ティータイム15分前の悲劇


 

まおりぼバレンタイン2019。

全くイチャつかないのにBL風味なのはこれ如何に。

 




 廊下を曲が……る寸前、グラウスは足を止めた。
 いい加減わかる。ここを曲がったら何かいる。そういう気配がする。
 カボチャだの赤箱だのサンタ袋だのと、どう考えてもただの無機物でしかない奴《やつ》らに類似する「何か」。それが数歩先にいる。


 折《おり》しも今日はバレンタインデー。
 今年は朝からチョコレートケーキを焼いた。お茶の時間に出せるよう、配膳室《パントリー》の棚にしまってある。
 その時間まではあと15分。その間に湯を沸かして茶を淹れて、そしてケーキを切り分けなければ。
 道を変えようか、とも思ったがゴール《配膳室》は数歩先のさらに数歩先。今更迂回《うかい》するほうが面倒だし、迂回すれば確実に時間が足りなくなるし、何より、尻尾を巻いて逃げ出したようで気分が悪い。

 何を臆《おく》することがある。
 こんな日の高いうちから奴《やつ》らが出て来るはずがないし、カボチャだろうと赤箱だろうと持病持ちの爺さんだろうとその付属の袋だろうと! 先手必勝でリベンジを果たせばいいだけのことだ!

 と、足を踏み出したはいいものの。


 廊下に転がっていたのは、カボチャでも赤箱でも持病持ちの爺さんでもなかった。勿論、袋でもない。
 鳥の紋章が蓋《ふた》に彫られているそれは、「私の記憶が確かならば」と言うまでもなく青藍の懐中時計。
 落とすと罰金でも取られるのか?
 と思いたくなるほど大事に持ち歩かれているそれが落ちていること自体が罠かと勘ぐってしまいたくなるのだが、実際に落とした日には罰金を請求されるであろうことも間違いない。中にいる精霊に。


 それが、ある。


 ……面倒そうだ。
 そんな言葉が脳裏を横切った。
 なんせこの精霊は煩《うるさ》い。厚かましい。
 フレンドリーと言えば聞こえはいいが、人を人とも思わぬ態度には閉口することもしばしば。
 だが見てしまった以上、放置もできない。
 したら最後、見捨てただの何だのとグチグチ言ってくるであろうことは確定している。


「どうしました? スノウ=ベル」

 グラウスは屈《かが》みこんで時計に声をかけた。
 拾い上げてもいいのだが、この時計と精霊の因果関係が不明だ。
 宿っているとか中にいるとかと言っているが、実際には時計そのものから精霊の姿に変化する。
 柱時計に宿っているアドレイは実体化しても時計は残っているというのに、どういう仕様になっているのだか。まぁ知らなくても何も影響しないから放っておくけれど。

 と、脱線したが。つまり。
 この時計の何処《どこ》らへんが胸で何処《どこ》らへんが尻なのか。
 下手に触って文句を言われるのは厄介だ。
 青藍は気にしないで掴んでいた気もするのだが、そのあたりは持ち主の特権かもしれない。
 私が掴めばあることないことを追加してセクハラだ何だと城中に触れ回るだろう。
 姉《アドレイ》の爪の垢でも煎じて飲めばいいのに。
 と、まぁ。それも置いといて。

「スノウ=ベル?」

 返事はない。まるで屍《しかばね》のようだ。
 いや、屍《しかばね》だったらどんなによかったか。いくらでも掴める。見捨てられる。
 もう面倒くさいから死んでることでFA《ファイナルアンサー》でいいじゃないか。返事をしないのが悪いんだし、と立ち去りかけたその時。

「あー、こっちこっち」

 違うほうから声がした。
 見回せば廊下の端に蒼《あお》いゴムボールが転がっている。


 ……今度はボールですか。
 嗚呼《ああ》、カボチャと赤箱とサンタ袋の悪夢四度《よたび》。
 懐中時計は私を欺《あざむ》くためのダミーだったに違いない。スノウ=ベルが奴《やつ》らと結託したのか、ただ単に落とし物なのか知らないが、相手が無機物とわかれば長居は無用。
 グラウスは爽やかに踵《きびす》を返す。

「ちょっと! 待ちなさいよ!!」

 追い縋《すが》る声が聞こえるが、待てと言われて待った結果が今までのアレだ。理不尽な目にあわされるのがわかっていて待つほど自分はできた人間ではない。

「待てっていってるでしょ! 哀れな精霊をほったらかしにして逃げましたって青藍様に言いつけるわよ!」

 その声にグラウスは足を止めた。
 ちらりとゴムボールに視線を落とす。

 何故《なぜ》ボールが青藍を知っているのだろう。
 いや、たかだかボールの分際で告げ口しようなど不届き千万。その前に釘でもぶっ刺して再起不能にしてくれるわ!
 と掴み上げようと手を伸ばしたグラウスは、そこでボールと目が合った。

 ……目?
 ボールに何故《なぜ》。目?
 思い返せばカボチャにも塗りつぶしたような目があったが、それとは違う。白目と黒目と瞼《まぶた》にまつ毛。目だけ見れば、それはボールに付いていていいものではない。

 いや。
 ボール……じゃな……?

