22-17 どさくさまぎれも策のうち~Divertimento~




「ってことでだな。暫《しばら》くこいつが魔王なんだわ」
「よろしくぅ☆彡」
「……は?」

 ノイシュタイン城に着いたルチナリスを待っていたのは、予想外の人物だった。




 窓の外に城下町が見える。家々の屋根の向こうには光を反射して輝く海も見える。
 赤茶けた屋根は駅。其処《そこ》へ煙を吐きながら汽車が滑り込んで行く。
 屋根の海の中で灯台にように尖《とん》がっているのは教会堂。
 その隣は冒険者組合。
 裏にチラリと見える緑色の庇《ひさし》は小間物屋。
 少し離れた小高い丘にある青い窓枠の建物は町長の家。
 見慣れた、今までと同じ町並みが其処《そこ》にあった。


 ルチナリスは数十分前、城下町に着いた時のことを思い出す。
 カリン、ウィンデルダと共に町に入った途端、人々に取り囲まれた。義兄《あに》は無事なのか、戻ってくるのかと問われたことに、もしかして次の魔王も義兄《あに》が続投するのではないかと淡い期待が膨らみかけたのだが……誰も顔を見ていないと言う。
「悪魔の城」と「魔王」が人々の記憶に戻ってきたということは此処《ここ》の領主が決まったということ。そして人々が未《いま》だに覚えているということは、彼らと義兄《あに》の縁が切れていないこと、と思っていたのだが、どうも勝手が違うようだ。

 多くの領主《魔王役》は、たとえ仮の姿であろうとも人間と交流することを嫌って城に引き籠ることが多かった。義兄《あに》のように表に出て来ることのほうが稀《まれ》だった。
 だから出てこないということは、新たな領主《魔王》は義兄《あに》ではない、という可能性大。そんな不安を抱きつつも、カリンの「会えばわかる」という言葉に後押しされて此処《ここ》まで来たのだけれども。
 そこであたし《ルチナリス》たちを出迎えた自・他称魔王とその仲間から言われたのが、冒頭のアレだ。





「ふぅん、中はこうなってるんだ」

 カリンが感慨深げに室内を見回している。
 彼女は過去に2度、魔王討伐に来たことがあるそうだ。
 魔王と領主との関係性を疑われないよう、悪魔の城に挑戦しに来た勇者たちは戦った記憶を消してから外に追い出されることになっているし、万が一覚えていたとしても彼らが足を踏み入れるのは玄関ホールのみ。居住区域は初見だろう。

 此処《ここ》は客間のひとつ。
 窓際で半笑いの太陽を模したモビールがユラユラと揺れている。
 あたし《ルチナリス》がいた時はほとんど使っていなかった部屋だが、今は魔王の執務室として使われているらしい。義兄《あに》の痕跡が残る城主の私室と執務室には勝手に入ってほしくなかったから、他の部屋を使ってくれているのは素直に有難《ありがた》いけれど……それ相応の部屋があるのに何故《なぜ》こっちを使うの? と思わなくもない。


「どうぞ」

 机《テーブル》を囲んで座る面々の前に、ルチナリスは運んでカップを配る。
 勝手知ったる他人の家、と言うよりも他人の手に渡ってしまった元・自分の家と言ったほうが感覚的に合っている、そんな微妙な立ち位置ながら、この面子《メンツ》の中ではあたし《ルチナリス》が1番城内に詳しい。と言うことでお茶汲《く》みを買って出た。
 メイド歴10年の腕はまだ鈍ってはいない。カップから立ち上る紅茶の香りは完璧だ。


 だが芳醇なお茶の香りも、この場を癒やし空間にする力はないらしい。

「で? どういうことなのか説明してもらえる?」

 カリンは笑みを消すとソファに深く沈み込んだまま足を組み、正面に座る魔王を見据える。眉間《みけん》に皺《しわ》が寄っている。

 テーブルを挟んで二人掛けソファにカリンとウィンデルダ。
 反対側の一人掛けに新たな魔王とその仲間A。
 お誕生日席に仲間B。
 もう片方のお誕生日席にあたし、という配置で着席して1分。既《すで》に針の筵《むしろ》の如《ごと》き空気が漂っている。

 お茶は配膳室《パントリー》の棚から勝手に拝借してきた。開封済の缶だけれども、封鎖されてから数ヵ月しか経《た》っていないから賞味期限は大丈夫だろう。なのに誰ひとりとして口をつける者はいない。


