22-12 草の根勇者たちの奮闘~Canzone di battaglia~




 ここで、またしても時間を少し遡《さかのぼ》る。

 ルチナリスたちとわかれたエリックはガーゴイルの腕を掴《つか》んだまま、振り返りもせずに廊下をひたすら歩いていた。彼女から「帰れ」と言われたことが原因だが、この道が果たして帰り道になっているのかは甚《はなは》だ疑わしい。
 疑わしいが地図もない。それに今は少しでも早く彼女たちから離れたかった。


「ちょっとぉん! 何処《どこ》まで行くのよぅ」

 と言う声が後ろから飛んでくる。
 その声の主《ぬし》を連れていれば人間界に戻れるらしい。どう見ても人間の顔をしていない――自分が知っている「悪魔」と同じ顔をしている――ことは知っているが、これ《ガーゴイル》が必要だと聞いていながら手ぶらで去って「要《い》るって言ったのに連れて行かないなんて馬っ鹿でぇ」と嘲笑されるのも不愉快だ。
 それに来る時はドラゴンの背から蹴落《けおと》とされたから、戻る時もそれ相応の危険に遭遇する必要があって然《しか》るべき。
 戻る方法がこれ《ガーゴイル》に頭からパックリと食われるというのは頂けないが、「人間界に帰る」とは言い換えれば「異世界転移」と同義だし、近年よく見かけるようになった「モブ気質で引き籠《こも》りニートだったんだけど何故《なぜ》か召喚されてからは女の子にモテモテで、どうしてだか知らないけれど剣も魔法も最強」な勇者たちは総じて猛進する鉄製発動機付四輪《大型トラック》に跳ね飛ばされて来たそうだし!
 この発想を自棄《やけ》になっていると言うのか、なんて冷めたことも考えつつ――

「食べないわよ!」

 心でも読んだのか、野太い女言葉が反論する。

「乙女の食べ物と言えばお菓子と果物とお花って決まってるでしょ! ああ、でもお菓子って言っても醤油を塗りたくった固焼き煎餅《せんべい》なんかじゃないわよ。そんなお婆ちゃんが囲炉裏《いろり》の端《はし》でポタポタ焼いてるのじゃなくて、マカロン♡とかティラミス♡とかそういうのよ!」
「あーそー」

 いいじゃないかお婆ちゃんがポタポタ焼いたって! なんて心の中で反論しつつ、それを舌には乗せない。囲炉裏《いろり》も醤油も初耳だけれどもそれについてもツッコまない。
 わかる。この女装悪魔はボケ属性だ。下手にツッコめば間違いなく漫才の相方《あいかた》にされる。此処《ここ》に来てから何度もシリアスなシーンがあったけれど、その度《たび》に何度ぶち壊されて来たことか! ボケるのもツッコむのも好きだけれども、今はそんな気分にはなれない。

「やぁねぇ、女のコにちょーっと冷たくされたくらいで落ち込むなんて」
「落ち込んでななんかないよ!」

 何故《なぜ》勇者の僕が落ち込まなければならないのだ! と言うととてつもなくナルシストっぽく聞こえるけれど、正直、落ち込んでいるわけではない。落ち込むというよりは腹を立てている、といったほうが……いや、それも違う。

 魔界に行ったのが領主《ルチナリスの義兄》自身の意思なのかを確かめるために、という建前で此処《ここ》まで来たものの、ルチナリスが領主を取り返したいと思っているであろうことは薄々感じていた。同行しているグラウスが完全に取り返すスタンスでいるから、「会って話をするだけ」が「一緒に帰る」に移動《シフト》しつつあるのだろうということも。

 だがその「ルチナリスの義兄《あに》」は闇を封じるために必要で。
 メグ《妹》が記憶を失い、人格すら変わってしまった原因を封じることができる。またメグが豹変するのではないか、記憶を失った後に少しずつ築いてきた記憶《思い出》がまた吹き飛ぶのではないか、今度はもう兄と呼んではくれないのではないか、人間の姿でいられなくなるのではないか。そんな不安をもう考えずに済む。そう、知って。

