1-3 青いリボン




 勇者一行を引き連れての道中は順風どころではなかった。
 相変わらず山犬も山猫も山ウサギも出ない。いつもは賑やかに囀《さえず》っている鳥すらいない。
 まるで勇者一行を恐れて身を隠してしまったかのようだ。

「えっと、此処《ここ》が正門で、こっちが通用門です」

 案の定、正門は閉まっている。
 ルチナリスは道中、勇者に提案された通り、通用門へ案内する。
 曰《いわ》く、正門から入れば悪魔が待ち構えている。だから奴《やつ》らの裏を掻《か》きたい。とのこと。
 勇者なんだもの正々堂々と正面から行きなさいよと思わなくもなかったが、そんな美学のせいで誰ひとりとして悪魔に勝てなかったのだとしたら、勝ちを優先させる姿勢はむしろ頼もしい。
 ルチナリスは通用門の閂《かんぬき》を開け、勇者一行を城内に入れる。悪魔が何処《どこ》にいるかなんて知らない。ただ、心当たりは――。


『玄関ホールには入っちゃ駄目だって言ったよね?』


 玄関ホール。
 正門から入れば最初に足を踏み入れるであろう場所。
 どう考えてもあそこに何かがいる、としか言いようがない。
 
「……こちらです」

 今朝、義兄《あに》が入るな、と言ったばかりの扉の前でルチナリスは勇者一行を振り返る。

 いいのだろうか。
 彼らを此処《ここ》に入れてしまって。
 勇者だもの、悪魔を退治しに来たんだもの。隠せば悪魔の仲間だと責められて、最悪、火炙《ひあぶ》りも|免《まぬが》れない。
 悪魔は敵。人間の敵。あたしにとっても敵。
 だからいいのよ。此処《ここ》まで連れて来たら入れる以外にないじゃない。そのつもりで連れて来たんじゃない。


「ご苦労」

 勇者は剣を握り直し、扉を開ける。連れのふたりも後に続き……逡巡《しゅんじゅん》するルチナリスの前で、その扉は閉められた。

 ――刹那《せつな》。

 空気がザワリと動いた。
 今の今まで聞こえなかった大勢の気配。それは風のうねりにも、声のようにも聞こえる。あたりには誰もいないのに。

「ひっ!」

 まるで城が怒っているようだ。
 なのに、これだけ大勢の気配がするのに姿は全く見えない。
 廊下を歩くあたしの横を通り過ぎて行く「気配」。でも振り返ると誰もいない。
 窓から差し込む光が、カーテンのようにゆらゆらと揺れる。廊下に敷かれた赤い天鵞絨《ビロード》が血に染まった波間と化す。

 こんなことは今までなかった。
 この気配が悪魔なの?
 あの馴れ馴れしく話しかけて来る声も悪魔だったの?
 ひとつ疑えばボロボロと数十個の疑問が沸き起こる。
 どうして声だけなの? 隠れているの? 姿を見せることができないの? 姿がないの? そもそも人間なの? 人間ではないのなら……駄目だ。寒い。背筋が冷えて考えられない。

 勇者は無事なのだろうか。
 しかし扉は押しても引いても動かない。
 中から鍵でもかけられたのだろうか。勇者様たちはすんなり開けて入っていったのに。鍵をかける音なんて聞こえなかったのに。
 
 ああ、もしかして裏から入ったのがマズかったのかもしれない。ダンジョンの暗号釦《ボタン》だって間違えて押せば槍も降る。壁だって迫《せま》る。此処《ここ》だってそうなのよ。ズルをすれば相応《そうおう》の目に遭《あ》うと相場が決まっているのよ。
 だから。
 あたしは、してはいけないことをしてしまった。きっと今頃勇者様たちは――!