「あんたが魔王で領主なわけ? 違うでしょ?」

 初《しょ》っ端《ぱな》から喧嘩腰に飛ばすカリンについていくこともできず、あたしはおとなしくお誕生日席に腰を下ろす。魔王=領主というこの城のシステムをカリンが知っていることにも驚いたが、それについて口を挟むことなどできそうにない。
 それに、自・他称魔王を前にして言いたいことはカリンと一緒。魔王と言うのは魔族が戦いを挑んでくる人間の冒険者用に作った職業なわけで、当然、人間を相手にするわけで。その前に魔法が使えなかったら魔王じゃない。
 人がいるせいかアドレイもガーゴイルも姿を現さず、彼らと会う《もう1度暮らす》ために来たあたしとしても予想外の展開。明快な説明が欲しい。


 人間界に戻ったもののカリンの家に間借りという宙ぶらりんな境遇でいたのは、ノイシュタイン城の封鎖が解けたら戻るつもりだったからだ。
 それなら勇者《エリック》の家に間借りでも良かったんじゃない? とは言うなかれ。もし此処《ここ》に戻ることが叶わなかった時は間借りしていた家に戻らなければいけなくなるわけだし、あの家にはちょっとした確執があるメグもいる。「過去をきれいサッパリ忘れてしまって、今はとっても優しい良い子のメグ」かもしれないが、侮辱されて攻撃されて命まで取られかけた過去をなかったことにはできるほどあたしは心が広くない。
 はっきり言おう。嫌なのだ。1日2日ならまだしも何ヶ月も何年も、というのは。だったらカリンの家のほうが心穏やかに過ごせる。

 そして念願叶って辿り着いて。
 あたし《ルチナリス》にとってはアドレイやガーゴイルたちが家族だし、この城が唯一の居場所だし、戻れば喜んで迎え入れてくれると、今までが戻ってくると思っていた。
 もし魔王が義兄《あに》でなくても、此処《ここ》で再びメイドとして雇ってもらうことができれば衣食住も職も手に入る。そんな甘い考えでいたのも認める。
 なのに、アドレイもガーゴイルもいない。
 いるのは――。


「魔王は魔王だよ。臨時というか日雇いというか」
「何処《どこ》の世界に日雇いの魔王がいるのよ。あんた仮にも勇者でしょ!?」
「勇者は困っている人を助けるものなのさ。だから今は魔王をしてるんだ」
「意味わかんないわよ! あんた人間でしょ!?」


 あたしたちの前に魔王とその仲間として現れたのはよく見知った人物だった。

 魔王は勇者《エリック》。
 仲間Aは師匠《アンリ》。
 仲間Bはお姉様《ソロネ》。

 勇者《エリック》の言葉どおり人助けの一環だとしても、魔王はないだろう。臨時だの日雇いだの、そんな軽い気持ちで就《つ》ける仕事ではないし、しかも勇者《エリック》は魔族《悪魔》ですらない。
 「人間を食ってやるぜ!」的な連中の(建前上の)親玉が生粋の人間だとか、魔族側からもクレームが来ること必須じゃありませんか!
 そりゃあ勇者《エリック》の剣は聖剣だ。ミル曰《いわ》く「握っているだけで敵を倒していってくれる」らしい。
 そこへきて、ひとりで半数近くのガーゴイルを瞬殺したお姉様《ソロネ》とメフィストフェレスの陸戦部隊長である師匠《アンリ》が両脇を固めているとなれば鬼に金棒。レベルを最大限にまで上げてやって来る勇者様が相手でもそう簡単に負けはしないだろう。
 けれど絶対なんて何処《どこ》にもない。
 運が向かなかったせいで負けることもあるし、義兄《あに》のように病に倒れることもある。「魔王の平均任期5年」は途中で倒される者が多いから、とも聞いている。
 そんな危険な仕事を人助けの一環で請《う》け負うなんて愚《ぐ》の骨頂《こっちょう》としか言いようがないし、あたしが知っている勇者《エリック》は、自身の身の安全と名声のどちらかを選べと言われれば一も二もなく安全を取る男だ。
 
 あれか? 紅竜の粛清《しゅくせい》度合いが酷《ひど》すぎて未曾有《みぞう》の人材不足なのか? だから魔王|側《サイド》もやってみたかったとか何とか言っていた男を勧誘したのか? カリンの「ロンダヴェルグの防衛予算10年分」に匹敵するくらい積めば勇者《エリック》と言えども……い、いやいやいやいや! いくら積まれようともそれはない!