「スノウ、ベル?」
「何ですかその疑わしい言い方は! あたしが他の何に見えるって言うんですか! ボールですか!? ボールって言いたいんですか!? ボールって言いたいんですね!? あー!!!! グラウス様があたしのことボールみたいなデブだって言ったぁぁぁぁぁぁああああ!! 男尊女卑はんたぁぁい! 種族差別はんたぁぁい! 訴訟を起こすわ! 絶対に勝つわ! グラウス様は世の若いお姉ちゃん'sの反感を買って自滅するがいいわ! 彼女のひとりもいない童〇《ピー》のくせにー!」
「……言っていません」

 このガチャガチャした金切り声は確かにスノウ=ベルだ。
 あのやかましい精霊だ。
 男尊女卑も種族差別も口にしていないのに、この娘の耳は飾りか? 無駄に長いくせに。

 第一、彼女がいないからどうだと言うのだ。
 世の中の男は全員異性と付き合わなければいけない法律でもあるのか? それこそが差別じゃないか。

 グラウスは耳を塞ぎたい衝動と怒鳴りつけたい衝動とを辛《かろ》うじて堪《こら》える。
 ここで耳を塞いだ日には何を言われるかわからない。
 

 しかし何故《なぜ》スノウ=ベルはボールになどなっているのだ。
 呪いか?
 ポケットの中にしまい込まれている彼女がこんな有様だということは……もしかすると……

「ぜぇぇんぶ青藍様が悪いのよぉ!」

 ……あの人《青藍》もこんな見苦しい姿に!?

 ガーン、というのは古いが、頭の中で銅鑼《どら》が鳴るほどの衝撃を受けたことは確かだ。
 それはマズい。
 いくら顔が良くたって体がゴムボールというのは頂けない。
 柔らかさと弾力は申し分ないかもしれないが、せめて両手が回る太さがいい。
 いやどれだけ太っていようと私の想いは変わりはしないが、脂肪が多いと感じにくいと言うし、って感じにくいって何だ。まるで常日頃からその手の情報収集をしているみたいじゃないか。
 これでも健全な執事のつもりでいるのに。こんなことを考えていると知られたr、

「青藍様がっっ! 町の奥様連中からお菓子貰いまくるのが悪いのー!」
「は?」

 何だ違うのか。なら良かった。
 グラウスは胸を撫でおろす。

「ちょっと! 青藍様が太らなくて良かった。終わり。って完結ってんじゃないわよ! あたしが! こんなことに! なったのはーー!」
「視察のたびに貰って来る菓子を片っ端《ぱし》から食べているからでしょう? バレンタインということで今日も大量に貰っていましたが、いいですか? 菓子類はカロリーが高いんです。決して甘いものは別腹♡なんてことはないんです。牛じゃあるまいし」

 牛だって甘味に別の胃を使っているという話は聞かないが。
 

 そう。今日はバレンタインデー(重要なので2回言いました)。
 青藍が毎年律儀にお返しをするせいで、城下の奥様方からのお返し狙いの貢物は増える一方。今年はとうとうリヤカーに詰んで帰る羽目になった。
 どうせそれも際限なく腹に収めたのだろう。私はこの口やかましい小娘に食べさせるために恥を忍んでリヤカーを引いて山道を上ったわけではないのだが、そのあたりも愚痴ると煩《うるさ》いので黙っておく。
 拗《こじ》れれば「運んできたのが悪い」などと言いがかりをつけてくるに決まっている。

 太ったのは自業自得。
 ゴムボールはゴムボールらしくバイィン! バイィン! と跳ねまわってダイエットでもすればいい。
 ほら、体幹を鍛えるとかいうのに似てるじゃないか。大きさは違うけど。




 グラウスはちらりと(自分の)時計を見る。
 くだらない戯言《ざれごと》に付き合っている間に、お茶の時間まで5分を切ってしまった。
 1杯分なら1分で沸くが、味を考慮すれば3杯分は湯が欲しい。つまり3分。時間がない。


「ああ! まだグラウス様のチョコレートケーキ、半分しか食べてないのにー!」
「……待ちなさい」

 気もそぞろに配膳室に心を飛ばしかけていたグラウスは、スノウ=ベルの一言に引き戻された。
 あのケーキはしまっておいたはずだ。食べたのか? 私は決してスノウ=ベル如《ごと》きに食わせるために作ったのではないのだが!?

「だって青藍様が絶対グラウス様はケーキ作ってるから食べていいよ、って」
「……………………今、何と仰いました?」

 何てことだ。
 こともあろうにあの人がスノウ=ベルをそそのかしたのか?
 確かに甘いものは苦手だけれど、それも見越して甘みの少ないものを作っているというのに! なのに! 

「あ! ちょっと! あたしを置いていかないでく、」
「あなたはダイエットでもしていなさい」
「ぎゃーーーーっ!」

 煩《うるさ》いボールは窓の外に投げ捨てて。そして。
 









「青藍様、お茶の前に少々お尋ねしたいことが(#^ω^)」
「……え?」

 その日のティータイムは血を見た。かもしれない。