海を再生させるための勉強がしたい」と思ったところでどんな本を読めばいいかもわからないけれど、こうして読むべき本が提示してあれば脱線することなくフローロが此処《ここ》で得たと同じ知識を溜め込むことができる。それも短期間に。
 でも他人の貸し出しコードを使うのは規約違反ではないのだろうか。
 クレアが勝手にやったことだから問題ないのだろうか。
 そんな背徳と、フローロに追いつけるという高揚がないまぜになって、心臓が|煩《うるさ》くて仕方ない。

 これがフローロが仕掛けて行ったことなのか?
 有難《ありがた》いけれど……演出に凝り過ぎだ。




 とある秋晴れのある日。僕たちは校外学習で町外れの遺跡にいた。
 遺跡とは数百年前まで存在していた前文明の建物跡のことで、水族館の中庭――”海”に半分ほど浸かっている建物群――と同年代のものと言われている。

 この世界に点在する町は全て、前文明の跡地に作られている。
 いや、”跡地”と言うと語弊がある。現存する町は、変わってしまった自然環境の中でも住み続けられるよう、かつての町を作り替えた結果に過ぎない。
 いくつかの建物を遺跡と称して残したのは前文明に敬意を表したのか、古いものをありがたがる人類の習性にのっとっただけか。
 何時《いつ》か、ラ・エリツィーノやファータ・モンドも後世の人々から遺跡と呼ばれることがあるのだろうか、なんて思う。




 此処《ここ》の遺跡は僕の背丈の倍ほどの石柱が6本、円を描くように並んだもの。
 その内側には石柱と同じ素材らしき石板が敷き詰められ、柱にはそれぞれ、丸と線をつなげた記号が彫り込まれている。
 どう見ても建物ではない。悪魔召喚の魔法陣にしか見えない。これを残すことに決めたのは、壊したら祟《たた》りがあると思ったからに違いない。


「ノクト! 此処《ここ》見覚えない?」
「何処《どこ》かに召喚の女神が座《ざ》す神殿への扉とかあるんでしょ?」

 時折《ときおり》、同級生がからかっていく。
 皆、初等部からの顔なじみだからノクトが妄言を吐くことは周知の事実。でもその言葉の端々《はしばし》に棘《とげ》が含まれているように聞こえるのは、彼《ノクト》が彼らの知っている”ノクト”ではなくて”能登大地”という別人だということを隠している僕の耳のせいに違いない。

 不躾《ぶしつけ》な問いにノクトは笑いながら「わからない」と返している。
 その穏やかな返しっぷりが先日チャルマを助けた時と同様、またしてもノクトではないと思えてしまうのだけれども、過去のノクトを知らない今のノクト《能登大地》を責めるのは酷《こく》と言うものだ。


『……………………俺は……ノクトだ』


 口から出たのは肯定なのに、あれほどまでに否定の意味が込められた言葉はない。

 あれ以降、彼はノクトとして振る舞っている。
 意味不明な記憶を口走ることもなく、悪目立ちしないよう授業にもきちんと出、遅刻もせず、レトを批判することもない。
 今も開放的な屋外環境に当てられて調査もそこそこに遊び回っている学生が多数を占める中、ノクトは説明が流れ続けるイヤホンを左耳に嵌《は》めたまま、黙々と手元のノートに何やら書き込んでいる。


 この遺跡の裏側には星詠《よ》みの灯台がある。
 今のノクトと初めて出会った場所が。
 先ほどの同級生の言葉を借りなくとも、この遺跡は能登大地がこの世界に来たことと関係があるのではないか? と疑いたくなる。


「……本当にわからない?」

 ノクトの隣で同じようにノートに書き記すふりをしながら、僕は囁《ささや》く。

「何だよマーレまで。そう言うことは言わない約束だろう?」

 ノクトとして振る舞え、と言ったのは僕だ。
 彼はそれを忠実に守っている。彼のほうが人生経験は長いかもしれないけれど、この世界は僕のほうが詳しい。レトやその他の”万が一にも敵に回るかもしれない相手”のことを知らないノクトが、僕の言い分を聞こうとするのは保身の面でも当然のことだろう。なのにその僕が聞き出そうとするのは矛盾している。
 けれど。