「うん、でも是非《ぜひ》にって言われたらさぁ。勇者としては、ねぇ」

 誰だ是非になんて言った奴《やつ》は。
 適材は他にいくらでもいくらでもいるでしょ!? 少なくともこの男よりはましなのはいるでしょ!?
 勇者《エリック》も勇者なんだから、(建前上の、ではあるけれど)敵対勢力からの依頼なんて断りなさいよ!


「でも、給料も町長んとこの倍出すって言われたし。勇者ロボの資金集めもしないといけないし」
「ロボって何!?」
「あ、カリンさん、それ……人型の機械のことらしいデス……」
「はあ!?」

 
 意味不明な単語の羅列に注釈を入れながらもルチナリス自身、勇者《エリック》の言《げん》に納得しているわけではない。
 ロボの開発資金については置いておくとしても、今まで勇者だった男が魔王と言うのは無理な話ではないだろうか。勇者《エリック》は歴《れっき》とした人間で、しかもつい最近まで町長宅に住み込んでいたのだ。面なんか割れまくっている。 


「魔王する時は仮面被《かぶ》るから大丈夫だよ。ソロネちゃんが何か凄いの作ってくれるって言ってた」
「見る?」
「見ないわよ!」

 凄いのって何だ?
 マトリョーシカみたいに割れても割れても下から別の仮面が出て来るから絶対に顔はバレないわよ、ってそういう感じ!?
 いや、でも顔がバレなければいいというものではない。
 勝てるの? 相手は死線を潜《くぐ》り抜けて来た猛者《もさ》ばかりよ!? 漫才対決で勝敗を決めるんじゃないのよ!?
 据えたばかりの魔王が一撃で再起不能になりました、なんてシャレにならない。
 折角《せっかく》此処《ここ》まで来たのに、また城を追い出されたらどうするのよ! カリンの家に泊まればいい、って問題じゃないでしょ!? あたしにだって人生計画と言うものががが!


「オジサンも何か言いなさいよ!」

 ルチナリスが勝手に考えて勝手に完結している間にも、カリンはカリンでヒートアップしている。何を言ってものらりくらりとかわしてしまう勇者《エリック》を見限り、矛先を師匠《アンリ》に向けたようだ。

「あー、でもなぁ、俺は魔王もその仲間もやるつもりなんかなかったっつーか……」

 どうやら師匠は無理やり仲間にさせられたクチらしい。
 あたしたちが魔界に行くときも何だかんだと言って付いてきたし、顔のわりに面倒みがいい彼らしいけれども、付き合いがいいのも考えものだ。
 と言うか、隔《へだ》ての森を閉めると言っている今、何故《なぜ》師匠《アンリ》が此処《人間界》いるのだろう。


「まぁまぁ。正式な魔王が来るまでの繋《つな》ぎなんだから大目に見てちょうだいな」

 そんな中で|お姉様《ソロネ》だけが平常運転。
 カリンも彼女にだけは面識がない。勇者《エリック》とつるんでいる時点で常識が通用しない相手だということは察しているようだから、尚更《なおさら》に距離を測りかねている。
 ここは面識のあるあたし《ルチナリス》が! と言いたいところだけれども……あたしもこのお姉様は苦手だ。

「城の封印が解けちゃったせいで、悪魔の城と魔王は人間たちの記憶に戻って来ちゃってるわけだし、ってことは明日にも勇者がゾロゾロ押しかけて来るってことよ? その時に魔王がいなかったらいろいろと問題じゃない」
「いないのが悪いんでしょ。不戦勝よ!」
「やあねぇ。魔王と戦うために何年もチマチマとスライム倒してレベル上げて、防具と武器を揃えて、それで遥々《はるばる》来るのよ? いわば魔王討伐は男のロマン。それを不戦勝でお茶を濁すなんてあたしにはできないわあ」

 ソロネの小馬鹿にした台詞《セリフ》にカリンがぐっと詰まる。
 ふたりとも気が強いお姉様だから闘いの火蓋が切って落とされなければいいのだが。ルチナリスはハラハラしながらふたりを見守り……