 おろおろとあたりを見回し、ルチナリスは慌てて立ち上がった。
 そうだ。義兄《あに》ならきっとどうにかしてくれる。だって城主だもの。悪魔だって避ける血筋ならきっと解決方法も知っている。
 そう心の中で自分を鼓舞《こぶ》しながら、ルチナリスは駆け出した。
 執務室へ。
 この時間、あの人はそこにいる。




「……勇者は?」
「今第3部隊が応戦中っす」

 執務室の扉の前まで来ると、漏れてくる義兄《あに》の声が聞こえた。誰かと話をしているらしい。
 その声にほっとする。先ほどまでのざわつきも此処《ここ》までは追って来ない。
 でも……誰だろう。執事ではないようだけれども。

「第3? ったく、最近たるんでるだろお前ら」

 ギシ、と椅子の背もたれが軋《きし》む音。
 不機嫌そうな義兄《あに》の声とは裏腹に、応対している相手は嬉しそうだ。

「久々に魔王様の雄姿が見られるってみんな喜んでるっすよー」
 
 ……は? 魔王?

 耳がおかしくなったのだろうか。ルチナリスは扉に耳を貼りつけて聞き耳を立てる。

「お前らわざと負けてないか?」

 そういう時に限って聞きたい単語は出てこないもの。
 でも。

 悪魔じゃなくって、魔王?
 レベルアップで進化でもしたのだろうか。
 こともあろうに……ええ!? 魔王ぉぉぉおお!?



 この城は悪魔の城と呼ばれている。
 そこを居城にしている城主が、そのことを知らないはずがない。
 この城は名前の通り悪魔がいて、町の人も勇者様もそれを知っていて、あたしひとりだけが知らなくて、でも本当は悪魔どころか魔王までいたということで……。
 でも!
 勇者と応戦中ってそれじゃまるで、

「そこで何をしているのです、ルチナリス」

 余程《よっぽど》執務室に乱入して問い詰めようかと思った矢先。ルチナリスはいきなり背後から肩を叩かれた。
 わかる。声だけで。
 おそるおそる振り向いた先には、案の定、冷やかな眼差しの執事がいる。……何時《いつ》の間に。

「青藍様は執務中です。要件なら私が」
「いいい、いえ、何でもありません」

 目が据《す》わっている。部屋に近付く者は誰であろうと排除する気満々だ。いや排除ならまだいいけれど(よくないけど)、この人《執事》の場合、この世から抹殺しかねない。

「……何か、聞きましたか?」

 凍りつきそうな声にルチナリスは後ずさった。
 数歩も下がらないうちに背中に扉が当たった。


 悪魔って本当にいるんですか?
 魔王って、誰なんですか?
 しかしそれを口にしたところで何になるだろう。今質問しているのは向こうなのだ。その答えも出さずに逆に問うたところで、目の前のこの男が答えるはずがない。

 悪魔の城殺人事件 ~完~
 って、だから! 終わっちゃ駄目だから!
 ついでに言うとミステリーもののタイトルって大抵〇〇殺人事件って言うけれど、普通は〇〇部分には人に当たる名称が入らなきゃおかしくない!? 何? 悪魔の城を殺したの!? 違うでしょ!?
 などと意味不明に現実逃避を試みるも、目の前の男の視線はルチナリスから外れない。

 嗚呼《ああ》。こういうミステリーものって大抵執事が犯人なのよ。執事のくせに暗器を隠し持ってたりするものなのよ。1度銃刀法違反で捕ま、

 ……その時。
 突然執務室の扉が開いた。
 いや、もしかしたら兆候はあったかもしれないけれど、妄想の世界に飛んでいたルチナリスにはわからない。


 出てきた義兄《あに》は執事と義妹《いもうと》を前に、出しかけた足を止め、不思議そうにふたりを見比べる。

「あれ? るぅ……とグラウス? 何してんの?」

 扉越しに聞こえた声とは違う、いつもの穏やかな義兄《あに》の声と、いつもと同じ無邪気そうな笑顔。
 い・つ・も・と・同・じ。

 ルチナリスは義兄《あに》の向こうに見える部屋の中を目だけで探る。
 義兄《あに》以外の人影は見えない。気配もない。

「いいえ、何でも」

 ルチナリスの肩に置いていた手をするりと外しながら、素知らぬ顔で執事は主《あるじ》に微笑《ほほえ》んで見せる。
 あたしが何かを知ったと義兄《あに》に勘付かれないように? だが義兄《あに》が勘付こうが勘付かなかろうが、あたしが執事に口を封じられる《抹殺される》可能性は限りなく高い。

 嗚呼《ああ》! 悪魔の城殺人事件 ~完~(2回目)!