「前にさ、チャルマが能登大地は滅亡前の人だったのかもしれないって言ってたでしょ」

 チャルマは以前「能登大地は男だったのではないか、性別があるなら滅亡前に生きていたのではないか」と言っていた。
 30歳ならこの世界でも性徴《せいちょう》が現れているだろうから、性別が決まっていても不思議ではない。しかし”能登大地”と言う名はこの世界には存在しない。

 弱り切った世界を守るために人類はレトによる管理を受け入れた。
 以前から人類は、より便利な生活のために自然環境を破壊し、他の生物を絶滅に追い込んで来たけれど、一気に絶滅種が増えたことでこのままではいけないと思ったのだろう。
 人々は”レトの子供《ピーポ》”と自称した。
 肌の色や言語、習慣の違いで差別・迫害することも禁止された。ただでさえ少ない人数がさらに減ってしまうからだ。見下していた奴《やつ》らと同列にはなりたくないと吠える者もいないわけではなかったが、レトと世論を前にそんな声も何時《いつ》しか消えた。
 国の概念が消え。
 部落、苗字が消え。
 ”ノト”や”ダイチ”と呼ばれる者は何処《どこ》かにいるかもしれない。けれど、”能登大地”が存在しないというのはそういう意味だ。


「もし見覚えがあるなら、きみが何処《どこ》の誰だかわかるのに」
「わかったところで俺は戻る術《すべ》を知らない」
「そうだね。知ってたらノクトのふりなんかしてない」

 彼には何の特殊能力もない。隠しているようにも見えない。
 転移ものの場合、登場人物が努力しようがしまいが最後は勝手に元の世界に戻されるのがオチだけれども、転生の場合はどうなるのだろう。
 転生とは生まれかわること。
 元の世界で亡くなっているケースが多く、そうなると戻ろうと思ったところで戻る体はない。

『――大いなる意思を仰《あお》ぐことなく自分たちだけで解決を図ろうとするのは勇敢ですが愚かなこと。最善の結果を得ることもできません』

 とフラン《レト》は言ったけれど、聞いたところで最善の結果は出ないだろう。
 レトの言う”最善”とは膨大な過去の情報を比較して最適解を示すこと。その比較すべき前例がなければどうしようもない。


「……俺の頃は何もかもコンクリートで作るのが主流だったから」

 石柱を見上げてノクトは呟く。
 曰《いわ》く、石を削り出して建物を造《つく》っていたのは能登大地の時代よりもさらに昔であるらしい。とは言え、商業施設の一部や博物館などは重厚な雰囲気を出すために石を利用していたそうだから、この遺跡もそのような建物だったのかもしれない。

「コンクリートってあの砂と水を混ぜて作るって言う?」

 何も得るもののない雑談で時間が過ぎていく。
 もし僕の頭がフローロ並だったら、またチャルマのように厨二《ちゅうに》的シチュエーションに詳しければ良策を思いついたのだろうか。
 ヴィヴィの行動力があれば違う結果を得ていたのだろうか。

「そう。50年しかもたないって聞いたことがあるから、もし俺の世界が此処《ここ》の過去なんだとしても残っちゃいないな」

 もしも能登大地が過去から来たのなら。
 外の世界で吹き荒れている砂嵐の何割かは、彼が見知った家々に違いない。


「けどさ、俺も世界中の建物を知ってるわけじゃないし、此処《ここ》が俺のいた国だって証拠もないし。だから此処《ここ》は俺の知らない外国の何処《どこ》かだったのかもしれない」
「ふぅん」
「でもそうすると何で言葉が通じるのか、とかあるよな。俺の頃は一応英語ってやつが共通語に近かったけど、俺、今英語で喋ってないし」
「……そのあたりで困ってる転生話って聞かないから、そういうものなんじゃない?」


 彼は穏やかになった。
 ノクトとして新たな人生を送ると腹を据《す》えたせいか、周囲に向けて放っていた警戒の矢を引っ込めたのはもちろん、僕のことも共犯――互いに背中を預けられるような信頼関係ではないけれど――と認識しているように感じる。