「そ、そうだ! ってことは正式な魔王は後から来るんですよね! どんな人なんですかあ?」

 と、わざとらしく話題転換を試みる。



 その時だった。

「ういーん! ういーん! 勇者が来たっすよー!」

 あれだけ気配を消し去っていたガーゴイルが、ごく自然に飛び込んで来たのは。

「ガ、」
「あ、るぅチャン、お久《ひさ》っす!」

 「ういーんういーん」って何だ。
 ついでに言うと、それが悲しい生き別れ&感動の再会をした相手にする態度ですか?
 さらにさらに、本家にいたメイド服姿のガーゴイルを見慣れてしまったせいか、ノイシュタイン版《素っ裸》を見るとわいせつ物陳列罪にしか見えないんですがどうしたら。

 だが、そんな素朴なツッコミもする暇などなかった。

「いくぞ皆《みんな》!!」

 すっくと立ち上がった勇者《エリック》が椅子の後ろにまわり、壁に手を付く。するとその部分の壁がクルリと回って彼の姿が消えてしまったではないか!
 次《つ》いで

「出番ね!」

 とお姉様《ソロネ》が同じように姿を消し、そして溜息混じりに師匠《アンリ》が腰を上げる。


「あの、」
「あー……いろんな意味で心配だろうけどな。あいつはあいつで何とかやってっからよ。ソロネじゃねぇけど大目に見てくれ」

 そう言い残し、師匠《アンリ》は普通に扉から出て行った。どうやら壁の隠し扉は廊下に繋《つな》がっているだけのようだ。
 普通に扉から出て行けばいいものの……もしかして壁にこんな改造をしたかったからこの部屋を選んだのだろうか。城主の執務室は防犯の観点から他よりも壁が厚いと執事から聞いたことがあるけれど。
 おのれ勇者。あたしが留守の間に何勝手に改造してるのよ!

 と、そんなことよりも。

 待って。
 あたし、なけなしの勇気を奮い起こして話題転換したのよ? 皆でなかったことにしないで。




「何処《どこ》だ! 魔王!」

 玄関ホールでは勇者一行らしき男が5人で威勢のいい声を上げている。
 剣士がふたり、攻撃系と回復系の魔法使いらしき者がそれぞれひとりずつ。ひとりだけ筋肉をアピールしているのは闘拳士だろうか。勇者パーティとしては無難な組み合わせと言える。


「待たせたな!」

 対する魔王側《サイド》は3人。
 数では劣るがお姉様《ソロネ》ひとりで片付けられるのではないだろうか。なんせガーゴイル数百匹を瞬殺した前科があるのだから……なんて勝手に抱《いだ》いていた安心と信頼は、彼らの登場ポーズで吹き飛ばされた。

「空に輝く日輪《にちりん》と! 輝く犬歯は正義の印! 勇気燦々《さんさん》! サンシャイン・エリック!!」
「咲き誇る花は多けれど! どの花よりもあたしがキレイ! 錦上添花《きんじょうてんか》! ビューティー・ソロネ!!」
「……頼む……省略させてくれ………………」

 意味不明な台詞《セリフ》と共にポーズをキメるふたりと、ノリの悪い中年男ひとり。
 背後で赤、青、黄色の爆発が起きる様《さま》は戦隊ものの登場シーンのようだがそれは何だ。
 名乗っていいのか!?
 アイリスたちと行った夢の旅の中で見たコイタンメ王国6戦士の真似か!?
 勇気ってのは凛々《りんりん》で|燦々《さんさん》は太陽じゃないのか!?
 オッサン、そういう時は恥も外聞もかなぐり捨てて乗らないと余計に恥ずかしいぞ!!
 と、ツッコミどころの嵐が覗《のぞ》き見ていたルチナリスの胸の内で吹き荒れる。
 カリンもそうだろう。ウィンデルダはいつもどおりの無表情だからわからない。


 突然現れた得体の知れない戦隊ヒーローモドキに、勇者一行は呆気《あっけ》に取られて動きを止めた。
 そうだろう、彼らは「魔王」と戦うために来ているのだ。敵だか味方だかわからない(しかし何処《どこ》となく正義のヒーローっぽい)胡散臭《うさんくさ》い連中が突然現れ、有無を言わさず恥ずかしい《カッコいい》ポーズを見せつけてきたら止まって当然。