 どうせなら美少女メイド殺人事件と銘打ってもらいたかっ……違う。そうじゃなくて。今、重視しないといけないのは悪魔とか魔王とかそういうものが本当に此処《ここ》にいるのかと言うこと。そして勇者たちが玄関ホールに入ったこ――


『……勇者は?』


 違う。義兄《あに》は既《すで》に勇者が来たことを知っている。
 勇者に対する何かが、あのホール内に待ち構えていたことも知っている。



 言えない。


「どうかした?」

 義兄《あに》は目を瞬かせながらそんなルチナリスと執事を交互に見、それからもう1度彼女の上で目を止める。

「るぅ?」

 どうしよう。
 いつもと同じに見える義兄《あに》の目が、今は心の中まで見透かそうとしているように感じる。
 口が渇いて仕方がない。唾を飲み込もうとしても、カラカラに乾いた空気だけが喉を擦るようにして落ちていくだけ。

 どうしよう。こんな時ってどうしたらいいんだろう。
 勇者と戦っているってどういうことですか? とはとても聞けない。
 でも黙っていたら余計に疑われる。

 目の前にいるこの人《義兄》は、さっき誰かと話をしていた。
 その誰かは「魔王」と言った。
 町の人はこの城に悪魔が出ると言う。勇者は悪魔を、そして魔王を倒すためにこの町にやってくる。
だけど。だけどだけどだけどだけどだけどだけど、

「……あ、あの、髪……」

 ルチナリスの声に|義兄《あに》は不思議そうな顔を向けた。

「髪?」
「朝くしゃくしゃになったままだったでしょう。だから、あの」

 ああ! 話題を変えるにしても無理がありすぎる。
 埃《ほこり》っぽかったのは朝だ。それからもう何時間経《た》っていると言うのだ。
 そのまま放置していたとしても埃《ほこり》なんか取れているだろうし、実際、着替えも済ませたのだろう。今の義兄《あに》は朝とは服装まで変わっている。
 身だしなみに気を遣うくらい普通だ。いつ来客があるかわからない人なんだから。すぐ横にうるさそうな人も張り付いているし!

 その「うるさそうな人」を目だけで見上げると、予想外にこちらを見下ろしていて、ルチナリスは慌てて顔を|背《そむ》けた。
 背《そむ》けても、後頭部に「何を言っているんだ」とばかりの視線が刺さってくるのを感じる。

 やっぱり無理がありすぎた。
 それだったら「お兄ちゃんの顔が見たくて来ちゃった、えへ」と舌でも出してみせたほうがずっともっともらしい。そんなキャラではないとしても。



 そんなルチナリスを暫《しばら》く黙って見ていた義兄《あに》は、ふいに笑顔を浮かべた。

「……んじゃ、直してもらおうかな」
「青藍様!」
「だってこれから人に会うんだし」

 目をつりあげた執事に義兄《あに》は肩を竦《すく》めて笑う。
 悪戯《いたずら》を思いついた時のような、「仕方ないね」と呆れた時のような。

「少し待ってもらってて」

 にこにこと、それでいて拒否を許さない笑顔で執事の肩をぽん、と叩くと、義兄《あに》はルチナリスの肩に手を回した。
 まるで執事の視線から遠ざけるかのようだけれども、


 逃げられない。


 そう、思った。




 黒い髪に櫛《くし》を通す。 
 義兄《あに》の髪はいつも手触りがいい。猫の毛のように艶やかで柔らかくて。

 ルチナリスは、櫛《くし》を持っていないほうの手でそっと自分の髪に触れてみる。
 比べるまでもない。硬くて、貧相な茶色。この国にはいくらでもいる髪の色。
 義兄《あに》とは、全く違う色。