 でも僕は違う。
 もし本物のノクトが僕の前に現れてくれたのなら、僕はこの目の前にいるノクト《能登大地》を偽物だとレトに伝えるだろう。その時だけは良心が痛むだろうけれど、すぐに忘れる。
 僕にとって”ノクト”はひとりで、彼《能登大地》は代用品でしかない。





 眼下に水族館が見える。
 一角を占める”海”は空を映しているのか、その色をサンドベージュに変えている。
 まるで外の砂嵐に町が浸食されているようだ。海が涸《か》れていくのを見ているしかなかった過去の人々も同じ思いを抱いたのだろうか。


「――さあ、次の遺跡に移動しましょう」

 イヤホンの指示に従って半《なか》ば遠足気分の同級生らがぞろぞろと移動していく。
 彼らに続きかけた僕は、だがノクトに止められた。

「何?」
「……本物のノクトが現れたら俺は用済みか?」

 確かについ先ほど、そのようなことを考えたけれど。
 やはり転生者らしく特殊能力を持っているのだろうか。それとも子供の浅知恵は30歳にはお見通しなのか。
 本物が現れれば用済みなのは言うまでもない。何処《どこ》の誰だかわからない奴《やつ》と6歳の頃から一緒にいる幼馴染みでは、たとえ見た目が変わらなかろうとも、何度天秤に乗せたところで傾きが変わることなどない。

「……何もわからない、何も伝手《つて》のない世界で衣食住まで保証してもらえるんだから、それだけでありがたいと思わない?」

 「違う」と言ったところで空々《そらぞら》しいだけ。
 能登大地は右も左もわからない世界で生きる術《すべ》を手に入れる。僕はノクトを見失ったことで受けるであろう罰から回避できる。それでどちらもwin-winだろうに。
 僕は掴《つか》んでいる手に視線を落とし、それから同級生らが消えた先に目を向ける。
 同級生らの姿はとうに見当たらない。多少の言い争いや|掴《つか》み合いになっても気付かれることはないだろう。
 背丈はノクトのほうが多少高いけれども腕力にはそう差はない。やられっぱなしにはならないはずだし、引き籠《こも》りの30歳に負けるつもりもない。

「用済みか? と尋ねられれば用済みになるだろうね。僕がきみを召喚したわけじゃない。きみが勝手に飛ばされて来たんだ。きみが此処《ここ》に来たせいでノクトは消えた。僕はきみよりノクトが大事だよ」
「はっきり言うんだな」
「変に期待を持たせて、後から裏切られただのと罵倒されても困る」

 言いながら「行こう」とノクトを促《うなが》す。
 これでいい。このノクトに情をかければ、本物のノクトと彼とを天秤にかけるような事態に陥《おちい》った時に彼を犠牲にすることを迷うかもしれない。
 逆も然《しか》り。能登大地が僕への情で選択を誤ってこちらが有利になる分には構わないが、勝手に期待されて勝手に失望されるのは迷惑だ。

「だから、」
「……」
「ノクト?」

 ふと足下《あしもと》の一点を凝視して固まったノクトに、僕は口を噤《つぐ》んだ。




「どうかしたの?」

 石が雑に積み上げられた其処《そこ》は、遺跡の屑《くず》が積み上げられた場所だった。
 前述したように町全体が遺跡のようなものだから少し掘ればそういった屑《くず》石はいくらでも見つかるわけで、だからこそ結構大きな破片でもありがたがることは少ない。あれもこれもと残していけば、新たに建物を建てる場所がなくなってしまう。
 遺跡として残されるのは此処《ここ》にある魔法陣のようなものや水族館にある古《いにしえ》の建物のように形がそれなりに残ったものだけ。組み合わせれば形になる”かも”しれない、なんてあたりになってくると廃棄したほうが早い。
 初等部あたりの子供や歴史に興味がある学生は有難《ありがた》がって拾い集めるけれど……要するにノクトが凝視しているのはそういう破片の山だ。