 そして勇者が止まれば魔王のターンだ。
 ビューティー・ソロネが谷間の見える胸元を強調しながら腕を一閃《いっせん》させる。たわわに揺れる乳に目を奪われた勇者一行に光の波が襲い掛かる。

「合! 体!」

 謎の掛け声のもと、謎のオッサン《アンリ》の肩に謎の美女《ビューティー・ソロネ》が肩車のように乗り、さらにその上に謎のフルアーマー《サンシャイン・エリック》が乗り。

「からのー、分解攻撃!」

 さらにさらに。
 乗るや否《いな》や、すかさず飛び降りたサンシャイン・エリックは剣を振り回りながら勇者一行の中に飛び込んだ。無茶苦茶に振り回し、勇者一行を弾き飛ばす。
 流石《さすが》は握っているだけで敵を倒す聖剣。当たってもいないうちから屈強な男どもが吹っ飛んでいくのは詐欺レベルのチートだ。って、ちょっと待て!!



「ふっ、良い戦いだった。また会おう!」

 良く言って奇襲、悪く言えば色仕掛けのエグい攻撃をしておいて「良い戦い」も何もあったものではないと思うのだが、魔王一行は再びポーズを決める。
 そして2度目のカラフルな爆発のあと、その姿は掻《か》き消えてしまっていた。





「……………………何あれ」
「……………………あたしに聞かないで下さい」

 覗《のぞ》き見ていたほうの嵐はおさまるどころではない。
 あれは何だ。
 合体した意味は何処《どこ》にあるんだ。
 勇者ロボを真似たのか?
 確か紅蓮《ぐれん》が頭部、翡翠《ひすい》が胴体、雹《ひょう》が足部の担当だったはずだけれども。
 即座に分解したのはソロネに「重い」とか「どうしてあたしが上じゃないんだ」とか文句を言われた、んだけどどうしても譲れなかったから、とか!?
 それにオッサン《師匠》、土台以外の何の役にも立ってねえ!

 何処《どこ》を取ってもツッコミしか思いつかない光景の連続に、胸中の嵐は暴風雨警報どころか避難勧告レベルで吹き荒れる。




「ね、見た見た? 僕らの勇姿!」

 ウキウキとスキップでもしそうな勢いで戻ってきた戦隊ヒーローモドキ御一行を、ルチナリスは無言で迎えた。

「凄く強かったでしょ? やっぱり勇者様ステキー♡ とか言っちゃっても今だけは構わないさ!」
「ソレハナイ。ソレダケハナイ」
「またまたぁ」

 もう何処《どこ》からツッコんでいいかわからない。間違っても勇者様ステキという感想はない。
 それどころか、あれだけ強かったのなら何故《なぜ》魔界で威力を発揮しない? 途中合流組だったとは言え、貴様は最後まで2番手に甘んじていただろうが! と思う。

「勇者様にはあたしが補助魔法かけてるのよ。だからあの強さはあたしのお・か・げ」
「えーソロネちゃん、それバラしちゃうわけ!?」

 そしてお姉様も。
 その力があれば魔界戦はもっと楽だったのに、今の今まで何処《どこ》をほっつき歩いていやがった!!

「……そう言うな。ソロネは魔界には入れねぇらしい。俺もさっき聞いたばっかりだが」

 そして師匠!
 やる気がないのはわかるが少しは活躍してくれ。せめて高々《タカダカ》に伸びたこのふたりの鼻をパキッ!と折るくらいには!


 とりあえず勇者《エリック》たちが魔王の肩書きを預けてもいいほどに強いことはわかったけれど。
 奇襲にしか見えないあの戦法が何時《いつ》まで通用するかは知らないが、敗退した勇者一行は戦った記憶を消して追い出すというアレが今でも作用するのなら、中でどれだけ名乗ろうが顔を晒《さら》そうが問題はないし、作用するからこその戦法なのだろう、とは思うけれど!

 それをぉぉ! 魔王の名でするのはやめろぉぉぉおお!!!!