「本当はあそこで何してた?」

 義妹《いもうと》に髪をまかせながら義兄《あに》は問う。
 本当は何もかもわかっているのだろう。あたしが「何か」を察したことも。執事に止められていたことも。

「……何も」

 そして勇者のことも。
 もし義兄《あに》が悪魔や魔王と繋《つな》がりがあるのなら、勇者を城に招き入れたあたしをどう思うだろう。それが怖い。義兄《あに》に嫌われることが、見ず知らずの勇者一行が命を落とすことよりも。

「そう」

 言ったら、今の関係はきっと崩れてしまう。そんな気がする。

 義兄《あに》は黙り込んでいる。
 黙り込まれてしまうと……あたしも何を言えばいいのかわからなくなる。





 窓から零《こぼ》れる白い光。その柔らかい光の中にいる義兄《あに》が好きだった。
 幸せ、ってこういうものなんだと、幼心にそう思ったものだ。
 でも。
 今も同じ光の中だけど。
 そこにあるのは温かい幸せだけではない。強い陽射しに溶けて見えなくなっているだけで、不審、猜疑《さいぎ》、といった暗くて冷たい「何か」も確かに漂《ただよ》っている。


 ねぇ。
 聞きたいのは、あたしが何を聞いたかってこと?
 それともグラウス様との仲を疑っている、って……そう濁しておけばいいの?

 でも。でもね。あたしも聞きたいことがあるの。

 勇者と応戦しているってどういうこと?
 それって悪魔側っていうこと?
 血筋なんかじゃなく、悪魔側だから襲われないんじゃないの?
 あなたが悪魔と繋《つなが》がっているから、あたしたちも今まで無事だったんじゃないの?

 そんなこと、義兄《あに》は答えてくれるだろうか。

 あたしが悪魔に襲われたのを知っていて、それでもあなたは悪魔の味方なの?
 今まで、あたしを騙してきたの?

 そんなこと……聞けるわけがない。



 黙ったままのルチナリスに、義兄《あに》はその蒼《あお》い目を向ける。
 不安げに揺れる中に、それでも何かを探るような強い光を湛《たた》えたその目を。


 ――義兄《あに》は、本当は闇のほうが似合うのではないだろうか。


 唐突にそんなことを思った。
 闇のほうが。その髪と同じ、漆黒の世界のほうが。
 こんな、明るくて眩しくて、何もかもが清廉潔白! 人生後ろ暗いことをしたら駄目なのよ! なんて主張しそうな空間よりも。





 ルチナリスは黙ったまま髪を結《ゆ》わえた。結わえて、思い出したように、背に流した髪に買ってきたリボンを結んでみる。
 この色は、光を透かした義兄《あに》の瞳の色。
 空と海の色。
 無彩色の中で煌《きら》めく色。
 小間物屋でつい買い求めてしまったのは、自分が持ち得ない「義兄《あに》の色」だからかもしれない。でも買ったはいいものの、あたしは今使っている髪留め以外使うつもりはないし、第一、硬くてなびきもしない髪にこんなヒラヒラしたリボンは似合わない。
 でも義兄《あに》なら。義兄《あに》の髪なら。と試しに結んでみたはいいけれど……似合わないどころか完全に調和してしまっているのが少し、いや、かなり悔しい。

「何?」

 振り返った義兄《あに》の瞳に光が入る。
 リボンと同じ色。明るい、光《聖》の側の色。

「な、何でもありません」
「……怪しい」

 
 小間物屋のおばさんも今は結い髪男子というのが流行《はや》りだと言っていたし、輪の部分は小さめにしたし、それにとてつもなく似合うが、とても言えない。
 どうせすぐ執事に指摘されてバレてしまうのだ。その間だけでも……ちょっとだけ「あたしのお兄ちゃん」の印。