「欲しかったら拾って行っても怒られやしないよ?」

 さすがに授業中に石拾いに専念するのはどうかと思うが、後日改めて拾いに来てもいい。なんせこの手の破片は町中《まちじゅう》から見つかるのだから、持って帰ったところで誰も咎《とが》めたりはしない。
 それにしてもノクトがこんなものに興味を持つとは。
 いや、能登大地が、か。自分の存在について言い争っている最中《さいちゅう》、こんな破片に目を奪われるだなんて、拍子抜けしたどころではない。

「そうじゃない」

 違うと言いながらもノクトは屈《かが》みこむ。両手で山を崩していく。

 そうして手を動かすこと数分、ノクトは茶色の石板らしきものを引っ張り出した。
 このあたりで転がっている石に比べるとかなり濃い色のその石板は、作られた頃は鏡面仕上げにでもなっていたのだろうか。つるりと平らな面が見て取れる。文字らしきものが刻まれている。

「文字?」
「定《てい》、だな」
「定《てい》?」

 直線を何本も組み合わせたそれは僕たちが使っている文字とは違う。それをノクトは読んだ。
 と言うことは、この文字は能登大地の世界で使われていた文字ということになる。

「ビル……高層の建物の壁によく貼りついている奴《やつ》だ。”定礎《ていそ》”の”定”。間違いない」
「定礎《ていそ》って何」
「知らん。でも俺のいた世界にはこういうのがあちこちにあった」
「ってことは、やっぱり能登大地は過去の人なんだね」

 僕も同じように屈《かが》みこんで石板を覗《のぞ》き込む。
 求めていた”能登大地の手がかり”。なのに何も感銘を受けないのは「だから何?」という気持ちのせいだろうか。
 それこそ女神のホログラムが浮かび上がったりしてくれれば気の持ちようも変わるだろうけれど、これはただの建築資材。元の世界と繋《つな》がるアレコレだの奇跡の力だのを期待するのは間違っているし、当然のことながら何も起きない。

「で? 何か思い当たることは?」
「……お前、案外冷《さ》めてんな」
「で?」
「………………ねぇよ」

 ノクトはそう言いながらも何処《どこ》か懐かしそうに石板を撫でている。
 建築資材にそこまで思い入れがあるのか? という疑問はさておき、何ひとつ知ったもののない世界で自分の知っているものが現れたのだから、まぁ、その反応は理解できなくもない。



「ノークトーォ! マァーーーーレーーーーーェ!」

 そんな時。声が聞こえた。
 声のしたほうを見れば、皆が姿を消した道の向こうからチャルマが戻って来るのが見えた。

 わざわざ戻って来たのだろうか。このあたりは知らない場所でもないからはぐれても道に迷ったりはしないのにと思ったものの、一緒にいるのはあのノクト。行方不明騒ぎもまだ記憶に新しいのだから、探しに来るのは当然かもしれない。

「ヴィヴィは一緒じゃないんだ」
「あ、うん。本当はね、マーレたちがいないって先に気がついたのはヴィヴィなんだけど……うん、心配はしてたんだよ本当だよ。でも、来られなくってね……」

 歯切れ悪くチャルマは言い淀《よど》む。
 先日のことといい最近は不仲なのかと思いきや、例の金魚の糞《ふん》のように付いて来る取り巻きのせいで身動きが取れないらしい。探しに来ようとすれば必然的に彼らも付いて来るわけで、そうなると僕たちがいなくなったことが目立ってしまう。だからチャルマがひとりで来たのだとか。

 僕はノクトを窺《うかが》う。
 ヴィヴィとは”海”で口論になって以来、お互いに口もきいていないけれども……ノクトの表情からは何も読み取れない。


「って、それ何?」
「定礎《ていそ》だって」
「定礎《ていそ》?」

 首を傾げるチャルマに先ほどの中途半端な解説を教える。しかし僕同様、「だから何だ?」という感想しか抱《いだ》けなかったようだ。
 が。

「でもノクトは何か思うところとかあったんじゃない?」

 それでもノクトだけは違う反応があって然《しか》るべき、とでも思ったのだろうか。諦めて立ち上がる僕とは逆に、チャルマはノクトの隣に屈《かが》み込む。
 
「チャーーーーーールマ」

 ミイラ取りがミイラになるとはまさにこれ。迎えに来たのに何故《なぜ》座り込んでいるのですかチャルマさん?
 そんな気持ちを4文字に込めてみたけれど、本人には伝わらない。