 悪魔が解き放った闇なんだから悪魔の命を代償にして何が悪い――と欠片《かけら》ほどでも心の端で思ってしまったことも嘘ではなくて。

 「世界平和なんかより身近な誰かが幸せになるほうを考えるべき」だとルチナリスに説いたことがあるくらい、自分が「勇者」に向いていないことは承知だ。だからルチナリスの義兄《あに》よりもメグ《身近な誰か》を選ぶことも「いつもの自分」から見れば順当で、何度時間遡行《タイムリープ》して繰り返し同じシチュエーションに遭遇したとしてもきっと同じ答えを出すだろう。
 でも彼《領主》を見殺しにする選択肢を選ぶことが彼女《ルチナリス》を騙したようにも感じて、後ろめたいし居心地も悪い。

「だけどさ、あんな言い方しなくたって」

 ルチナリスの望みを叶えるために来たけれど、望みを叶えたらメグが消える。メグだけでなく全ての人が無に還《かえ》る。
 なのにその懸念をほんの少し口にしただけで、まるで裏切ったかのように目を三角にして「帰れ」と……。


「だったらはっきりきっぱりるぅチャンのことは切り捨てちゃいなさいよ! 帰っちゃえばどうせもう会うこともないんだし!
 それとも気になる!? 気になっちゃう!? 青春したってオネーサンは怒らないわよ? むしろ応援するわよ壁になって!」
「あのねえ!」

 どうでもいいが何故《なぜ》この女装悪魔は自分の考えていることに対してとやかく言ってくるのだ。相手にしたくないから口を噤《つぐ》んでいるのに、これじゃまるで心の中を読まれているみたいじゃないか。
 でも青春ではない。妹の友達という、出会いと言えば同じ村の中、みたいなご時世でその関係はとっても恋愛系に発展しそうに見えるけれど、自分にだって理想はある!
 あと誰がオネーサンだ誰が‼ そういうのはおっ○いをモノにしてから言いやがれ!!!!
 そんな苛立《いらだ》ち混じりで振り返ったエリックに、ガーゴイル《女装悪魔》はふふん、と鼻を鳴らした。

「ついでに言うとね、正門に向かうならさっきの階段から下へ、地下水路に行くのならさっきの曲がり角を右に行って最初の階段を下りて、一旦、離れの外に出ることね。この先は行き止まり」
「地下水路?」
「ああ、お兄サンは地下水路は通らなかったっけ。行ってもわかんないかもねぇ。でも安心して! あたしが隔《へだ》ての森まできっちり送ってあげるから!」

 そしてこの女装悪魔は親切にもこの迷路のような城内の道案内をし、人間界に帰るところまで付いて来てくれるらしい。
 まぁ、口でそう言っているだけで、実際のところは人けのないところでパックリと……という可能性もなくなったわけではないけれど。
 とにかく彼女《女装悪魔》が持っているアイテムが人間界に戻るナントカという森を抜けるのに必要なのだから、ついて来る《連れて行く》のは当然と言えば当然と言うか、退路を断たれたと言うか。
 できることならアイテムだけくれればいいのに、これでは途中で気が変わることもできやしない。


 帰るしかないのだろうか。
 こんな何処《どこ》を見ても人間を食べる悪魔が出てくる場所にいるくらいなら帰りたいのはやまやまではあるけれど、ノイシュタインの人たちから「領主様を頼む」と言われて送り出された手前、手ぶらでは帰りにくかったりもするし、これでも一応は勇者だというプライドも足取りを重くする。

 この自称オネーサンは妙にフレンドリーだから、「やっぱり気が変わった」と言えば「じゃあ戻りましょう」となる可能性も素《素粒子》レ《レベルで》存《存在する》。
 しかしそれでルチナリスに再会するのも気まずいと言うか、加えてその隣にはやはり悪魔扱いをして剣を向けた師匠《アンリ》もいて。さらに今回の一件で「領主の命を軽んじる敵」だと認識してしまっているであろう執事《グラウス》もいて。
 今までなら「これが正しい!」と向かっていけたのに、今はどうすればいいのかわからない。
 なのに。

「”ボクはこんな魔界くんだりまで来てあげてるのに。勇者の扱い酷過ぎない?”って?」

 こっちが真面目に悩んでるというのに、嫌味バリバリな茶化しが飛んでくる。

「お前に何がわか、」
「わかんないわぁ。あたしは何かを返してもらうために動いたりしないもん」
「僕だって別に代償を求めてるわけじゃない」
「求めてるじゃないの。”僕を敬《うやま》えー”って。”悪魔なんかの肩を持つな”って。”人間のくせに僕より悪魔の味方でいるなんて”って」
「それは、」
「それが闇よ」
「え?」

 闇?
 勇者の僕に闇?