 義兄《あに》は|訝《いぶか》しげに手を髪にやった。
 見つかると思ったけれど、奇跡的にリボンは指先から滑り抜ける。

「本当《ホント》に?」
「本当《ホント》です。この目を見て!」
「濁ってる」
「ちょ、」


 ああ。こうして笑い合っているのに、心の中では全然笑えない。
 あたしの大事なお兄ちゃんは……悪魔なんて、関係ないのよ。さっき執務室から聞こえた声は錯覚。あの見えない声と同じで、風が窓の隙間を通り抜けた音が声に聞こえただけのこと。もしくは何処《どこ》か次元の違う世界の声が聞こえちゃいました、とか……きっとそう。
 だって此処《ここ》は悪魔の城なんだもの。
 それっくらいの超常現象は起きたって驚かないんだから。

 そうやって先ほど抱いてしまった義兄《あに》への疑いを想像と錯覚の中に押し込めようとしても、違う隙間からニュルッ、と出て来てしまう。


「怪しいなぁ。まぁたグラウスに何か言われるんだよ。この間の三つ編みみたいに」
「あれはー……グラウス様も気に入ってたじゃないですか」
「おかげであの暫《しばら》くずっと三つ編みにされたんだから」


 文句を言いながらも手鏡を傾けて何とか見ようと試みる姿は、いつもの義兄《あに》だ。
 悪魔も魔王も関係ない、10年前からあたしの隣にいる「お兄ちゃん」だ。
 なのに。

 あわせ鏡にでもしない限り、後ろを見るのは難しいだろう。それでもひとつしかない鏡で見ようとしているさまは子供のようでかわいらしくすらある。
 手を伸ばせば簡単に解《ほど》けるものを自分で解《ほど》こうとしないのは、一応は買って来たあたしに気をつかっているからなのかもしれない。
 義兄《あに》はそういう人。優しい人。
 悪魔や魔王のことを知っていてずっと黙っているような。だから。だから本当のことを、

「……青藍様、魔王ってなんですか?」

 教えて。


 ルチナリスの声に義兄《あに》は動きを止めた。
 口を噤《つぐ》み、手にしていた鏡をぱたりと伏せる。


 聞いて、どうなるというのだろう。

 悪魔の城の悪魔ってなんですか?
 魔王って誰のことですか?

 あたしはどんな答えを望んでいるのだろう。
 心の中に引っかかったそれは、本当にあたしが望んでいる答えなのだろうか。
 その答えを義兄《あに》の口から聞いて、あたしはどうするつもりなのだろう。
 わからない。
 わからないけれど、疑問は疑問のままで終われない。

 悪魔って。
 魔王って。

 そして、10年前にあたしを拾ってくれたあなたは――?




 だが。

「そろそろ行かないと」

 |義兄《あに》はポケットから懐中時計を出して時間を確認すると、何事もなかったかのように立ち上がった。

 あぁ、義兄《あに》は今のことを聞かなかったことにするつもりだ。
 次に顔を合わせた時、きっと何もかも忘れたって顔で笑いかけるに違いない。

 あたしに義兄《あに》を引き止める術《すべ》はない。止めたところで義兄《あに》は答えてなどくれない。
 でも。それじゃ駄目。


 ――駄目?
 ――駄目 ナノ?


 駄目だわ。だって。


「此処《ここ》を動くなよ」

 |義兄《あに》はルチナリスの髪をくしゃくしゃっと撫でる。
 昔から宥《なだ》める時の義兄《あに》の癖。「はい、これでおしまい」という「おまじない」。
 小さい頃はこれで怖いのが終わりなんだと嬉しくなったものだけれど。


 ――コレデ オシマイ ニ シテシマッテ イイノ?


 ……駄目。


「青藍さ、」
「すぐに終わる」

 呼び止めようとした声は、扉の軋《きし》む音に掻き消された。消える寸前、義兄《あに》はそう呟いた。
 蒼いはずの目に、ゆらりと別の色が見えた。