「よく触った? こういうのって撫でると忘れていた記憶を取り戻したり、過去と対話したりするんだよ?」

 何処《どこ》の情報だ? と首を傾げる僕とノクトを尻目に、やや興奮気味とも言える口調でチャルマは石板を擦《こす》る真似をする。
 ノクトにも擦《こす》ってみろ、と言いたいのだろう。石板を両手で持っているのにどうやって? と意地の悪い質問をしたくもあったがチャルマがここまで積極的なのも珍しくて、結局黙ったまま成り行きに任せることにした。彼に厨二病の気《け》はなかったはずだが、この数ヵ月のノクトのせいでスイッチが入ってしまった感は否《いな》めない。

「……過去と対話」

 ノリノリなチャルマにノクトのほうが引いている。
 しかしそこは年上《30歳》、興奮気味な子供を鎮《しず》めるにはそれなりに相手になるのが早いとでも踏んだのか、石板を片手で持ち直し、見様見真似《みようみまね》で擦《こす》り始めた。

「どう?」
「どうって……別に何もないなぁ」

 ノクトの口から困惑した声が漏れる。
 そうだろう。擦《こす》って何かしらのリアクションが生じるのは石板ではなくて古びたランプ。さらに擦《こす》っている本人だって何かが起きるとはさらさら思っていない。
 しかしチャルマを見れば「そんなことはない」とばかりに目を輝かせていて、嘘《うそ》でも何か言わなければ帰りそうにない勢いで。でも何処《どこ》からレトが見ているかわからない手前、妙なことは口走れないわけで。

「転生もののほとんどで前世の記憶がよみがえるんだよ。それで此処《ここ》は何処《どこ》だ、とかなんでそうなんだ、とかって周りの人に聞くんだ。
 それが読み手への世界観の説明も兼ねてるんだけど、変だと思わない? それじゃ今まで此処《ここ》に生きてた記憶は何処《どこ》行っちゃったのさ、って」

 そんな中でチャルマひとりが”妙なこと”を口走り続けているのはかなりシュールだ。

「お話が進んでいっても思い出すのは転生前の知識ばっかりで、子供の頃の記憶なんて全然出て来なくて。まぁストーリー上必要ないから書いてないだけかもしれないけど」
「はあ」
「わかってる? マーレが機嫌悪いのそのせいだよ? どうして能登大地のことしか覚えてないのさ」
「……すみません」

 挙句《あげく》、説教までし始めた。チャルマってこんな性格だっただろうか。

 今しがたチャルマがノクトに言った話は、引き籠《こも》もったノクトを引っ張り出す算段をしていた時にも聞いた。
 定礎《ていそ》の文字が読めたことで能登大地が過去の人物だということは確定したようなものだから、”前世の記憶がよみがえった説”もあながち間違いではなかったということになるのだが……水着作戦といい、ヴィヴィとチャルマだけでいろいろ推測しあっている節《ふし》は見受けられたが何処《どこ》まで考えているのだろう。当事者《ノクト》が置いていかれている。

「あ、そうだ! 転生って1度死んでるってことだよね? 死んだ記憶はあるの?」
「あるわけないだろう」

 正面切って死んだ時の記憶まで尋ねられるとは。
 ノクト《能登大地》が気の毒になってくる。



「……だけど、薄っすらと思い出したことはある」

 暫《しばら》く考えていたノクトは、やがてぽつりと切り出した。

「なに?」
「うん、まぁ、俺の世界じゃ疫病が流行《はや》って人がバタバタ死んだんだ。だから俺も知らないうちに感染して知らないうちに死んだってこともありえる、とは思ってる」

 僕とチャルマは顔を見合わせた。
 それは前文明の――人類が1度滅亡しかかった時の状況に似ている。

「何時《いつ》思い出したのさ、そんなこと」
「今」
「今ぁ?」

 まさかとは思うが石板を擦《こす》った効果だろうか。
 ご都合主義、という言葉が脳裏を横切っていったが、幼馴染みが転生者だったなんてファンタジーでしかありえない状況を目の当たりにしている今、もう何が起こっても驚かない。むしろこちら側の想像力にも限界があるから、ご都合でも何でも進んでもらったほうが助かる。