 エリックは突然のことに目を瞬《まばた》かせる。

 闇ってメグが呑み込まれたアレのことだよね?
 それが僕の中にあるって言うわけ? 勇者の僕に?

「何言ってんのよ。フツー、誰の心の中にもあるでしょぉん? ってこれはあのメイド服が似合いそうなお姉様の受け売りだ・け・ど♡
 るぅチャンはそれをボク《エリック》の中にも見ちゃったから怖くなったんじゃないかしら」


 そうなのだろうか。
 思い返してみれば確かに師匠《アンリ》に剣を向けた時もルチナリスは変な顔をしていたが。


「ま、はっきり言っちゃうとボクはるぅチャンの信用度でお兄ちゃんに負けたわけなんだけど」
「は?」
「潔《いさぎよ》く非を認めて戻るのも勇者よぉん」
「いや、それって僕は何も悪くなくない!?」
「女の子を泣かせた時点で男が悪いってことになってるのよ、ハードボイルドの世界では」
「はあ!?」
「ってことで、今更どうしようもないからフェードアウトなさい。……お子チャマの出番は終わったのさ」
「……そこだけ恰好《カッコ》よく言っても」

 ああもう!
 どう反論しようともこの女装悪魔が退路を断ちに来る!
 
 



 そんな時だった。
 目の前を、槍を手にした紅《あか》い羽虫が横切って行ったのは。

「え?」

 わかる。あれは決して羽虫などではない。よく見れば人間の形をしていた。ただ、髪と肌が紅《あか》いだけだ。
 あれと同じものを何処《どこ》かで見た。何処《どこ》かで……そう、町長のお供でノイシュタイン城に行った時、道に迷った自分の前で。槍を持ったアレが十数匹単位で追いかけて来たことは未《いま》だにトラウマになっている。

「うわああああああああ!!」
「うひゃあああああああ!!」

 恐怖再び。
 思わず叫び声を上げたエリックに呼応するように、その紅《あか》い羽虫も叫んだ。いや、呼応ではない。狼の遠吠えに他の狼が遠吠えをし返すようなものとは違って、自分の声に驚いて悲鳴を上げただけ、だけれども。

 大丈夫。
 エリックは半歩後退《あとずさ》って息を整える。
 あの時と今では状況が違う。過去の自分の守備力が1とすると今の自分は50。あんな付けペンの如《ごと》き槍で刺されたところでこのフルアーマーなら痛くも痒《かゆ》くもない。目や口腔《こうくう》を狙われないように注意しておけばいい。
 そう警戒したものの。
 羽虫は今しがた叫んだことすら忘れたと言わんばかりのシレッとした顔で、再び飛び去って行ってしまった。


 ……………………あれ?

 逃げた? それとも相手にもされなかった?
 もし後者で自分たちを見逃してくれたが故《ゆえ》の行動なら、アーデルハイム侯爵と同様、闇に染まっていない貴重な「味方となり得る」者かもしれない。
 戦力的に全く期待できないけれど、もし話が聞けるのなら、この城がこうなってしまった理由《わけ》も少しはわかる。なんせ情報が少なすぎる。


「あれは竈《かまど》の精霊ね」
「竈《かまど》」

 何故《なぜ》、厨房が近くにあるわけでもないこんなところに竈《かまど》の精霊が? と目を凝らしてよく見ていると、その紅《あか》い羽虫は少し先にいる別個体にバトンタッチの如《ごと》く槍を手渡した。今度はその別個体が飛び去って行く。 


 何だあれは。


「ちょ……っと、帰るのはもう少し後にするよ」

 気になる。
 まさか当主の婚儀を控えた前日の夜に大運動会でもあるまい。あれは意図《いと》がある。彼らは彼らで何かをしようとしている。
 もしかすると味方になり得ると思ったことが錯覚で、彼らも紅竜指示の元で動いているだけなのかもいれない。それならそれで阻止すれば《握り潰せば》いいだけの話だ。陰で暗躍なんて勇者らしくはないけれど、

