橋を架ける日


 

 まおりぼ七夕番外編2017。

 久々に真面目なBL。

でもやっぱりイチャつかない。

 スペースと改行を除く2797文字。

 

 グラウスさんが

彦星をdisっているように見えるのは

多分気のせいです。

 




 七夕に降る雨は、
 1年に1度きりの逢瀬が叶わなかったふたりが流した涙だと言う。




「……なんだこれは」

 城から城下町への1本道の下り道。
 その終点まであとわずか、という地点で、グラウスは行く手を川の流れに阻《はば》まれていた。

 川幅はおよそ50メートルくらいだろうか。距離だけなら泳げなくもないが流れが速い。
 ごうごうと白い泡を浮かび上がらせる流れは、足を踏み入れることすら拒絶しているようにも見える。

 視線を上げれば、川の向こうには見慣れた建物の群れ。
 濃紺の帳《とばり》がゆっくりと降りる中、シルエットで浮かび上がる家々の窓にも灯りがぽつり、ぽつり、と点っていく。
 ぽう、と汽笛を鳴らして走り去る汽車の煙が、暗い空に細く白く流れていく。





               





 領主でもある青藍がその町へ出向いて行ったのは今日の夕刻。ほんの5時間ほど前のこと。
 内容は「七夕イベントに来賓として出席」という時間の無駄でしかないものだが、本人が行くと言うのだから仕方がない。
 過保護だなんだと文句を垂れ流されつつも町まで送り届けた時には、こんな川はなかった。
 その5時間の間に雨が降った覚えもないし、何処からか大量の水が流れ込むような場所でもない。


「なんだ? これは」

 再び口に出してみたが、状況は変わらない。
 時間的に言えば、そろそろ人々が帰路につく頃だろう。
 それなのに喧噪《けんそう》も聞こえてこない。目を凝らしても、人の姿も見えない。





「貴殿はどうやってこの流れを渡りなさる?」


 かけられた声に振り返ると、街灯の上に背の曲がった男がいる。黒い帽子を目深《まぶか》に被り、裾のほつれた黒い服を着、腰に蝋燭《ろうそく》の詰まった小さな鞄を下げている。
 硝子《ガラス》の火屋《ほや》を持ち上げて蝋燭に火を灯すと、

「此処《ここ》を渡らなければ想い人には逢うことは叶わず。だが橋は何処《どこ》にも無い。どうやって渡りなさる」

 と、ニィ、と笑う。


 蝋燭の灯りがちらちらと揺れている。
 隙間の開いた黄色い歯列が、影を落とした顔の中で、やけに浮かび上がっている。

「この川はあなたの仕業ですか?」
「私も向こう岸に行けなくて困っているのですよ」

 答えらしい答えも返さず、男は街灯にのぼったまま顎をしゃくる。



 毎度の超常現象に慣れたと言ってはいけないのだろうが、こういった事象に驚かなくなったあたり、自分も成長したのだろうか。

 空を仰げば白い月がぽつりとひとつ。
 しかし町の灯りのせいなのか、星の川も、その川に離されたふたつの星も見ることはできない。


「さあ、どうなさる」
「知れたこと。橋がないなら自力で渡るだけのことです」
「おや。もっと知的な答えが返って来るかと思えば。ノイシュタイン城の執事殿とは思えぬことを仰る」
「私をご存じで」
「勿論《もちろん》」

 男は身を竦《すく》めてくつくつと笑う。
 その姿は、やもしれば闇に溶け込み、見失う。

「地べたを這いつくばる無様《ぶざま》な獣が、こともあろうに月を乞《こ》うていると」

 会話を続けながらも男は新たな蝋燭を取り出し、隣の火屋《ほや》に灯を点ける。
 燐寸《マッチ》を擦ると燐光のような碧い火花が散った。光が、男の顔を浮かび上がらせる。
 その顔には深い皺が幾重にも刻まれていた。





「今日はこんなに良い天気だというのに、することが地べたに這いつくばる無様な獣の邪魔とは悪趣味にもほどがありますね。今宵《こよい》はあなたにもすることがあるのではありませんか?」
「言ったはず。この川のせいで向こう岸に行けなくて困っている、と」