「うん。だからこうしてお前らが生きてるってことは全滅したわけじゃないんだよな、って思ったらちょっと|感慨《かんがい》深い」

 光合成するけど、と一言嫌味を添えたのが能登大地らしいけれども、それで何百年か前に疫病が流行《はや》ったと言う話を聞かせたことを思い出した。突然変異で光合成ができるようになった、とも。
 きっとノクトもチャルマの期待に応えようと必死に思い出そうとして、それらが己《おのれ》の過去のような顔で出てきたに違いない。

「もし元の世界に戻れたら、光合成できるようになれば疫病に打ち勝てるんだぞ! って教えたいけど、俺はできないから詰むんだよなぁ」

 残念そうにノクトは呟く。
 この体質は突然変異によるもの。ノクトの体を持って戻れるならともかく、向こうで待っているのが能登大地の体なら戻ることは死にに行くようなものだ。
 でも。
 その記憶は思い違いだよと言いたい。けれど言えない。
 万が一にも本当に思い出したのかもしれない。同じことが能登大地の過去に起きたのかもしれない。そう思うと。
 

「戻りたい?」
「そりゃあ……………………どうだろう、なぁ」


 何故《なぜ》光合成できると疫病に勝つことができたのかは僕たちにも説明できない。
 死にに戻るようなものだとしてもノクト《能登大地》が元の世界に戻るつもりでいるのなら、卒業してファータ・モンドに行き、彼《か》の地でその理由を得なければならない。
 その前に、転生者が元の世界に戻るには? という難問が立ち塞《ふさ》がっているのだが。




 何にせよ、全く進展のなかった数ヵ月に比べれば劇的な変化だと言えるのかもしれない。
 これが石板を擦《こす》ったせいか、時間の経過によるものか。これを機にトントン拍子に変化があるのか、これで打ち止めか、それは神のみぞ知るところだけれども、ともかく周囲は既《すで》に夕暮れというには暗さが際立ち始めている。
 このあたりには街灯もないから、もう少しすれば闇に閉ざされる。さすがに3人もいれば道に迷う心配も暴漢に襲われる心配もしていないし、その前に子供ばかりのこの町に暴漢なんてものはいないけれども、一応は授業の一環として此処《ここ》に来ているわけだから直帰するわけにもいかない。

「……とりあえず持って帰ったら? 定礎《ていそ》」

 僕は未《いま》だに屈《かが》み込んでいるふたりを見下ろす。
 まだ何か起きるかもしれないけれども刻限《タイムリミット》だ。先に行った同級生はそろそろ学校に到着する時間だろう。僕らも戻らなければ。

「寮で擦《こす》れってか?」
「何か思いついた時にわざわざ此処《ここ》まで来るのは面倒でしょ」

 「怪しい動きをしている、ってレトにバレても知らないよ」とセルエタを掲げて見せると、溜息をひとつ吐《つ》いてノクトも立ち上がった。
 未練がましく屈《かが》み込んだままのチャルマに「行くぞ」と声をかけている。

「随分チャルマと仲良くなったことで」
「妬《や》いてるのか?」
「なんで僕が」

 先日、半強制的に移動遊園地に送り込んだ後日談は聞いていないが、チャルマの懐きようからして楽しく過ごせたのだろう。ノクトが最近穏やかになったのは、この世界で生きるために牙を隠しただけではなく、理解者《チャルマ》の存在も大きいに違いない。
 チャルマは最初から能登大地にも親身になって接していた。味方だと思える相手がひとりでもいれば”知らない異世界”も”第2の人生を歩むに値する場所”になる。

「ほら、チャルマも立って」

 僕は未《いま》だ屈《かが》んだままのチャルマの肩を叩いた。
 駆け戻って来たせいで足でも痛めたのだろうか。そうであってもノクトに背負《せお》わせるだけだけれども。