『僕はこうなることも見越していたのさ!』
『勇者様ステキー!』

 と結果オーライな展開も期待できる。

 うん、これこそが勇者だ。敵を欺《あざむ》くにはまず味方から、じゃなかった、レギュラー陣とは道を違《たが》えても勇者には活躍する場が残っているものなのだ! 決してエンドロールまで出番がないのが嫌だからセルフで作っているわけじゃない。

 エリックは剣を背負《せお》い直すと、羽虫の後を追った。




 そしてエリックと道を違《たが》えたレギュラー陣は、と言うと。

「俺が言うことじゃねぇけどなぁ、やっぱこれ以上減らねぇほうがよくねぇか?」

 気まずい空気ばかりが流れていた。

「あいつも一応は嬢ちゃんのこと心配して此処《ここ》まで来てるんだよ。それはわかってやってくれ。な」

 師匠《アンリ》も執事《グラウス》も口に出しては言わないが、「何で今此処《ここ》であいつを切り捨てるんだよ、馬鹿じゃねーの?」みたいな心の声ははっきりと聞こえる。

 すごいわ! 聖女の力じゃなくて精神感応《テレパシー》が使えるようになったのね! じゃなくて。
 そう言う師匠《アンリ》も、少し前には彼《エリック》から敵認定されて剣を向けられていたはずだ。なのに何故《なぜ》そこまで寛容なことが言えるのだろう。

 険悪とは言わないまでもギクシャクした空気はあった。
 この城に来てから何度も離れ離れになったし、偽物も現れたらしい。今でこそ上っ面は協力しているように見えるけれど、何処《どこ》かで「これは偽物ではないか」「背を向けたら刺されるんじゃないか」「騙されて違う場所に誘導されるのではないか」なんて猜疑心《さいぎしん》はずっと付きまとっている。

 ルチナリスのそんな気持ちを察したのか、師匠《アンリ》は続ける。
 
「まぁ、どうしていいかわかんねぇんだよ。今まで人間だと思ってた奴《やつ》らがどいつもこいつも悪魔だって知って、それであっさり順応してた今までのエリックのほうが気持ち悪いと思わねぇ? あいつだって一歩間違えば家族を人間狩りで失ってたってのによ。
 それにあいつも紅竜をどうにかすればいいってことはわかってんだ。だから、」


 違う。そうじゃない。
 勇者《エリック》は少し前からおかしかった。まるで人が変わったような……メグと同じように闇に染まってしまったのではないかという、そんな恐怖を感じた。
 偽物とすり替わっているよりたちが悪い。背中を預けていたら何時《いつ》の間にか蔓になっているかもしれないのだ。 
 闇は誰の心の中にもある。あたしの中にもある。ミルは向き合うことは悪いことではないと肯定していたけれど、執事《グラウス》が何時《いつ》の間にか闇に入り込まれて義兄《あに》を襲ったように、気付かないまま変わってしまうこともある。
 勇者《エリック》も海の魔女の一件以降、何度も闇に遭遇しているから、自分で気が付かないまま闇に入り込まれていないとは言えない。だから……いや、それも違う。

 勇者《エリック》が義兄《あに》の犠牲もやむを得ない、と、そんなスタンスを取ったから。
 だから。
 あたしは義兄《あに》を取り戻すために戦力が欲しかっただけ。
 取り戻すのに邪魔になるならいらないと、そう思っただけだ。


「しかし今から追いかけるのは得策とは言えませんね」

 執事《グラウス》も迷ったように口を挟む。
 義兄《あに》を犠牲にするのもやむなし、というスタンスには多分あたしと一緒に対立してくれるであろう執事《グラウス》ですら、でも今戦力を減らすのはどうよ? という気持ちに傾いているのが見受けられる。
 見受けられるが、この先に義兄《あに》がいて、その命が危険に|晒《さら》されている可能性があると聞かされれば、これ以上迂回《うかい》する気にはなれないようだ。今こうして話をしている時間すら惜しいのに立ち止まらせて、と……別の意味で「余計なことしやがって」感を感じる。

 ああ、何だかんだと言ってもやっぱりあたしが全部ひとりで悪いんじゃないか。それを「あの扉が怪しーい!」なんて誤魔化《ごまか》して。
 考えすぎるのはあたしの悪い癖だけど、考えなしに動いたら余計に悪くなることばっかりじゃないの。ちょっとは自重しなさいよ過去のあたしーー!!