 怒りに震えるルチナリスの肩を、ガーゴイルが生温《なまあたた》かい笑みを浮かべながらポン、と叩いた。




「ルチナリス様もご壮健そうで何よりでございます」

 あの後、配膳室《パントリー》でアドレイに会った。
 ノイシュタイン城専属のライン精霊でスノウ=ベルの姉。あのガーゴイルたちが「姐《ねえ》さん」と呼んで半《なか》ば恐れているという彼女と面と向かって話をしたのは、城が封鎖されたあの夜が最初で最後だった。
 それなのにどうにも懐かしい感じがする、と話したら、それ以前にも2度、話をしたことがあるらしい。
 1度はフロストドラゴンが襲って来た日にあたし《ルチナリス》の傍《そば》にいたあの声がそうだと思うのだけれども、もう1度は何処《どこ》だろう。聞いても彼女は微笑《ほほえ》むばかりで答えてはくれない。

「それよりも申し訳ございません。私がスノウ=ベルの思惑に気付かなかったばかりに」
「スノウ=ベルが何か?」

 いきなり謝られたが、全く身に覚えがない。
 それどころかスノウ=ベルはオルファーナで義兄《あに》とはぐれた時に勇気づけてくれた恩人だ。
 チンピラに襲われた時も身を挺《てい》して守ろうとしてくれたし、執事《グラウス》に連絡を取ったり義兄《あに》を呼び続けてくれたり、彼女がいなければ、今、あたしは此処《ここ》にはいられなかったかもしれない。
 だが。

「青藍様が魔界に戻られたあの日、犀《さい》様をこの城に入れたのはスノウ=ベルなのです。私が城を空けている間に彼女が結界を解かなければ、青藍様を連れて行かれることもございませんでしたのに」
「……」

 義兄《あに》が魔界に連れて行かれた時、あたしは此処《ここ》にはいなかった。城の異変に気付いて戻ってきたあたしが見たのは、全身裂傷の大怪我をして正門前に転がっていた執事《グラウス》だけだった。
 アドレイが言うには、執事《グラウス》に怪我を負わせたのが犀《さい》であるらしい。が、だとすれば、彼女が謝らねばならないのは執事《グラウス》であってあたしではない。

「あたしは……謝られるいわれはないし」

 もし連れて行かれなかったら義兄《あに》の記憶は残ったのか?
 否《いな》。此処《ここ》に残ったところで義兄《あに》の記憶は遅かれ早かれ消え失せていた。むしろ魔界に行って闇を打ち負かしたからこそ、10歳手前で記憶の消失が止まったと言える。

 犀《さい》が義兄《あに》を連れて行ったのは第二夫人の策を完遂するためだ。もしかしたら記憶どころか義兄《あに》は命すら失っていた。
 それを思えばアドレイが謝るのもわからなくはないけれど、第二夫人の策を発動させなければ義兄《あに》の命どころか世界中の人々の命が失われる結果になったかもしれないわけで……

 いや、それは違う。

 顔も知らない世界中の誰かなんてどうでもいい。
 あたしはあたしが知っている人が幸せになれるのなら、その誰かがどうなろうと構わない。それは勇者《エリック》も執事《グラウス》も同じ考えだ。
 だがスノウ=ベルも誰かの幸福を願って動いたはずだ。結界を解き、犀《さい》を中に入れることが最良の結果に繋《つな》がると思って。だから、それでいい。


「それよりアドレイは知ってるの? 新しい魔王役の……勇者様じゃなくって、魔界から来るはずだった人のこと」

 城の封鎖が解けたということは新たな魔王役が決まったということで、師匠《アンリ》曰《いわ》く、やはりそれは勇者《エリック》ではなく魔界から派遣されてくるはずだったらしい。だが途中でトラブルでもあったのか、来られなくなってしまったのだと言う。
 魔王が来てから封鎖を解けばいいだろうに、と思ったが、思い返せば義兄《あに》の時も到着した時には既《すで》に入れるようになっていた。きっと魔王役を派遣する部署とノイシュタイン城の管理をする部署が違っていて「来られなくなりました」「えーもう解除しちゃったよ!」みたいなことになってるのだろう。縦割り組織の弊害《へいがい》は種族が違っても変わらないに違いない。
 で。
 魔王は来ない。
 でも城は開いてしまった。
 と言うことで急遽《きゅうきょ》代打を探し、見つかったのが勇者《エリック》。
 魔族ではないけれども魔族に理解があるし、そもそも隔《へだ》ての森を閉めている今、人間界に残りたがる魔族などいないから他に選択肢がなかったのだと言うが、そのおかげであたしは此処《ここ》にいられる。
 これで普通に見ず知らずの魔王役が来ていた日には「人間とひとつ屋根の下で暮らす趣味はない」と門前払いされるか、食料が手に入ったとばかりに捕らえられ、頸動脈《けいどうみゃく》を切られて厨房裏手の木に逆さまに吊るされているかのどちらかだ。