 叩いた振動か、チャルマの体が傾《かし》いだ。
 そして、そのまま地べたに倒れ込む。

「チャルマ?」

 何が起きたのかわからなかった。
 今まで、つい今さっきまであんなに元気でいたのに。

「チャルマーー!?」

 虚《うつ》ろに目を開けたまま人形のように動かないチャルマを前に、僕は名を叫ぶしかなかった。




 チャルマはそのまま入院した。見舞いに行ったヴィヴィの話では意識もはっきりしていて元気らしいから、そのうち戻ってくるだろう。
 と、思って2週間。未《いま》だに帰って来ない。
 

 時間は無常に過ぎて、学校では新たな”レトの学徒”が選ばれる運びとなった。
 ”レトの学徒”とは最終学年の中から選ばれる監督生の呼称で、僕の中ではつい最近までフローロの代名詞。成績だけでなく普段の素行や言動まで含めた上で選ばれる彼らは、常に一般学生の規範となることを求められる。
 窮屈《きゅうくつ》ではあるけれどその肩書きはファータ・モンドに行ってからも役に立つと言うことで、目標にする学生は案外多い。

 それに選ばれた。
 以前、フランから”レトの学徒”を目指していることを指摘されてはいた――言い換えればレト自身に知られていた――けれど、それで優遇されたのだろうか。ノクトに振り回されて試験は散々だったし、半《なか》ば諦めていたのに。

 ”レトの学徒”専用の赤いベストに袖を通してもまだ実感がわかない。
 何故《なぜ》僕なのだろう。試験勉強はそれなりに頑張ったけれど、それなりの域を越えてはいない。成績以外の面だって訴求力は弱い。リーダーシップはヴィヴィという抜きん出た存在がいるし、(主にノクトのせいで)レトに隠しごとまでしているし、それをレトに知られているし。
 どう考えても僕には選ばれる要素がない。

「あれだけ男遊びの盛んな奴《やつ》が他の学生の規範になると本気で思ってんのか?」

 ベッドに転がって本を読んでいたノクトが、目も向けないまま鼻で嗤《わら》う。

「男遊びって」

 性別がないのだから男遊びも何もないと言うのはこの場合、欺瞞《ぎまん》なのだろう。
 でもあの水着は普通に店に売っているものだし、ヴィヴィはそれを着て歩いていただけだし、勝手に群がるのが悪いと言うの……は、媚《こ》びて来ることを想定している時点でヴィヴィにも非があると言えばそうなんだけれども。

「……ノクトってヴィヴィにだけ異様に厳しくない?」

 ”海”での喧嘩を今でも引っ張っているのだろうけれど、突然幼馴染みが別人になってしまった挙句《あげく》引き籠《こも》って収拾がつかなかったのだから、その”幼馴染み”たるノクトにも原因はあるはずだ。第一、人生15年の僕たちよりも30年生きている能登大地が歩み寄るべきではないのか? と思うのは子供の甘えだろうか。

「ヴィヴィは僕よりしっかりしてるし面倒見もいいよ。きみが引き籠《こも》ってる時だって、」
「あー……違うんだ」
「違うって何が」

 これで実は好みのタイプでした、喧嘩腰だったのは好きな子を苛《いじ》めたいという子供特有のアレと同じです。と言うのならわからなくもないけれど、応援する気にはなれない。
 でもそれは僕がヴィヴィやノクトに特別な想いを抱いているというわけではない。チャルマに対して申し訳が立たないと言う意味でもない。
 何度も言いたくはないが此処《ここ》での恋愛ごっこは黒歴史になる率が異様に高い。他人ごとながらそれを危惧《きぐ》しているだけだ。

 ヴィヴィも奔放に遊んでいるように見えて「相手はこの学校の卒業生以外にしてくれ」とレトに頼み込んでいるらしい。筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》とした男になってしまった日には、可愛《かわい》らしさ限界突破の水着でチャラチャラ歩いていた過去など抹消したいだろうし、それを知っている奴《やつ》なんて顔を合わせるのも嫌だろう。
 そんなある意味手前勝手な願望をレトが考慮してくれるかどうかは別問題だが。