「ごめんなさい! あたしが連れ戻してくる!」
「待て待て」

 居ても立ってもいられなくなって身を翻《ひるが》しかけたルチナリスの腕をアンリが掴《つか》む。

「だーかーらー。俺言ったよな、これ以上減るなって」
「でも」

 確かに言ったがあたしは戦力外だ。聖女の力も大地の加護も扱えないばかりか、義兄《あに》に持っていかれてしまった。
 今握っているドアノブの向こうに義兄《あに》と紅竜がいたとしても、何の役にも立てないことは確定だし、それどころか捕まって人質にされる未来が見える。2度あることは3度ある。


「先に青藍だ。エリックには聖剣もガーゴイルも付いてるし、運だけは異様にいい。敵陣のど真ん中だが、兵士も客もほとんど倒してっから新たに遭遇することもねぇだろう。
 まぁ考えてみりゃあ、あいつぁ人間界に戻ったほうがいいことは確かだな。メグもいるし、勇者ってのは人間を守るもんだ」
「でも」
「これからのことは俺たちだけの問題だ。部外者を巻き込むのは気が引ける。嬢ちゃんだってそう思ってたはずだろう? そうなっただけだ。気にすんな」
「でも、」
「さぁて。青藍は嬢ちゃんの呼びかけで起きたんだろう? なら声はまだ届く。あいつをこっちに引っ張れるのは嬢ちゃんだけだ。今度は張り切って行けよ? トトを起こす時以上にな!」

 そうだろうか。
 あたしの声が義兄《あに》に届いたせいで闇が抜けるなんて、そんな劇的なイベントががモブの人生に起きるはずがない。現にトトの時だってあたしは何の役にも立たなかった。
 紅竜も義兄《あに》を目覚めさせるために呼ぶことを強《し》いてきたけれど、実際に義兄《あに》が目を覚ましたのはミルの剣のおかげだった。あたしではない。


「あなたはご自分を過小評価しすぎです。才もないくせに大口を叩かれるのも不快ですが」

 こちらはこちらで並んだ扉を開ける手を全く止めず、執事《グラウス》までもが口を挟む。

「あなたは何をやらせてもからっきしですが想いの強さがある。メンバーの中で……まぁ私には劣りますが青藍様の幸福を願っている。その力を信じるべきです。
 それに今は確かに相手方の動きがおかしい。この人《アンリ》が何をしたのかは知りませんが、今、機を逃すのはただの馬鹿ですよ」

 
 そうだ。先ほど合流した際、アンリは「闇がこれ以上出て来るのは阻止できた」と言った。「後は紅竜が抱えている分をどうにかすれば」とも。何をしたかは不明だが、折角《せっかく》師匠《アンリ》が作ってくれたチャンスを無駄にはできない。
 何百年も前の人々が命がけで封印した闇だ。阻止できたと言ってもきっと一過性のもの。あの短時間で完全に動きを止められるはずがない。
 執事《グラウス》が言うように、今このチャンスを私情で流すのはただの馬鹿だ。
 だ、けれど。


「ってことだ。エリックのほうはやることやってから探しに行け。あいつはそう簡単にくたばったりはしねぇからよ」
「でもあたし、」

 無理だ。あたしには何の力もない。呼びかけたところで義兄《あに》には届かない。
 現にロンダヴェルグで義兄《あに》はあたしの目の前で司教《ティルファ》を害し、あたしにまで手を上げようとした。渡り廊下で、義兄《あに》はあたしを見ようともしなかった。
 聖なる乙女の祈りだか何だか知らないけれど、あたしに皆が期待しているような力はない。想いの強さなんて何の役にも立たない。
 師匠《アンリ》や執事《グラウス》がこうしていろいろ言ってくれているのも、あたしを気遣《きづか》ってくれているだけで――。



 その時だった。あたしと師匠《アンリ》が話している間も勝手に扉を開け続けていた執事《グラウス》が正解を当てたのは。
 開けた途端に悪意と、それを打ち消すほどの光が飛び出した。扉の前に立っていた執事《グラウス》が一瞬、見えなくなったほどだ。