「いえ、何も」
「……そう」
 
 もしかしたら義兄《あに》だったのではないか、という期待はまたしても裏切られた。
 来られなくなったのだから、むしろ義兄《あに》でなくてよかった、と思うべきなのかもしれないが。

 そしてもうひとつ。

「あ、ってことはスノウ=ベルはこっちに来ない、ってこと?」

 彼女《スノウ=ベル》は魔王役と共にやって来る。魔王役がその職を下りれば魔界に戻される。
 義兄《あに》が連れて行かれた日、彼女を宿した懐中時計は犀《さい》によって持ち去られ、彼《か》の地では何故《なぜ》かガーゴイルが持っていた。
 勇者《エリック》に代打を頼んだとは言え、人間の彼が魔界と連絡を取りあう必要性などほとんどない。そうでなくとも魔族にとって希少性の高い精霊種。スノウ=ベルだけ寄越すことはない。

 ああ。だからアドレイは謝ってきたのだろうか。あたしがスノウ=ベルと会う日が来ることはないから、妹《スノウ=ベル》の代わりに。


「寂《さみ》しくなるわね」
「此処《ここ》は毎日何かしらの騒動が起きますし、新しくいらっしゃった方々も随分と賑やかな方ですし。寂《さみ》しいと思う暇などきっとありませんわ」

 アドレイはそう言って笑った。けれど。




 流れ星がひとつ、空を横切る。
 ルチナリスは通りがかったテラスで足を止めた。
 10年前、義兄《あに》と屋根に上って見た流星群とは違い、流れたのは先ほどのひとつだけのようだ。

 本格的な冬が来る前に執事《グラウス》が硝子《ガラス》戸を入れていってくれたおかげで、此処《ここ》は昼の間、陽光をたっぷりと溜め込み、この時間になっても温かさを保っている。流石《さすが》に夜半過ぎにはその温かさも失せてしまうので一夜を明かすには向いていないが、風が通らないだけでも過ごしやすさはかなり違う。
 その執事《グラウス》は今、魔界に――義兄《あに》の傍《そば》にいる。義兄《あに》があの家を継いでしまった以上、彼《執事》も此処《ここ》に戻ってくることはない。
 そしてスノウ=ベルも。
 新たな魔王役が決まれば付いて来るだろうとアドレイは言っていたが、順次、隔《へだ》ての森を閉めている今、魔王役が此処《ここ》にいる必要性も日増しに減っていく。
 元々《もともと》魔王役とは、不特定多数の人間たちから魔族《悪魔》へ向けられるはずの怨《うら》みを一身に受けるための標的。
 だが魔族《悪魔》が人間界に来られなくなり、此処《ここ》に留まっていた者も魔界に帰るということは、人間狩り自体がなくなるということだ。


『お前が大きくなる頃には、人間狩りなんてなくなっているといいね』


 そうね、お兄ちゃん。
 あなたが森を閉めるって決めてくれたおかげで、人間狩りはなくなりそうだわ。
 ルチナリスは10年前、義兄《あに》に言われた言葉に心の中で返事を返す。

 怨《うら》みは簡単に鎮《しず》められるものではないけれど、反撃すれば自分《人間》たちも無事ではいられないわけだし、時間《とき》が経《た》てばきっと薄らいでいく。必要がなくなれば、魔王役なんてシステム自体も消え失せる。


『青藍様がさ、貴族様がたの集まりで、隔《へだ》ての森を全部閉じるって決めたらしいんだ』


 クレイの話では、既《すで》に半数以上の森が閉められていると言う。
 これは遠い未来の話ではない。
 森が完全に閉まってしまえば、スノウ=ベルは2度と此処《ここ》に来ることはない。姉妹が再会することはない。そして義兄《あに》も執事《グラウス》も、2度と此処《ここ》へは――。