 流れの向こうに町が見える。
 先程よりも遠く感じるのは、町の輪郭が夜空に溶けてしまっているからだろう。
 その中に新たに浮かんだオレンジ色は、向こう岸で灯る街灯だろうか。


「行く手立てはなにか講じたのですか?」
「時を待つ以外、何がある」


 瞬《またたく》く灯りは、誰かを呼んでいるようでもあり。
 届かない声を嘆いているようでもあり。


「わかりませんね。何千年もお互いに時を待ち続けるくらいなら、橋のひとつも架ければ良いものを。そういう建設的な発想は今までできませんでしたか?」

 ちらりと時計を見る。日付が変わるその時までに1時間を切っている。
 もしこのままくだらない問答を続けるのであれば1年待ち望んだ時すら過ぎてしまう、とは思わないのだろうか。
 それとも、逢いたいという熱も冷めてしまったのだろうか。


「橋など。鵲《かささぎ》が架けてくれように」
「鵲《かささぎ》などに頼らずとも、自力でどうにかしろと言っているのです。毎日ひとつの石を投げ入れるだけでも、何千年の月日をかければ橋になるでしょう。己にできることもせず、ただ鵲《かささぎ》の好意に甘えるだけの分際で」


 埒《らち》が明かない。こんなことをしている暇などないのに。
 男をそこに置いたまま、流れに足を踏み入れる。一瞬、足下を掬《すく》われたが水深はそれほど深くない。
 しかし歩くには難儀そうだ。
 残された時間で向こう岸まで辿り着けるかと聞かれれば、疑問は残る。



「そう言うのなら貴殿も石を投げ入れれば良い。何千年かの後に愛《いと》し君に逢《あ》うことが叶うやもしれぬ」

 いつの間に隣に来たのだろう。男が同じように流れに浸かったままグラウスを見上げる。
 手にした石を流れに向かって投げ入れる。
 だが、水に落ちる音も跳ね返る飛沫《しぶき》も、全てが川の流れに呑み込まれ、なんの変化も見ることができない。

「ほぅれ。石など投じたところで何処へ流されてしまうものやら。これでも貴殿は橋を架けようとなさるか」
「今頃から石を積むつもりなど毛頭《もうとう》ありませんよ。生憎《あいにく》と私はそこまで気が長くありませんのでね」
「負け惜しみを」
「私は私のやり方で渡ると言っているのです。魔族といえど星の齢《よわい》には遠く及ばず。あなたがたからすれば瞬きほどの時間でしょうが、私は」

 その言葉と共に川の流れが凍りついていく。

「古来より獣が月を乞うのは珍しくもないこと。それくらい、大目に見たら如何《いかが》です?」



 ああ。本当に。
 こんな奇怪な現象に普通に対処できる自分を褒めてやりたい。




「……なんだこれは」

 青藍は怪訝な顔で自分の手元に目を落とした。
 町からの帰路、その手はしっかりと執事に握られている。

「たまにはいいでしょう? 迎えに来たご褒美です」
「ご褒美っていうのは自分で決めるものじゃないと思うんだけど」

 家々の窓の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。
 町が闇に閉ざされていく分だけ、空に星が増えていく。

 織姫を表すこと座のベガと、彦星と呼ばれるわし座のアルタイル。
 そしてそのふたつを分かつ、無数の星でできた川が。


「迎えに来なくたってひとりで帰れるって。毎回、毎回、保護者面して」
「保護者ですから」


 町から城までの上り坂。
 途中を遮っていた川の流れは、跡形もなく消え失せて。


「ほら。今日は天の川がよく見える。雨も降らなかったし、織姫と彦星も逢えたかな」
「せめて降っていれば多少は同情の余地もあったんですがね」


 見上げれば空には白く浮かぶ月。


「そう言えばあのふたりってどうやって会うのかご存じです?」
「鵲《かささぎ》が橋を架けるんだろ?」
「今年の橋は氷製です」
「……なんで?」





 あなたに出会ったあの日から私がひとつずつ投じた石は、
 もうじき、あなたに届く橋になる。