 何? と聞くまでもなく執事《グラウス》が飛び込んでいく。
 わかる。義兄《あに》がいたのだろう。

 でもこの光は? 執事《グラウス》の祖母が持ち直す原因になったとされるあの白い光にも似た、それよりも強くて狂暴な光。まるで何もかもを消してしまうような。



 ああ、あたしはこの光を知っている。
 海の魔女事件の時に義兄《あに》が放った火柱に似ている。メグの中の闇を消し去ったあの炎に。
 闇を消した光と同じならいいじゃない、と思う一方で……早くしないと間に合わなくなると焦りたくなるこの胸騒ぎは何だろう。




 その部屋は異質だった。
 入ってまず目に入るのは中央で轟音を上げて立ち上っている巨大な光の柱。明るさも此処《ここ》までくると暴力になるのかと改めて思わせるほど白く、眩しく、だからこそ近付くのに躊躇《ちゅうちょ》してしまう。
 光は床から発している。光っている箇所が弧を描いているところからして元は円形だと思われる。
 円形から上に向かって放たれる光、といって思い出されるのは第二夫人の葬儀に参列するために城を留守にする青藍が張っていた永久結界と呼ばれる其《そ》れ。あの結界は晴れた日の水底を覗《のぞ》いたような清廉さがあった。
 それに比べるとこの光は酷《ひど》く激しくて、心が落ち着かない。


 周囲には城内のあちこちで見かけた黒い蔓――量が増すにつれ目的地に近付いていると感じることができたあの蔓――が散らばっている。元々は部屋中に蔓延《はびこ》っていたものの光に当たった箇所だけ消えてしまったのだろう、と容易に想像できるほど、場所による有無の差は歴然だ。
 そこから考えて、この光は闇を滅する効果を持つと推測できる。ソロネが使っていた白魔術――光の力を帯びているのかもしれない。

 しかしそんなものが何故《なぜ》魔界に。それも魔族の城の最奥に。
 グラウスは目を細め、どれもが白に溶けてしまいそうな屋内を見回す。


 この光の柱はアンリが言っていた「闇がこれ以上出て来るのを阻止した」ことと関係しているのか、別行動をしているアイリスが仕掛けたことなのか。それともそのどちらでもない第三者が発動させたものなのか。
 蔓を消し去るなんて光属性以外の何ものでもない。とすると消去法で第3の推測しか残らないし、魔族の自分が迂闊《うかつ》に近付いていいものでもない。
 部屋に飛び込んだものの、瞬時にそれだけ嗅ぎ取ってたたらを踏んだグラウスだったが……視力を奪いそうな光の向こうにちらりと見えた人影に躊躇《ためら》いが全てが吹き飛んだ。

 夢ではない。
 幻でもない。
 黒い竹ではない、人の姿をした青藍がいる。硬く目を閉じたまま、紅竜に抱えられている。

「……青藍様!」

 青藍がいる。意識がないようだが眠っているのか、死んでいるのか。
 これは生贄《いけにえ》の儀式なのか。
 だとすると、キーアイテム《青藍》の奪取は紅竜がリードしてしまったのだろうか。
 個人的には紅竜がしようとしていることも第二夫人が考えたことも、どちらも支持するつもりはないけれど、こうして動き出してしまっているのならそんなことを言っている場合ではない。

 阻止するまで。

 と伸ばした手は、だが、光の柱に当たった途端に火花を散らした。
 鋭い痛みに思わず手を引っ込め、改めてその手を見れば、指先が火傷《やけど》でもしたかのように爛《ただ》れ、裂けた皮の間から血が滲《にじ》んでいた。もう少し長く触れていたら爪まで剥《は》がれていただろう。

 この光の柱に光属性が付与されていることは間違いない。
 物語などでは「敵は触れることができないけれど、主人公は(触れても大丈夫な血筋だったり、誰かに認められているおかげで)何ともない、などというチート設定が当然のような顔で出て来るところだが、この光の柱に関しては厳し《シビア》すぎるくらいに厳しい《シビアだ》。
 近付けば蔓の二の舞になる。あの千切《ちぎ》れ飛んだ細切れは決してただの風景の一部ではないし、また、敵の戦力が減ったと喜ぶべきものでもない。
 あれは未来の自分の姿。
 迂闊《うかつ》に近付いたが最後、ああしてバラバラになって転がるのは自分なのだ。
 