「ああ見えてヴィヴィはノクトのことを心配してたよ。あの水着だってもとはと言えばノクトを外に引っ張り出すための策だし、それを、」
「あー。……!!」

 怪訝《けげん》な目を向ける僕に、ノクトはわしゃわしゃと髪を掻きむしり、それから勢いよく上体を起こした。

「違うんだ。あいつはな! 妹に似てるんだよ!」
「妹、と言うと女で且《か》つ年下の兄妹」
「そんな解説いらねぇ」

 この”妹”とは言うまでもなく”能登大地の妹”のことだろう。
 生まれてすぐに揺りかご《乳幼児保育施設》に入れられる僕たちには兄弟という概念がない。血が繋《つな》がっているであろう誰かよりも、揺りかご《乳幼児保育施設》からずっと顔を突き合わせている同級生のほうが兄弟に近い。
 それを考えると僕がヴィヴィに向ける想いと能登大地が妹に向ける想いは似ているのかもしれない。あまり派手に遊ぶのはどうよ? 的な。

「妹さんは生きてるの?」
「この時代で”生きてるか?”って聞かれても、もう死んでるとしか言いようがないんだが」
「あ、うん、そうなんだけど」


 能登大地がこの世界に来たのは本人の意思でも何でもないけれど、物語では異世界に飛ばされるには|それなりの《第三者的な》理由があるもの。
 なのに彼はその理由《使命》を探すこともなく、この世界に馴染もうとしている。「戻れたら~」とは口にしたけれども積極的に戻りたいと思っているようには見えない。
 転生なら戻れないと思っているのか。
 もしかしたら戻ったところで彼を待つ者はもう誰も――その妹も――いない、なんて事態になっているのかもしれない。
 そんな中、たったひとり飛ばされた転生先に妹のそっくりさんがいれば、因縁じみたものを感じないはずがない。


「……ごめん」
「お前がそんなこと言うと槍《やり》でも降ってきそうだな」

 何にせよ、ヴィヴィに対するあの態度が恋愛感情でないのならとやかく言うことではない。相手の傷口をこじ開けてまで聞くものでもない。
 僕はベストを脱ぎ、パーカーを羽織《はお》る。

「何だ? ファッションショーはもう終わりか?」
「見てもいないくせに」
「見せてくれてたのか、そりゃ失礼。ほらもう1回着て1回転してみな。見てやるから」
「見せてません」

 最近はこのノクト《能登大地》の茶化しにも慣れて来た。と同時に、以前のノクトならどんな反応が返って来たのかを想像することができなくなっている。
 もしこのまま僕の中でこのノクト《能登大地》がノクトになってしまったら、何かあった時に――例えば本物のノクトが現れた時に――彼をただの部外者だと切り捨てることができるのだろうか。


「で、話を戻すけどさ。お前が”レトの学徒”に選ばれるのが不思議だとかいうアレ、レトは掌《てのひら》の上で泳がせたいんだろう」

 そんな僕の中の嵐に気付いている風もなく、ノクトは本を閉じた。
 コーティングが剥《は》がれかけた安っぽい表紙には「人工知能との対決」というタイトルが見える。ノクトになりきるために彼の蔵書を読み込んでいるのか、何時《いつ》かくるかもしれないレトと対決する日に備えているのか。後者だとしたら子供向けSF本で対策を練ろうとしている時点で既《すで》に負けている気がするのだが。

「どう言うこと?」
「お前は真面目だから、選ばれたら”レトのために”って張り切るだろ? それこそ向こうの思う壺ってことだよ。レトは妄信的に動く手足が欲しいのさ」
「でも僕はレトに喋れ喋れって言われてもノクトのことを黙ってたよ? 妄信的とは言えないんじゃない?」
「あの時は”レトの学徒”じゃなかったろ」
「……これからだって喋るつもりはないよ」

 レトもノクトが言うように”レトの学徒”になれば隠していることも喋るはずだ、という打算で僕を選んだのだろうか。
 否《いな》、そんな回りくどいことをせずとも催眠術的なことで喋らせるなり拷問にかけるなり、レトにならいくらでも方法があるはずだ。
 実際にそれをするかどうかは別として、世界を統《す》べる人工知能なら。それこそノクトが読んでいた本に出て来る敵役のように。