 
 去ってしまった人を思えば寂しい。でも、ひとりになってしまったわけではない。アドレイも言っていたじゃないか、寂《さみ》しく思う暇なんてない、って。
 ルチナリスは両手で頬を叩いて気合いを入れる。
 取り囲む顔ぶれは変わってしまったけれど、あたし《ルチナリス》にとって此処《ここ》は人生の3分の2を過ごした場所。此処《ここ》から追い出され、義兄《あに》が連れ去られ。執事の実家からロンダヴェルグへ行き、さらに各地を点々としながら魔界入り。身寄りも学もない自分など此処《ここ》から追い出されたら最後、その日のベッドどころか食べ物にすらありつけなくて、1週間後には路地のゴミ箱の陰《かげ》で遺体で発見されるのがオチだろうのに、今こうして再び此処《ここ》にいることができる。
 そんな苦労を全く心配せずに済んでしまったのは出会った人々のおかげだ。執事《グラウス》を始め勇者《エリック》やミル、師匠《アンリ》、そしてカリン、と彼らにただお荷物のようにくっついているだけで、あたしはその恩恵を受けてきた。



「まだ起きてるの?」

 そんなことを考えながらぼんやりと外を眺めていると、カリンがやってきた。

「明日帰るわ。途中であの青年に会ったらるぅちゃんは魔界には行かないわよ、ってガツンと言っておいてあげるから安心して!」
「はあ」

 それくらい自分で断れる。いや、断るべきだ。義兄《あに》や執事《グラウス》だけでなくどうしてこう誰も彼もが過保護なのだろう、と思わなくもないけれど、カリン曰《いわ》く、あたしは未《いま》だに気持ちが揺らいでいるように見えるそうだ。
 以前、天使の涙を手にしたあたしにミルと勇者《エリック》が、

『ルチナリスさんは力を欲してるように見えるから心配だ』

 と言ってきたことを思い出す。


「絶対に返事しろって言われてるわけじゃないからシカト《無視》しておけばいいのよあんなの。人生、結婚するのが幸せってわけじゃないし、男がいないといけないってこともないし!
 そうそう。此処《ここ》にいられなくなったらまた頼って来ていいんだからね!」
「ありがとうございます」

 執事《グラウス》おすすめの「料理ができて定職についていて身分もそれなり」の弟君もこの言われよう。
 しかしこういうものは妥協するものではない。そうして妥協しなかった結果が目の前にいるお姉様《カリン》だけれども、あたしにとっての結婚観は義兄《あに》やアイリスの後ろに透けて見えた家同士を繋《つな》ぐための契約としてのソレなわけで。
 クレイは貴族とは名ばかりの山羊飼い青年だからそんな重圧はないだろうけれど、それでも、そんなものに比べればカリンの生き方のほうがずっと楽しく生きられそうだ。


 ああ、義兄《あに》はどうしているだろう。
 当主ともなれば嫁のなり手も大勢押し寄せてきているのだろうか。案外流されやすい性格だから、今頃は婚約者のひとりやふたりは決められてしまっているかもしれない。
 もう人間界に来ることも魔王として命がけの毎日を送ることもないのだから、家庭を持って落ち着いて、それで早々に跡継ぎを、なんて思われているはずだ。特に義兄《あに》は魔力量が桁違いだし、聖女の血を引いているし、周囲からすれば絶対に血を絶やしたくないに決まっている。執事《グラウス》も胃が痛いに違いない。

 いや。

 執事《グラウス》は……どうだろう。
 彼が義兄《あに》に執着していたのは魔眼に魅了されたせいだ。義兄《あに》のことを誰よりもよく知っているし執事歴も長いし生真面目だから、恋愛感情がなくなったとしても献身的に勤めるだろうけれど、呪縛が解けた反動で、何十年も縛りつけた義兄《あに》を怨んだりはしていないだろうか。

 ルチナリスはエプロンのポケットを探り、半分に割れた耳飾り《イヤリング》を引っ張り出した。
 執事《グラウス》から「後で返せ」と言われていたものの、返しそびれてしまっている。今となってはこれももう、返すことはできそうにない。


「流れ星!」

 カリンの声にルチナリスは空を見上げる。
 しかし指さした方角にはもう痕跡も残ってはいない。

「くっそー、もう1個流れないかな。知ってる? 流れ星が消えるまでに願いごとを言うと、」
「叶うんですよね」


『流れ星が消えるまでの間に願いごとが言えると叶う、って聞いたことある?』


 あの日、あたしは義兄《あに》がもっと笑ってくれるようにと願った。
 あれから10年、義兄《あに》は無邪気すぎるくらいによく笑うようになった。でも、それも今は。