 どうしたらいい?
 グラウスは光に触れないように距離を取る。
 迸《ほとばし》る光の壁を通して、その向こう側が見える。青藍たちの足下《あしもと》に広がる文様は間違いなく魔法陣のそれだ。

 魔族でも魔法陣は使える。属性が合っていれば詠唱なしで発動することもできるし、それ以外……他属性は無理だが、無属性と呼ばれるものであれば呪文を併用することで発動が可能となる。例えれば、前述した永久結界もそのひとつ。
 しかしこれはただの結界ではない。もの凄く強力な結界、という少し間抜けな言葉《ワード》で表せばいいものでもない。

 これは何だ。
 生贄《いけにえ》の儀式か、結界か。他に考えられるとすれば――。

 グラウスの脳裏に、アレでなければコレでしょ? とばかりにひとつの回答が瞬く。


 これは、第二夫人の策。蔓を吹き飛ばしたのも自分《グラウス》を拒絶するのも、聖女の力が混じっているせいだとすれば何ら不思議なことはない。
 青藍は意識を飛ばす前に術を発動させたのだろうか。
 それとも術の発動に耐えきれなくて意識を飛ばしてしまったのだろうか。
 だとすると、紅竜と闇を葬り去る前に青藍が果てる可能性は、自分《グラウス》が予想していたよりもずっと高い。



「……犬か」

 紅竜がこちらに気付いた。
 これ見よがせに青藍の身を抱き寄せるのが忌々《いまいま》しい。そのせいで顔が見えない。
 紅竜が抱えているのは本当に青藍なのか、渡り廊下で出会った彼《青藍》のように自分たちをおびき寄せるための罠ではないのか。彼の魂は、本当にあの中に宿っているのだろうか。

 侮蔑《ぶべつ》混じりの呟きと態度からは「今まさに光魔法で消滅させられようとしている」なんて想像もできない。しかし実際のところは混血の青藍以上に辛《つら》いはず。なのに平然としているように見えるのは、「この魔法陣の効果は結界だ。だから輪の内側は光魔法の影響を受けずに済んでいるのだ。だから青藍は無事でいる」と、そう思いたいのだろう、私が。
 そんな嘘で安心してもどうにもならないのに。
 救出が遅れれば遅れる分だけ悪い結果にしかならないのに。
 




 手をこまねいている間に遅れて駆け込んで来たルチナリスが、同じように光に飛び込みかけ、止める間もなく弾き飛ばされる。すぐ後に続くアンリをクッションにしたせいで壁に叩きつけられることは免《まぬが》れたが、受け身が取れたわけでもないから、かなりの衝撃をそのまま食らったことだろう。
 だが彼女はよろめきながらも立ち上がり、再び柱に向かう。
 青藍の名を呼び続けているのはアンリから「青藍を呼び戻せるのはルチナリスだけ」と言われたことを信じているからか、他に方法を思いつけないだけなのか。どちらにしても未《いま》だ効果のほどは見えない。
 反応がないのは聞こえていないだけとも取れるが、制限時間がある以上、結果が出るまで待っているわけにはいかない。


 そしてクッション《アンリ》のほうはと言えば、流石《さすが》に得体の知れないものに体当たりするほど無謀ではないらしい。剣を抜くと、床に描かれた魔法陣に向かって突き立てようとしている。物理的に魔法陣の輪を切ることで発動を止めようと言うのだろう。
 が、こちらもルチナリス同様、弾かれ続けている。



 自分《グラウス》たちが円の外で無為な行動を繰り返している間、紅竜は嗤《わら》っている。豪奢《ごうしゃ》な金髪が光を弾いている。
 昔、初めてこの城に来た時に見た彼と同じだ。溢《あふ》れる光の中で、それでも彼は彼自身が光を放っているように見えた。

 ……いや。

 同じではない。
 あの光は決して彼の髪が光を反射しているわけでも、彼自身が発しているわけでもない。
 よく見ればただ単に光を弾いているわけではない。火花が散っている。小さな稲妻が彼の髪に、肩に、腕に、と無数に現れては攻撃を続けている。パチッ、と小さな音が立つ度《たび》に銃弾が掠《かす》めたように髪が舞い、服に小さな穴をあける。

 あの痛みを全身で受けているのなら、紅竜とて危険を感じないはずがない。なのに何故《なぜ》出て来ないのだ?
 出られないのか?
 何十年もかけて準備しているのだ。そう簡単に出られる作りのはずがない。以前、青藍と決闘した時に使われた竜封じの呪符のように、この魔法陣自身も捕らえた者の動きを封じているのかもしれない。闇の力をもってしても、此処《ここ》から出ることが叶わないくらいに。

 もしくは……出る気がない、のか?
 ずっと抱《いだ》いていた紅竜のイメージは、自《みずか》らの命とを天秤にかけるくらい青藍などすぐに切り捨てる。そんなイメージだった。
 第二夫人の葬儀で訪れた時も、自分《グラウス》への嫌がらせとして青藍を手放さないでいるだけのように見えたし、実際、平気で地べたに叩きつけていた。青藍が兄の肩を持ち続けるのが信じられなかった。
 だが今はどうにも青藍を守っているように見えて仕方がない。

 いくら細身とは言え、成人男性ひとりを抱えて歩くのは相当な体力が要《い》る。そこへもって魔法陣で動きを止められているのだとすれば、共に逃げるよりも置いて行くほうが得策だろう。イメージの紅竜ならばそうしただろう。
 なのに彼は青藍の身を離そうとしない。それは何故《なぜ》か。
 大事な生贄《いけにえ》だから手放せないのか? 
 それともこれも全て想定内のことなのか? 自分たちが必死に青藍を取り戻そうとする様《さま》を(そして失敗して絶望する様《さま》を)見たいがためだけにギリギリまで粘っているのか? 青藍の命が尽きるほうが自分が果てるよりも先だとわかっているから嗤《わら》っていられるのか?
 手放さないことに|苛立《いらだ》ちを感じるが、離れれば今、紅竜と接触していることで光の攻撃を|免《まぬが》れている青藍の半身が直接晒《さら》されるわけだから、離れろとも言えない。

 どうしたら、いい?


「……返して、くださいっ!」

 頼んで返してくれるのなら世話はないが、言わずにはいられない。
 何にせよ、このままにはしておけない。

 グラウスの周囲で氷の飛礫《つぶて》が舞い上がった。手を一閃《いっせん》させると、それは一斉に魔法陣に飛びかかる。柱に当たり、砕け散る。
 1度で駄目なら2度。2度で駄目なら3度。肩の骨と牙を引き換えに黒い蔓の檻を破壊した時のように、同じ箇所に繰り返し攻撃を当て続ければ何時《いつ》かは壊れるはずだ。


 だが。
 幾度繰り返しても、何も変わらない。
 無数の飛礫《つぶて》のただの1本さえも魔法陣に届かない。


 ならば、竜なら。
 残る魔力を絞り切るようにしてグラウスは氷の竜を出現させる。竜は僅《わず》かに身を引いて光の柱と距離を取り、それから一直線に柱に向かう。
 ジュウ、と大きな音と大量の蒸気が立ち上《のぼ》った。が、竜は消えても柱は消えない。





 そんな中、ズズ、と新たな音が聞こえた。
 見れば部屋の隅に残っていた黒い蔓が動き出している。蛇のようにのたうちながら光の柱を取り囲んでいる。
 自分《グラウス》たちが魔法陣を解除するのを待とうという算段だろうか。解除した途端に雪崩《なだ》れ込むつもりでいるようにも見える。


 ――ヨコセ。
 ――ヨコセ。


 声が聞こえる。
 第二夫人の葬儀でこの城に来た時に聞いた声。青藍や紅竜と共に西の塔に向かっている時に聞こえて来た声と同じもの。
 あの時、この声は「帰って来た」と言っていた。青藍が帰って来たことを喜んでいるように聞こえた。
 だとすればやはり青藍を寄越せという意味なのか。
 生贄《いけにえ》に捧げろと、そう言っているのか。今なお、青藍の命は搾り取られているのか?
 
 時間がない。このままでは。
 焦りのあまりグラウスは再度、光に手を伸ばす。
 だが。

 無策で何をしたところで奇跡は起きない。バチッ! と大きな音がして、手首から先が紅に染まった。